鏡海亭 Kagami-Tei ウェブ小説黎明期から続く、生きた化石? | ||||
孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン) |
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第59話「北方の王者」(その1)更新! 2024/08/29
拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、 ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら! |
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【解説】 パラディーヴァについて
連載小説『アルフェリオン』、昨日から第27話「風のゼフィロス(第一部)」に入りました。ちょうど2クール終了して3クール目(?)ということで、26話までの部分とはまた雰囲気が変わるはずです。アニメやドラマではないですが、実はクールごとの区切りを結構意識して書いているのでした。
それから、すでにお気づきの方もおられるかと思いますが、『アルフェリオン』の22話~26話前後の部分は、本家サイトの方で2001年9月11日の連続テロ事件の直後、同年の秋・冬に公開されたものです。当時、あの事件にいかに衝撃を受け、作品の中にも随所に影響・反応が見られるか…。そう考えて読んでいただく、あるいは読み返していただくと、色々と違った読み方ができるかもしれません。
◇
それはさておき、今回は「パラディーヴァ」について特集したいと思います。
第24話に初めて登場した、正体不明の存在・パラディーヴァ。第1話から「謎の声」として登場し、やがて「黒衣の女」の幻として姿をちらつかせ、次第にルキアンに呼びかける回数も増えていきました。そして24話で恐るべき姿を現わにしたのが、リューヌです。すなわち「闇」のパラディーヴァ。
他に「風」のテュフォンをはじめ、火・水・土等々のパラディーヴァもいると予想されますが、主人公がよりによって「闇」のパラディーヴァのマスターだなんて、ひどい話です(^^;)。普通だったら「光」か「火」あたりのマスターでしょうね。
パラディーヴァというのは作者の造語です。「パラ(para-)」は、なじみ深い例を挙げれば、パラサイト(parasite)のパラです。パラディーヴァのパラは、まさにパラサイトのパラと同じ意味。para- はヨーロッパの言語によく出てくる接頭語で、元々は「傍らの」といった意味からきたそうですが、この文脈では「寄生」的な意味合いをもっていると思います。ディーヴァは、よく使われる「歌姫」という意味ではありません(歌ってどうする)。歌姫のディーヴァの語源になった、ラテン語の「女神」という意味での diva です。実際には女神ではないので、女神のような高次の霊的存在という意味で理解してください。
それゆえパラディーヴァというのは、何かに取り憑く(寄生する)高次の霊的存在ということになります。何に取り憑くのかというと、アルマ・ヴィオにです。ただ、アルマ・ヴィオはエクターと一体化しているので、正確に言えば、アルマ・ヴィオとエクターとパラディーヴァがひとつに融合するということです。
ディーヴァは本来は女神なのですから、「男性のパラディーヴァ」というのは厳密には矛盾した表現です。しかし実際にはテュフォンのように男性の姿をしたパラディーヴァも出てきます(汗)。おそらく旧世界の時代に、最初は人間の女性の姿をもつ存在として創られたのでしょう。「パラディーヴァ」という言葉が定着してしまった後、男性の姿や人間以外の姿をもつパラディーヴァも創られるようになったのだと思います。「男性のパラディーヴァ」は本来は男性形で「パラディーヴス
(paradivus)」とでも呼ぶべきでしょうが、そんなところに変に凝ってもくどいだけだと思うので、ご勘弁を(^^;)。
◇
以下、パラディーヴァの役割に関する説明です。あくまでファンタジーとしての似非オカルト科学(爆)的な設定ですから、ご注意ください…。
アルマ・ヴィオが発揮できる力の上限というのは、機体の性能そのものの限界ではなく、乗っているエクターのパンタシアの力がどこまで出せるかによって決まります。細かいことを言いますと、アルマ・ヴィオは、パンタシアそのものの力で動いているわけではありません(よくある誤解1)。人の心の力で動く巨大兵器って、SFファンタジーではありがちだと思いますが…。アルマ・ヴィオは、自然界にただよう霊的な力(あるいは魔力)を集めてエネルギーにしています。ただ、そのままでは、機体は魔力を自分の力に変えることができません。アルマ・ヴィオが魔力から物理的なエネルギーを引き出すため、そこで必要となる変換・触媒の力が、エクターのもつパンタシアなのでした。そういう意味では、エクターは単なる操縦者ではなく、一種の生体パーツの役目も兼ねています。
一人の人間の心の力には、通常はすぐに限界がきてしまいます。そのため旧世界の時代、アルマ・ヴィオの性能の向上は、いったん頭打ちになりました。人間の力では本来動かせないような強力なアルマ・ヴィオを実用化するためには、どうすればよいのか?――旧世界の魔法科学者たちがそこで生み出したのが、パラディーヴァだったのです。パラディーヴァは、エクターのパンタシアの発動を飛躍的に底上げする役目をします(機体の性能自体をアップさせるのではありません←よくある誤解2)。そうすることで、一人の繰士のもつパンタシアだけでは動かせないような、強大な力のアルマ・ヴィオも扱うことができるようになるわけでした。アルフェリオンも、基本的にはパラディーヴァを使って運用することを前提に開発されています。
◇
(以下の箇所には、物語の今後の展開に対するネタバレ有りです。ご注意を)
ちなみにパンタシアの力の本質が何なのかについては、第35話(サブタイトルがまさに「パンタシア」)にて明らかにされます。物語の序盤の方でも、イリュシオーネの伝説と絡めつつ、人間の夢の力のようなものだとシャリオが説明していました。たしかに夢、想像の力ではあるのですが……。魔力をアルマ・ヴィオの動力という物理的な力(現実界での力)に変換するために、人間の想像によってカタチを与えるというわけですね。
ルキアンが空想や妄想の好きな暗い主人公だという設定は(汗)、ここで生きてきます。冗談のようで真面目な話なのですが、「なぜルキアンがそんなにも強いパンタシアの力を持っているのか」を考えるためには、「どうしてルキアンが妄想好きの暗い性格になってしまったのか」を考える必要があります。第35話、シェフィーアさんがその点をルキアンに自覚させたのでした。ただ単に、ネタとか流行で、暗い少年を主人公にしているわけではありません(もちろん、強いエクターがみんな暗い性格なわけでもありません ^^;)。
不遇の幼少時代や現在(クレドールに乗るまでの時期)を経て、すっかり陰気な電波少年になってしまったルキアン……しかし言ってみれば、その性格や境遇が彼のエクターとしての才能の開花をもたらしたため、ここにきて一転してプラスに評価されたのでした。
この世でただひとつ、君の帰れる場所であった空想の世界。
現実と夢想の狭間で、君の涙は無駄に流れ続けてきたのか?
拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、
ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら!
↑というシェフィーアのセリフは、要するにルキアンにとって、「空想や妄想のどこが悪いんだ!(笑)。いいじゃないか、君は君だろ、私が認める!」と全肯定されたように聞こえたわけです。
それでルキアンが超覚醒し、アルフェリオンのゼフィロス・モードが全開。もはや勝利寸前だった敵の某氏は想定外の逆転をくらい、名有りキャラとしてはこの物語で初めての犠牲者に。しかもこの場面では、シェフィーアさんは通りすがりの敵キャラ(のふりをして潜入していた人)だったという超展開…。
いやはや、濃い濃い物語ですな。
以上
それから、すでにお気づきの方もおられるかと思いますが、『アルフェリオン』の22話~26話前後の部分は、本家サイトの方で2001年9月11日の連続テロ事件の直後、同年の秋・冬に公開されたものです。当時、あの事件にいかに衝撃を受け、作品の中にも随所に影響・反応が見られるか…。そう考えて読んでいただく、あるいは読み返していただくと、色々と違った読み方ができるかもしれません。
◇
それはさておき、今回は「パラディーヴァ」について特集したいと思います。
第24話に初めて登場した、正体不明の存在・パラディーヴァ。第1話から「謎の声」として登場し、やがて「黒衣の女」の幻として姿をちらつかせ、次第にルキアンに呼びかける回数も増えていきました。そして24話で恐るべき姿を現わにしたのが、リューヌです。すなわち「闇」のパラディーヴァ。
他に「風」のテュフォンをはじめ、火・水・土等々のパラディーヴァもいると予想されますが、主人公がよりによって「闇」のパラディーヴァのマスターだなんて、ひどい話です(^^;)。普通だったら「光」か「火」あたりのマスターでしょうね。
パラディーヴァというのは作者の造語です。「パラ(para-)」は、なじみ深い例を挙げれば、パラサイト(parasite)のパラです。パラディーヴァのパラは、まさにパラサイトのパラと同じ意味。para- はヨーロッパの言語によく出てくる接頭語で、元々は「傍らの」といった意味からきたそうですが、この文脈では「寄生」的な意味合いをもっていると思います。ディーヴァは、よく使われる「歌姫」という意味ではありません(歌ってどうする)。歌姫のディーヴァの語源になった、ラテン語の「女神」という意味での diva です。実際には女神ではないので、女神のような高次の霊的存在という意味で理解してください。
それゆえパラディーヴァというのは、何かに取り憑く(寄生する)高次の霊的存在ということになります。何に取り憑くのかというと、アルマ・ヴィオにです。ただ、アルマ・ヴィオはエクターと一体化しているので、正確に言えば、アルマ・ヴィオとエクターとパラディーヴァがひとつに融合するということです。
ディーヴァは本来は女神なのですから、「男性のパラディーヴァ」というのは厳密には矛盾した表現です。しかし実際にはテュフォンのように男性の姿をしたパラディーヴァも出てきます(汗)。おそらく旧世界の時代に、最初は人間の女性の姿をもつ存在として創られたのでしょう。「パラディーヴァ」という言葉が定着してしまった後、男性の姿や人間以外の姿をもつパラディーヴァも創られるようになったのだと思います。「男性のパラディーヴァ」は本来は男性形で「パラディーヴス
(paradivus)」とでも呼ぶべきでしょうが、そんなところに変に凝ってもくどいだけだと思うので、ご勘弁を(^^;)。
◇
以下、パラディーヴァの役割に関する説明です。あくまでファンタジーとしての似非オカルト科学(爆)的な設定ですから、ご注意ください…。
アルマ・ヴィオが発揮できる力の上限というのは、機体の性能そのものの限界ではなく、乗っているエクターのパンタシアの力がどこまで出せるかによって決まります。細かいことを言いますと、アルマ・ヴィオは、パンタシアそのものの力で動いているわけではありません(よくある誤解1)。人の心の力で動く巨大兵器って、SFファンタジーではありがちだと思いますが…。アルマ・ヴィオは、自然界にただよう霊的な力(あるいは魔力)を集めてエネルギーにしています。ただ、そのままでは、機体は魔力を自分の力に変えることができません。アルマ・ヴィオが魔力から物理的なエネルギーを引き出すため、そこで必要となる変換・触媒の力が、エクターのもつパンタシアなのでした。そういう意味では、エクターは単なる操縦者ではなく、一種の生体パーツの役目も兼ねています。
一人の人間の心の力には、通常はすぐに限界がきてしまいます。そのため旧世界の時代、アルマ・ヴィオの性能の向上は、いったん頭打ちになりました。人間の力では本来動かせないような強力なアルマ・ヴィオを実用化するためには、どうすればよいのか?――旧世界の魔法科学者たちがそこで生み出したのが、パラディーヴァだったのです。パラディーヴァは、エクターのパンタシアの発動を飛躍的に底上げする役目をします(機体の性能自体をアップさせるのではありません←よくある誤解2)。そうすることで、一人の繰士のもつパンタシアだけでは動かせないような、強大な力のアルマ・ヴィオも扱うことができるようになるわけでした。アルフェリオンも、基本的にはパラディーヴァを使って運用することを前提に開発されています。
◇
(以下の箇所には、物語の今後の展開に対するネタバレ有りです。ご注意を)
ちなみにパンタシアの力の本質が何なのかについては、第35話(サブタイトルがまさに「パンタシア」)にて明らかにされます。物語の序盤の方でも、イリュシオーネの伝説と絡めつつ、人間の夢の力のようなものだとシャリオが説明していました。たしかに夢、想像の力ではあるのですが……。魔力をアルマ・ヴィオの動力という物理的な力(現実界での力)に変換するために、人間の想像によってカタチを与えるというわけですね。
ルキアンが空想や妄想の好きな暗い主人公だという設定は(汗)、ここで生きてきます。冗談のようで真面目な話なのですが、「なぜルキアンがそんなにも強いパンタシアの力を持っているのか」を考えるためには、「どうしてルキアンが妄想好きの暗い性格になってしまったのか」を考える必要があります。第35話、シェフィーアさんがその点をルキアンに自覚させたのでした。ただ単に、ネタとか流行で、暗い少年を主人公にしているわけではありません(もちろん、強いエクターがみんな暗い性格なわけでもありません ^^;)。
不遇の幼少時代や現在(クレドールに乗るまでの時期)を経て、すっかり陰気な電波少年になってしまったルキアン……しかし言ってみれば、その性格や境遇が彼のエクターとしての才能の開花をもたらしたため、ここにきて一転してプラスに評価されたのでした。
この世でただひとつ、君の帰れる場所であった空想の世界。
現実と夢想の狭間で、君の涙は無駄に流れ続けてきたのか?
拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、
ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら!
↑というシェフィーアのセリフは、要するにルキアンにとって、「空想や妄想のどこが悪いんだ!(笑)。いいじゃないか、君は君だろ、私が認める!」と全肯定されたように聞こえたわけです。
それでルキアンが超覚醒し、アルフェリオンのゼフィロス・モードが全開。もはや勝利寸前だった敵の某氏は想定外の逆転をくらい、名有りキャラとしてはこの物語で初めての犠牲者に。しかもこの場面では、シェフィーアさんは通りすがりの敵キャラ(のふりをして潜入していた人)だったという超展開…。
いやはや、濃い濃い物語ですな。
以上
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