夕方、教会の前を通ったら十字架から後光が。ありがたやと思わず手を合わせる仏教徒。
どこか妻沼商店街を思い出させるスコッツデールの旧市街地。
結局のところ、英語が聞き取れてないのにわかったふりをするのは自分と相手両方に嘘をつくこと。
はっきり「ノー」と言えないのは、自分に犠牲を強いること。
苦し紛れに不必要な嘘をつくのは、とっさに本音を隠すから。
嘘をついてはいけません。
お釈迦様もそうおっしゃってます。
日本語とか英語とか、何語を話すかの前に精神面で直すところが多いということがわかった2年は、たぶん収穫だったと思う。
で、明日からそれを改めるとして、
あとは言い方か。
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