新訂 福翁自伝(岩波文庫版)③面白さは語り口にあって、語り口が福翁の生き方を決めてないか。
渋沢栄一の雨夜譚や高橋是清の自伝もそうですが、語り口の面白さに特色があります。時代が少し下って益田鈍翁自伝になると少し語り口の面白さは減りますが、それでも現在出版の新書などの本に比べると面白い表現が随所に見られます。なぜ現在出版されている本はああまで真面目な表現をするのか。(面白おかしく書くと売れないとでも思っているのか。)夏目漱石の文章にも諧謔の味わいもあれば例えの巧妙さがあったのに、なぜそれが全く失われてしまったのか。
真面目であることを至上命題にして遅れた産業革命を成し遂げようとした明治新政府の方針により江戸戯作作家の伝統が完全に途絶えたと思わざるを得ない。江戸の庶民はかなり豊かな言語を駆使して人生を楽しんでいたのではないか。我々は江戸時代真っ暗闇史観に毒されていないか。(戦前真っ暗闇史観というのもあるらしいけど)
語り口は、落語調の時もあれば講談調の時もある。福翁は英語やオランダ語の勉強ばかりしていたのではなく落語や講談もお聞きになったと見える。例えば「専ら旗艦を狙うて命中するものも多いその中に、大きな丸い破裂弾が旨く発してけが人ができた中に、司令官とカピテンと……」といった具合になかなかの名調子である。私は言葉の調子はその人の生き方と深い深いかかわりがあると思っている。落語調の時は、堅苦しいこと言わないでまあ人生楽しみましょうやという生き方、講談調の時は調子に乗ってそれどんどん行けという生き方。真面目な論文調の時は課長部長社長など上司の言うことをよく聞いて間違いのない仕事をしようと言うとき。(今はこのタイプの文章ばかりがはびこっている。それで仕事がきついの人生つまらないのと愚痴を述べ立てている。)福翁は前二者が交互に現れているのである。決して真面目な論文調ではない。人生を楽しみかつ調子に乗ってどんどんやっていくときもあってそれで結果として巨大な教育組織を作った。実に幸せな人生であったように見受けられる。
決して精密に目標を立てて倦まず怠らず(これ文科省の好きそうな文言)目標に向かって努力するというものではない。かなり行き当たりばったりだけど筋は通していたら自然とこうなった。これがこの本から得た教訓です。文科省がマルを付けるような作文を書いていると人生が衰えてくるんじゃなかろうか。個々の人生が衰えると国のGDPも衰えそうな気がする。