日本銀行 我が国に迫る危機(河村小百合著 講談社現代新書)①他の本との比較
日銀の破たんを云々する本はたくさん出ていて、中には時代が変わったのであるからこれからはいかなる中央銀行も破綻しないのであるとする理論を押し立てる本もある。破たんしない本まだは読んだことがないが、破たんを主張するものはいくらか読んだ。その中で一番読みやすくて納得できるのがこの本である。河村小百合さんの書は10年ほど前にも同じような趣旨で講談社現代新書から出されていて、危機感が十倍くらいになっているのかと思いきや淡々とした筆致で理性的に書かれていて別段危機感が増大しているようには見えない。感情に駆られてお書きになっていないからであろう、そこがいいところである。
同種の本ではジムロジャーズさんの本を何冊か読んだけど、全く役立たなかった。ここには破たんすることを前提として破たんすれば治安が悪化して銃を持ち歩かなければならなくなるといった恐ろしいことが書いてある。または外国に移住せよとも書いてある。いずれもアメリカ人の言いそうなことである。日本人のほとんどはその共同体を出て生活できない心性を持ってることにこの人またはこの本の発行元は思いが至らないのである。破たんに至る道のりについてはそれは説明するまでもない当たり前だろうという態度である。この本は、四谷怪談を見たくなるのと同じように怖いもの見たさのヒトの読む本である。読む者はこの本を読んでも何の対策も立てようがない。恐怖に煽られるのが楽しくて仕方ないという人はエンタメとして読んでもいいけどである。
浜矩子さんの本も何冊か読んだ。ブックオフで110円でこれでも高いなーと思って他の古本屋に行くと50円でワゴンに入っていたので嬉しかった。この本は、破たんに至る道筋を少しは解説しているが、素人向けの丁寧さをもたない説明に大変な毒舌を用いている。これでは読者はなるほどと思いながら読むのではなく毒舌のエンタメを楽しむために読むことになる。こういう本の書き方もあるのかもしれないが、それは破綻というような大事な場面にはふさわしくないように思う。楽しい事態が起こるとは思えない事情を書くのである、読者は対策をたてるのならどうたてるのかを考えながら読むのであるから毒舌や笑いは必要ない。この場合読者は「自分のことに引き付けて読む」ことをしている。笑いは物事を客観的に見る必要のある時にはあってもいいが、毒舌はこのような善悪まだ定かでないときは頂けない。それは対象を悪と決めつけてしまっているからである。そのほかにも破たんを取り扱った書物は一杯あっていくらか読んだけれど破たんをセンセーショナルに扱っていてその大げささで売ろうという魂胆が透けて見えるような本ばかりであった。
破綻するならするでそれは公平中立に淡々と様々の知見を総合して書かねばならないことだけど、河村さんの本はそれに答えてくれているように思う。
私はあの異次元の緩和というのが発表になったとき、こんなこというのはキッとなにか秘策が裏に隠れているに違いないと思った。例えば大規模な金か石油の鉱脈が日本近海で発見されるとか、核融合炉を日本が世界に先駆けて完成するとかである。そうならいくら緩和してもあとで何とでもなりそうだからである。しかしどうもそういううまい話ではなさそうだ。
ならなぜしたのか。デフレから脱するためと言うけれど十年前のデフレは供給過剰によるもんじゃなかったのか。金融緩和は需要不足の時に効果があるんじゃなかったのか。あの場合は、供給力を下げるような金融政策を取るべきではなかったのか。金融緩和で供給力を下げることができるのか?ということを読み取りたいと思っていたが、どうやらこの本の趣旨は私の疑問からは外れているようであった。だからと言って読んだことが意味ないというのではない。頭の中が整理できて有難かった。