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戯曲 老子夫人 プロローグ

2023-03-12 12:37:31 | 日記

戯曲 老子夫人 プロローグ

 大隅順平はもう50に近いニートである。時には必要最小限のアルバイトに出かけるが、大抵は親の遺してくれた小さな家の一室で寝転んで雨ジミの跡のある天井を見て暮らしている。これでも若いころは元気があって大峰山の山中を彷徨したことがあった。山では山伏の格好をした老人に「降霊術」を学ぶという不思議な体験をしたことがある。老人は簡単なことであると印の結び方とごく短い呪文を教えてくれた。どうせ嘘だろうといい加減な気持ちでそれでも老人の好意を無にしてはいけないとの付き合いのつもりでそれを覚えておいた。

当時から勤労意欲のなかった順平は家に戻って、親の働けという要求に屈しがたくある夜一人で三井高利の霊を呼び出してみた。三井財閥の創始者にどうしたら儲かるか聞こうとしたのである。または楽な仕事を紹介してもらえるかも虫のいいことを思ったのである。しかし、降りてきたのはなんとちょっと凄みのある中年の女性である。

 

婦人:だれです、私をお呼びになったのは。

順平:いや私は三井高利さんにお会いしてちょっとアドバイスを貰おうとしたのですが。

婦人:高利は、私の主人です。主人に何を聞きたいのですか。それに夜だというのにひどく明るいじゃありませんかどうしたことです。

順平:これは電灯というものです。今は平成12年です。ご主人には何をしたら儲かるかをお尋ねしたかったのですが。

婦人:時代が変わってますから、それを主人に聞いても無駄です。まずはなんでもいいから骨身を削って仕事をなさることです。でもあなたの人相骨柄を見るにどうしようもない怠け者の相が出ています。怠け者に何を言っても時間の無駄というものです。もう私は帰りますから。

 

どうやら、印が違っていたのか呪文に間違いがあったのか本人ではなく夫人の方を呼び出すことになってしまったようです。ちょっと奇妙な気分だが、自分に怠け者の相が出ているということに密かな誇りを感じた。この世では怠け者の方が立派であるという倒錯した気分を順平は持っていた。次に住友吉左衛門を呼ぼうとしていたがどうせ同じことだと思って止めにして畳の上に寝っ転がった。財閥を起こすのはやめにしてせめて自分一代でいいから楽に大儲けできないかと思いをめぐらした。紀伊国屋文左衛門なら面白がって何かヒントをくれそうな気がした。尤もまた夫人が現れるだろうが、うまくいけば夫人に本人に取り次いでもらえるだろうと考えた。しかし、出現したのは綺麗に着飾って独特の簪を髪に一杯つけた三人の女性達だった。

 

女性達:あら変に明るいわね。あなた誰。

順平:これは電灯というものです。紀文さんに会いたくてね。

女性①:(しばらく考えて)あっ あの紀文の旦那さんでありんすか。もう300年も会ってないでありんす。気前のいい旦那さんでありんしたけど。

女性②:こんだけ明るかったら私たち夜長く稼げていいわね。

女性③:何言ってんのよ。あの時代の私たちの衣装はろうそくの光に映えるようになってたのよ。この光じゃ衣装を変えないといけないじゃない。そんなことより早く生まれ変わってまたしっかり稼がなきゃ。じゃ帰りますからね。

 どうやら、3人の内一人はまだ生まれ変わっていなかったようですが、のこり2人は何度も生まれ変わったようです。いずれにしても何の参考にもならぬことです。苦労して稼いでもあんな3人にお金を使うくらいなら初めから寝転がっているほうがいいに決まってます。お金は必要最小限でいいとの順平の考えに間違いのないことを確信しました。こうして順平はますます勤労意欲をうしないました。ただ親の意見にどう対抗するかだけが問題です。

 しばらくして、順平は両親を相次いで失いました。理屈の上から言うと父親の降霊をやると母親に会えることになるのですが、まさか母親を呼び出してまた説教を聞かされるとたまりませんからそれはしないままで もう十年近く過ぎました。その間両親の説教にどう対抗するのかが気にはなっていたのです。もう両親は居ないのですがそれでもこの問題には決着をつけておく必要を強く感じていました。自分も納得できる働かない理由を見つけておかねばいけません。何となくという気分ではいけません。