京の剣客(司馬遼太郎 一夜官女 中公文庫昭和59年版所収)
司馬さんは短編の名手だと思う。長編はどうしても新聞の連載の都合上記述が細切れになって全体の構成に難ありな気がする。それに世間では二流の人物をあまりにも持ち上げすぎているとか結構一流の人材をあまりにも貶めているとかの批判も耳にする。ここの真偽はわからないが批判があることは事実である。
さて、京の剣客は京の剣法家吉岡一門が主人公であるがもちろん宮本武蔵も出てくる。ここでは兵法家によくある「気」がテーマになっている。本当に「気」というものがあるのかどうかは小説のことだから問わないことにして、「気」をテーマにしたところが司馬さんの偉いところ賢いところではないか。「気」でもって相手を威圧したという話が至る所に出てくる。または、扇子で真剣の相手をひょいひょいとカワシたというほんとか嘘かわからない話が出てくる。
これを暇なときに読むとあほらしい劇画を読まされた気になって読んでいる本を投げつけたくなるが、自分はもっと大きな仕事のできる人間であるのに今日もつまらない仕事をちまちまとやらされたと思っているサラリーマンが帰りの電車の中で(夜の8時とか9時台の30分ほどである)読むとどうであろう。「気」でもって敵を威圧できる凄い人間、扇子で真剣の相手をひょいひょいとカワす凄い人間に自分を重ね合わせるであろう。本当は俺は凄いという思いがここに共鳴する。そこでわずかに溜飲をさげることができるのである。これがどのくらい本人の心の安定ひいては社会の安寧に役立ったことか。
司馬さんは、旧陸軍で少尉だったか中尉だったかをお勤めになりかつ新聞社にお勤めになった。青雲の志を持っているのにおおきな組織の中でゴマ粒の扱いをされる人間の悲哀をつぶさに経験された。それがこの短編(他の短編でもそういうのはあるけど)のテーマの選択に重大な影響を与えている。そしてそれは大成功をおさめたと思う。読者は登場人物に自分を重ね合わせ、かつ同時に作家である司馬さんにも自分を重ねわせるという複雑なことを帰りの電車の中でやるのである。それで少しだけ足取りを軽くして駅からの暗い家路につくことができたに相違ない。
お話変わって司馬さんの小説の書き方を司馬史観というらしいが、その手法は森鴎外の歴史小説の書き方が原型であろう。人物を斜め上の高いところから描写するとか、登場人物について調べている作者そのヒトが小説の中に出てきてちょうど劇中劇と同じ効果を出すとか、終わりの言葉に詩的でヒトの心に長く印象に残る言葉を選ぶなどである。
人物を斜め上の高いところから描写するとは、吉川英治と司馬遼太郎の宮本武蔵を読み比べればわかるが司馬さんの方は心境を表現する言葉が乾いたよそよそしいもので登場人物の誰をも味方しないものになっているの意味で、突き放したよそよそしい人間関係の中にある現代人(といっても昭和末期のころ)にぴったりくる。作者が作中に登場するのは一方は渋江抽斎、もう一方は空海の風景によく現れている。また終わりの言葉は例えば高瀬舟は「沈黙の人二人を載せた高瀬舟は、暗い水の面をすべっていった。」であり京の剣客は「武蔵が・・・・で余生を送っていたころの話である。」とある。
同じ作風なのに森鴎外の作品は、読者として(いつも等身大の自分の像が何であるわからないままの)サラリーマンを措定していないのでマスとしての読者を獲得できなかった。当時サラリーマンはほぼいなかったから当然である。だから純文学としてしか生きられなかったと言うことではないかと思う。司馬さんは常に自分と同じような悩みを持つ読者を頭に置いて書いておられる。
ここで司馬さんとお商売をつなげるのは失礼な話だが、相手の気持ちが分かることがお商売の基本であるとはあちこちのヒトが言ってることである。