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本の感想

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新訂 福翁自伝(岩波文庫版)を読みながら考えた

2023-03-18 23:05:04 | 日記

新訂 福翁自伝(岩波文庫版)を読みながら考えた

 大学生のころ福翁自伝を旺文社版で読んだことがあったのでもう読む必要がないと思っていた。語り口は面白いけどたいしたこと書いてないというのが当時の感想であった。しかし旺文社は教育的にいかがと思われるところは載せない方針であったと見えて今回読み直してみて昔読んだのはダイジェスト版であることが分かった。カットされたところがなかなか面白い。毒のある所が面白くて役に立つところである。小中学生には毒のある所を切っておく必要はあるであろうが、人間十五を越えたら白湯みたいなもんばっかり飲んでいたら成長しないに決まっている。毒も薬も白湯も何もかもあるのがこの世であるからである。私は大学生にもなって白湯ばかりを呑んでいたことになる。

 多分カットされていたであろう毒の部分には、諭吉さんだけではないが適塾の学生時代かなりバンカラなことをなさっているとの記述がある。(今の慶応義塾には具合が悪いのではないかと思うが。)明治時代の創成期を支えた人材を多く適塾が輩出したことを思うとバンカラは良いことであったのではないか。直ちにバンカラを推奨するのもいかがとは思うがちょっと研究してみる必要があるのではないか。

 諭吉さんほどの教育熱心でかつ英語ができた人は他にも一杯いたであろうになぜこの人だけが一万円札の肖像になるかも直ちに分かった。新政府にも東京市に対しても交渉の仕方が際立ってうまいのである。必要なときに機を見るに敏の才能がある。それが自慢げにではなく淡々と書いてある。機敏の才は朝から晩まで切れ目なく発揮する必要はない。生涯に一度だけでいいとつくづく感じ入った。このことを若いころに読んでおけばよかったと思うところがある。(もっともこの部分は旺文社版にもあったかもしれない。旺文社版は売ってしまったので手元にない。)

 さて、福翁自伝や最近読んだ雨夜譚(渋沢栄一 岩波文庫版)やずいぶん昔読んだ高橋是清自伝を思い出してつくづく思うが、明治の人は話が上手い。(上記三冊とも口述筆記したものである)みなさん時々落語を聴いていたからかもしれないが、そればかりではなく小さいころ漢文の素読を漢文塾へ行って学んだせいだと思う。(公平のために付け加えるがこれは和歌の塾でもいいかもしれない。ただ漢文の方が実用性があると思う。)自国の言葉を自在に操ることを若いころに習得すれば、物おじしない頃に外国へ行けばその地の言葉はすぐに習得できるだろう。上記三人は外国語を自在に操りそれにとどまらないで巨大な事業を成し遂げた。

 伝え聞くところによると、マッカーサーは日本軍の思いのほか強かったのにおそれをなしてその原因を調べ簡潔な漢文調の言葉が軍隊の中で使われていたことがその一つであるとしたらしい。そこで漢文の授業時間を削り、さらにあろうことかなるたけ効率の悪い英語教育法を開発してその方法で教育せよと迫ったという。英語の方の真偽は知らないが、漢文の方は確かであろう。もういつまでもマッカーサーに義理立てする必要もないであろう、漢文塾を再興してはどうか。漢文の先生の数は、日本の津々浦々に塾を作るにはもはや間に合わないであろう。先生は数人で間に合う、ネット上に作ればいい。ただし、これは生徒が反復して読まないといけない。AIがそれを聞いて合否を判定すればいい。(合否の判定はすでにカラオケにその能力あるものがある。)機械に任せたがために本来謦咳に接して師から伝わる何物かを失うのは残念であるが已むを得ない。

 あんだけ近所なんだから森鴎外と西周は同じ漢文の先生に習ったに違いない。してみると日本の近代文学哲学は同じ漢文の先生をその濫觴に持っているのかもしれない。貝塚茂樹と湯川秀樹は確実に同じ人から漢文の素読を受けている。これから巨額の予算を投じて子供を作るのだそうである。生まれた子供を日本人を育てるためにたいした予算はいらないから少しは意を用いればどうか。

 このように福翁自伝の口述筆記ながら達意の文章を読んで、漢文の先生に思いが向かった。