日本文学史序説下(加藤周一)を読みながら考えた 第11章工業化の時代
なぜ加藤周一の文章が分かりやすくて魅力があるのかが分かってきた気がする。該博な知識があって読者に伝えたい強い思いだけではない。著者は本質的に詩人で、引き締まったリズムのある文体で書かれているから引き込まれるように読んでしまうのだと思う。しかし、これでは読者はリズムに引き込まれて読んでいるので書かれていることを批判的に読むことが困難にならないかとも思う。何もかも受け入れてしまうことになる。読んでしばらくしてから反芻して他の知識とも照らし合わせないといけないかもしれない。
さて、ここでは日露戦争後の不況の時代の文人たちの動きを記述している。「大学は出たけれど」の不況は、そんなに早くから始まったのか。私どもの祖父母曽祖父母は、戦争ではなく不況に苦しんだ。それが2000年前後から始まる現在の不況と照らし合わせると、現在の不況は冷戦後の不況ということか。東西冷戦は、日露戦争に比ではないほど大きなものだからそのあとの不況も世界中を巻き込んで巨大なものになるのだろう。しかし巨大なイノベーションも起きているのに何でいつまでも続くんだろうと不思議に思いながら現代と引き写して読んだ。
さて、日露戦争後の不況の時代の文人たちはその苦境を詩文で表現して今に残るものがあるという。今現在も同じような不況だけど苦境を詩文で表現している人が居るんだろうか。新聞をあまり読まない私はこの件は知らない。多分ないのではないか。どうも文化という意味では当時と今では格がかなり落ちる。なぜここまで日本の文化が不毛になったのか。または私の知らないところで豊かな文化が栄えているのか。
思うに、日露戦争後の不況の時代の文人は江戸の漢詩文の伝統をそのまま持っている人の息子の世代である。その苦境を詩文で表しえた最後の人になるだろう。今はその息子のさらに孫かひ孫の世代だろう。同じような苦境でも表現できなくなっているんじゃないのか。
漢詩文の教育がなくなったことは、大きな損失であるように思う。戦後のGHQは、日本の精神主義が漢詩文の教育にありとみて、これを禁じたのではないのかな。完全に禁じることもできないので少しは残っているけど、残念なことである。今なら復興してもだれも咎めないから、漢詩文の塾とそろばん塾を復興すればいいのに。学習塾へ行って学歴付けるよりよほど役立ちそうな気がする。
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