独り合点(ひとりがてん)

きもの業界をステージとした、ビジネスと生活スタイル、および近況。

近代着物の歴史(4)花森安治

2012-01-26 | きもの

雑誌「暮らしの手帳」の創刊者であり、編集長、作家、イラストレーターなどなど多くの肩書を持つ超人、花森安治。戦争中のスローガン「贅沢は敵だ」のコピーを「贅沢は敵だ」と変えたという伝説を持つ硬骨の人でもあります。雑誌「暮らしの手帳」は、ご存知の通り広告を一切掲載せず、スポンサーにおもねることも遠慮することもなく使う人の立場から徹底して商品テストを行い、事実を報じてきました。一貫して生活者の立場、目線で編集し、伝え、報じてきた、すごい雑誌です。私の尊敬する編集者です。月刊アレコレも見習いたいと、着る人の立場、目線で編集し、広告を掲載せずに発行していますが、とてもとても当方の比ではないのですが、多少はその苦労を実感できます。花森安治のすごいところは「衣食住」をきっちり、美しく暮らすことが、人としてまっとうな生き方、素敵と一貫して「衣食住」をテーマにして、高度成長期も華美に、虚飾にぶれなかったことです。ですから、ある意味地味な雑誌です。でも戦後、暮らしが核家族化し、母から娘、父から息子、そして三世代の衣食住の知恵が伝承されなくなったことを考えると改めて「衣食住」をテーマにした花森安治の慧眼に驚きます。着物は、明治以降、身分制度による着物のタブーや制約、禁令がなくなり、お金さえ払えれば誰が何を着てもいい時代になりました。そのため大正から本格化した大衆化により、着物は商業主義のかっこうの材料となり、あこがれの存在がお金さえ払えば、手に入れられるものとなってきました。それが決して悪いという意味ではありませんが、「晴れのお道具」的存在に偏りすぎ、「ハレとケ」といいますあ一方の地道な日々の暮らしの中のきもののを捨て、日常から切り離してしまったことの反動が、着物離れやいま業界が落ち込んでいる一番大きな原因と思います。であるとするならば、この花森安治の言葉は、いま改めて暮らしの中での着物の存在価値、意味を考えさせられる言葉です。

「着る」ものを「裁ち」「縫う」こと、そうした「作る」技術を学ぶ前に、着るものを「着る」技術を覚えてください。私たちはみんな着ものをなにかしら着ているのに、その着方を知らないようでは賢い暮らし方とは申せないでしょう。美しく着ることはお金やヒマとかかわりないことを知らない人が多いということです。


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