独り合点(ひとりがてん)

きもの業界をステージとした、ビジネスと生活スタイル、および近況。

[場」がある!

2009-07-20 | きもの

今年度の芥川賞に磯崎憲一郎、直木賞に北村薫の二人が受賞したが、二人のコメントで印象的だったのが、「次の作品の発表の場が確保できたのが嬉しい」と語っていたこと。文芸誌も休刊が続き、小説を書いても、特に新人には発表の場が少なくなってきている現状だから、受賞の言葉も今までとは違ってきていた。話は変わりますが、先日政治家の世襲制が問題になっていましたが、2世、3世は、継ぐべき基盤があるというのは、全くの新人が立候補するのに比べて遥かに有利。親の築きあげた地盤があれば、プラスもマイナスもあるが、全く独自で地盤を作るのと比べると遥かにスタートダッシュが効く。政治家の継承は微妙な問題があるが、先日お会いした備前焼の森一洋さんは、子供の頃から仕事場で遊んでいたので、轆轤の扱い方はじめ、一切習った記憶がなく、自然に覚えたという。父親の備前焼の巨匠・森陶岳さんも著作の中で、やはり同じように生まれた時から実家が工房だったので、いつのまにか自然に覚えてきて、という。[場」があるという意味ですごいなあと思うのは、重要無形文化財に指定されている歌舞伎。数歳で初舞台を踏み、それこそ生活は常に歌舞伎と職住同居で、発表する「舞台」が確保されている。向き不向きもあるのかもしれないし、職業の選択に自由がないことに反発もあるようですが、有形無形の財産を受け継いで行くことは、本人にとっても、親や家にとっても大きい。考えてみたらきものも歌舞伎と同じように、大変な知識と教養が必要な仕事。マクドナルドのように研修を受け、マニュアルを読み、本部から支給された食材を調理すればいいという商売ではない。子供には自由に生きて欲しい、親と同じような苦労をさせたくないと家業を継がせない親の気持ちもわからなくはないが、いまやきものを専門に取り扱うのは、重要無形文化財と同じで、本人の努力だけではできない、看板もお客も仕入先も「受け継がなければできない仕事」になってきたように思います。きものを身近に扱う人がいなくなれば、歌舞伎もお茶も、踊りも、また冠婚葬祭やお祝い事も、先達が伝えてきた文化や日本人そのものの「価値観」が消滅してしまいます。これからは呉服屋の子息には、日本の文化の一端をになっている、すごい仕事なのだ!という自覚を大いに持ってもらいたいものだし、子供をそのように育ててゆく時代になってきたと思う。


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