警視庁 HP より。 桐島容疑者が事件当時住んでいたアパート (※2より)。
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半世紀前 連続企業爆破事件を起こして逃亡していた容疑者が病院で死亡しました。 別名を名乗って末期がんで入院し、「最期は本名で迎えたかった」といっていたそうですが __
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『連続企業爆破「桐島聡」名乗る男が死亡 末期がんで神奈川県鎌倉市の病院に入院』(1月29日 産経新聞 ※1)
『「ガリガリ」「手配写真と比べ3分の2くらい痩せた人相」介抱した男性が語る 「内田洋」名乗り数十年にわたって勤務』(1月29日 FNN プライムオンライン ※2)
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半世紀も偽名で生活し、目立たずにひっそりと暮らしていたと想像しますが、本人はそれで「俺の人生 これで良かったのだ」と思っていたのでしょうか?
私はそうは思えません。 何度も悔やんだと推理します。 それが普通の人の心理でしょう。 若い時は既存の権威に反発し、社会を変えると息巻く人がいるものです。
しかし その手段が民主主義に則ったものではなく 人を傷つける犯罪となれば、許されるものではありません。 偽名で潜伏して生活しているうちに その事にやっと気付いたが、今更 実名を名乗れるものでもないし、医者にかかっても保険を使わず 自費診療で払っていたのでしょう。
このまま別名で死亡すれば 世捨て人・行き倒れと扱われ、無縁仏 (むえんぼとけ) となってしまうと想像し、病院関係者に本名を明かしたのでしょう。 それだけが人生の中でたった1つの願いだったとしたら、なんとも虚しさを感じますね。
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けれど 一連の爆破事件で亡くなった人たち・傷ついた人たちへの謝罪があったとは報道されていませんから、そういう告白はなかったと想像します。 これでは 亡くなった人たち・傷ついた人たちや、その家族は癒されないままです。
私は、本名を明かしたからには、謝罪の言葉を述べて欲しかったと思いますね。 それが人の生きる道のはずです。
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全然 別件ですが、先日の午前 いつものようにジョギングで出かけたら、ある隣人がゴミ捨てに家から出てきたところですれ違いました。
3~4メートルも離れていなかったので、笑顔で「こんにちは」とはっきりと聞こえるくらいの声で挨拶したのですが __
その隣人は、歩きながら (いつものように) 首をガクガクとさせて下を向いたまま無言で通り過ぎました。 私も隣人もここに居住して40年以上経つのですが、この隣人から挨拶の言葉を聞いた事もなく、笑顔も見た事がありません。
私は、いつかは挨拶が返ってくるだろうと期待して挨拶するのですが __
この隣人も生きていて 果たして “楽しいのだろうか” とフト思ってしまいました (それをいったら “余計なお世話” と返されそうですが)。
私の経験ですと 挨拶しても挨拶を返さない、頭も下げないのは公務員とか医者に多いです。 私の弟も公務員でしたが、お早ようといっても無表情で「ア~ …」だけです。
なぜ そうなるかというと、挨拶しなくても仕事に大きな支障が出ないからです。 民間企業に勤める人は、こうは行きません。 挨拶されて いつも無言・無表情だったり「ア~ …」だったら どう思われるでしょうか?
今日はここまでです。