
写真は、霧の出る街サンフランシスコ。
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先日 8月下旬 会社保養所がある軽井沢へ2泊3日で行ってきた。 高速道をフルに使ったら昼食も含めて3時間で楽勝だった。 経路は、圏央道・高尾山インター → 関越道 → 上信越道 → 碓氷軽井沢インターだ。 片道距離はざっと 200km。
自宅から高尾山インターには20~30分で入れるし、保養所は碓氷軽井沢インターから15分位の南軽井沢にあるから、高速道内の所要時間はざっと2時間程度だった。 ただし 行楽時期にぶつかると、この所要時間は大幅に狂う。
圏央道が八王子止まりで、高尾山インターがなかった ついこの前までは、1時間半くらい16号を北上して、圏央道・入間インターから入り、1時間半くらい高速道を走って着いたから 昼食時間も含めて4時間コースだった。
昔 若い頃、高速道がなかった30~40年前、軽井沢へ行ってテニスをしようとしたら、一般道の20号線をえっちらおっちら走って、朝早く神奈川を出て着いたのは夕方だった。 翌2日くらいテニスをして、また1日かけて帰ってきた。 若かったから出来た強行軍だ。
…………………………………………………………
昼食はいつも碓氷軽井沢インター前の横川のサービスエリアで取る。 広くておしゃれな建物があり、タリーズのコーヒー店もある。 さて そこのサービスエリア内の食事なのだが、昼食時は当然混む。 色々な種類の食事が楽しめるのはいいが、それが自動販売機による発券システムになっている。 待ち時間は短くていいのだが、この “自動販売機の操作” が問題だなぁと感じた。
慣れた人にはなんてことはないのだが、慣れてない人にはチンプンカンプンだろう。 実は混むのはこの自動販売機の前で、食事のトレーを受け取るカウンターではない。 行列がカウンター前ではなく、自動販売機のところ というのが問題をあぶり出している。
銀行のお世話係りのような人がいて、自動販売機でマゴツイタ人を指導してくれれば 行列はできないのだろうが、中年からお年寄りは例外なく手間取っているのが分かる。 私は2回も前に並んだ人に、「はい 次はこのボタン」「はい 次はお金を入れて」と、後ろから指導してしまった。 指導しないと円滑に進まないから、私の発券も遅くなってしまうのだ。
日本中 至る所でこうした自動販売機があるが、そんなにみんな慣れているのだろうか?
…………………………………………………………
さて 私たちが行ったのは8月下旬で、もう大分涼しくなってきた頃になり、翌日は雨だった。 わたしはそのまま保養所でヴァイオリンの練習と、保養所の備え付けの本棚にある百冊ほどの本から2冊を読んだ。 日本経済新聞社の「私の履歴書」と「スティーブ・ジョブズ I」(ウォルター・アイザックソン著 ※追加1へ) だ。
私の履歴書からは、井深大 (いぶか まさる ソニーの創業者の一人) と本田宗一郎 (本田技研工業の創業者) 編を、スティーブ・ジョブズ I は半分ほどをよんだ。「私の履歴書」は寄贈本、後者は誰も読んだ跡がない新品だった。 なぜ読んだ跡がないかというと、汚れがないし しおりの布地が折れたままで挟まっていたからだ。
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井深大は、1971年までソニー社長を勤めた。 71~76年には創業者の一人の盛田 昭夫が社長を勤めた。 井深は根っからの技術者で、ソニーの資金繰りが危うくなると 盛田が生家の造り酒屋から資金を持ってきたらしいというのを以前 記事などで読んだ記憶がある。
本田宗一郎も会社経営は藤沢副社長に任せていた。 この2例から、技術屋だけでは会社経営はは成り立たず、資金繰りを任せられる人物がいてこそ 名経営者といわれるのではないだろうかとツクヅク思う。
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破天荒なジョブズは、二十代前半でアップルを上場して大金持ちになり、自分が引き抜いたペプシコーラの元社長をアップル社長に据えるのだが、その人物からアップル社を追い出されてしまう。 その後 アップル社は低迷期に入り、再びジョブズがアップル社に復帰すると、またアップル社は輝き出すのだが、ジョブズは2011年に56歳で膵臓癌で亡くなる。
という波瀾万丈の一代で、彼は最初ゲームメーカー アタリ社のエンジニアだったが、優秀なエンジニアではなかったし、アップル社興隆の元となったパソコン黎明期の Apple I/II を設計したのはウォズニアックという HP 勤めの友人だ。 アップル社第2のヒット マッキントッシュ (PC) も、最初のコンセプトは別人だったものをジョブズが横取りしたのは周知の事実 … とジョブズについて書き出すと “切り” がないので、とりあえず ここまで。
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ついでながら なぜか “ヴァイオリンの鳴り” が自宅よりも良かったのには少し驚いた。 早くいうと 自宅で弾くよりもいい音で聴こえるのだ。 なぜか? 自宅は壁が薄いし音が漏れ易く、音が自宅外に拡散し易い。 それに比べ、保養所壁はレンガ造りで厚いので音が外へ漏れにくく、保養所外に拡散しにくいのが原因だろうと思った。
だから ヴァイオリンで大事なのは、ヴァイオリンそのものと、部屋つまり演奏会場だろうと想像できる。 勿論 その前に “腕前” もだが。
…………………………………………………………
軽井沢保養所からの帰りは、前日よりもっと天気が悪く、雨の上 霧が出て視界 50m という、どちらかというと悪天候だった。 帰りは碓氷軽井沢インターの次の松井田妙義インターから利用してみようかと、一般道の18号線を 20~30分走る積りだったが、この悪天候で変更した。 18号からゴルフコース沿いの道を走って いったん峠越えして、碓氷軽井沢インターを目指す。
そして上信越道を暫く走って、山を降りてくると、なんと 曇ってはいるが雨は降っていない。 最近 有名になった富岡製糸場辺りで軽井沢のある山を振り返ると、雲がかかり 同じ悪天候が続いているようだった。 山の天気は悪い、これをあらためて実感した。
以上
※追加1_ 「金融日記」HP から __ スティーブ・ジョブズの伝記が発売されたので、さっそく読んでみた。 日本語訳は二冊にわかれており、最初の一冊がすでに発売されている。
著者のウォルターは、きめ細かい取材にもとづきアインシュタインやベンジャミン・フランクリンの伝記を著し、世界的なベストセラーにした、著名なジャーナリストだ。
プライベートをほとんど語ることがなかったジョブズだが、この本に関しては、彼の方からウォルターに伝記を書いてほしいとたのんだのだ。 まだ現役の経営者で、伝記を書くには早過ぎると思ったウォルターは、最初はこの依頼を断るのだが、やがて ジョブズの病状を知り引き受けることにする。
しかし この本はジョブズの偉大さを誇張するような浅薄な伝記ではまったくない。 実際にジョブズも彼の家族も、出版前にいっさいのチェックの必要もなく、ウォルターが取材をして、書きたいことを書けばいいということに同意している。 ジョブズは現役時代に敵も多かったので、そういったジョブズをよく思っていない人たちにも綿密に取材をしている。
僕もこの前のエントリーで書いたように、ジョブズはテクノロジーやサイエンスにはほとんど何も貢献していない。 彼は、すでにある技術を組み合わせたり、他社が一歩のところまで来ているアイデアを文字通り盗みだす、狡賢いビジネスマンであり、Apple という会社は美味しいところだけをサクっと持っていく海賊みたいな会社だ。
実際に ジョブズ自身も自らのことを海賊とたとえ、IBM や AT&T のような大企業とで、就職先に迷っている優秀な若者を Apple に引き入れるために、「なんで海賊になれるチャンスがあるのに そんなにつまらない海軍に就職しようとするんだい」とけしかけている。
ジョブズは、人類のテクノロジーの進歩に貢献しなかったのはもちろんだが、聖人君子でもなかった。 この本にも生々しく書かれているが、23歳の時に付き合っていた女性を妊娠させ、父親になることを拒み、母娘とも捨てている。 自分が養子として、実の母親と父親に捨てられたように。
そして養育費の支払いの裁判を起こされるのだが、裁判では自らの友人に当時の彼女の交友関係を証言させ、彼女がジョブズと付き合っていた時も他の男と寝ていた売女で、娘は自分の子供ではないといい放っている。 後に DNA 鑑定でジョブズが父親であると証明される。 娘の名前は Lisa で、ジョブズは何を血迷ったか、後に Apple で作ったコンピュータに Lisa という名前をつけている。
ジョブズはあの有名なセリフ「残りの人生も砂糖水を売ることに費やしたいか、それとも世界を変えるチャンスが欲しいか?」で、自らがペプシコーラから引きぬいたジョン・スカリー氏と、後にドロドロの権力闘争を繰り広げるのだが、そのときの描写も生々しい。 ジョブズはスカリーに会社を追いやられてしまうのだが、追放されたジョブズが作った NeXT という会社が、Apple のビジネスと競合するということで、スカリーに嫌がらせの訴訟まで起こされている。
なんとも波乱万丈な人生を送ったジョブズだが、彼の作った Apple は世界一の時価総額を有する企業となった。 彼は世界一の会社を作ったのだ。 この本には、ジョブズのさまざまな人間関係が鮮やかに描かれているし、また コンピュータ業界の歴史を知るための本としても秀逸な出来となっている。 訳も申し分なく、ついつい引きこまれてしまう。 これはこの秋に間違いなく読まなければいけない本である。
以上
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先日 8月下旬 会社保養所がある軽井沢へ2泊3日で行ってきた。 高速道をフルに使ったら昼食も含めて3時間で楽勝だった。 経路は、圏央道・高尾山インター → 関越道 → 上信越道 → 碓氷軽井沢インターだ。 片道距離はざっと 200km。
自宅から高尾山インターには20~30分で入れるし、保養所は碓氷軽井沢インターから15分位の南軽井沢にあるから、高速道内の所要時間はざっと2時間程度だった。 ただし 行楽時期にぶつかると、この所要時間は大幅に狂う。
圏央道が八王子止まりで、高尾山インターがなかった ついこの前までは、1時間半くらい16号を北上して、圏央道・入間インターから入り、1時間半くらい高速道を走って着いたから 昼食時間も含めて4時間コースだった。
昔 若い頃、高速道がなかった30~40年前、軽井沢へ行ってテニスをしようとしたら、一般道の20号線をえっちらおっちら走って、朝早く神奈川を出て着いたのは夕方だった。 翌2日くらいテニスをして、また1日かけて帰ってきた。 若かったから出来た強行軍だ。
…………………………………………………………
昼食はいつも碓氷軽井沢インター前の横川のサービスエリアで取る。 広くておしゃれな建物があり、タリーズのコーヒー店もある。 さて そこのサービスエリア内の食事なのだが、昼食時は当然混む。 色々な種類の食事が楽しめるのはいいが、それが自動販売機による発券システムになっている。 待ち時間は短くていいのだが、この “自動販売機の操作” が問題だなぁと感じた。
慣れた人にはなんてことはないのだが、慣れてない人にはチンプンカンプンだろう。 実は混むのはこの自動販売機の前で、食事のトレーを受け取るカウンターではない。 行列がカウンター前ではなく、自動販売機のところ というのが問題をあぶり出している。
銀行のお世話係りのような人がいて、自動販売機でマゴツイタ人を指導してくれれば 行列はできないのだろうが、中年からお年寄りは例外なく手間取っているのが分かる。 私は2回も前に並んだ人に、「はい 次はこのボタン」「はい 次はお金を入れて」と、後ろから指導してしまった。 指導しないと円滑に進まないから、私の発券も遅くなってしまうのだ。
日本中 至る所でこうした自動販売機があるが、そんなにみんな慣れているのだろうか?
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さて 私たちが行ったのは8月下旬で、もう大分涼しくなってきた頃になり、翌日は雨だった。 わたしはそのまま保養所でヴァイオリンの練習と、保養所の備え付けの本棚にある百冊ほどの本から2冊を読んだ。 日本経済新聞社の「私の履歴書」と「スティーブ・ジョブズ I」(ウォルター・アイザックソン著 ※追加1へ) だ。
私の履歴書からは、井深大 (いぶか まさる ソニーの創業者の一人) と本田宗一郎 (本田技研工業の創業者) 編を、スティーブ・ジョブズ I は半分ほどをよんだ。「私の履歴書」は寄贈本、後者は誰も読んだ跡がない新品だった。 なぜ読んだ跡がないかというと、汚れがないし しおりの布地が折れたままで挟まっていたからだ。
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井深大は、1971年までソニー社長を勤めた。 71~76年には創業者の一人の盛田 昭夫が社長を勤めた。 井深は根っからの技術者で、ソニーの資金繰りが危うくなると 盛田が生家の造り酒屋から資金を持ってきたらしいというのを以前 記事などで読んだ記憶がある。
本田宗一郎も会社経営は藤沢副社長に任せていた。 この2例から、技術屋だけでは会社経営はは成り立たず、資金繰りを任せられる人物がいてこそ 名経営者といわれるのではないだろうかとツクヅク思う。
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破天荒なジョブズは、二十代前半でアップルを上場して大金持ちになり、自分が引き抜いたペプシコーラの元社長をアップル社長に据えるのだが、その人物からアップル社を追い出されてしまう。 その後 アップル社は低迷期に入り、再びジョブズがアップル社に復帰すると、またアップル社は輝き出すのだが、ジョブズは2011年に56歳で膵臓癌で亡くなる。
という波瀾万丈の一代で、彼は最初ゲームメーカー アタリ社のエンジニアだったが、優秀なエンジニアではなかったし、アップル社興隆の元となったパソコン黎明期の Apple I/II を設計したのはウォズニアックという HP 勤めの友人だ。 アップル社第2のヒット マッキントッシュ (PC) も、最初のコンセプトは別人だったものをジョブズが横取りしたのは周知の事実 … とジョブズについて書き出すと “切り” がないので、とりあえず ここまで。
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ついでながら なぜか “ヴァイオリンの鳴り” が自宅よりも良かったのには少し驚いた。 早くいうと 自宅で弾くよりもいい音で聴こえるのだ。 なぜか? 自宅は壁が薄いし音が漏れ易く、音が自宅外に拡散し易い。 それに比べ、保養所壁はレンガ造りで厚いので音が外へ漏れにくく、保養所外に拡散しにくいのが原因だろうと思った。
だから ヴァイオリンで大事なのは、ヴァイオリンそのものと、部屋つまり演奏会場だろうと想像できる。 勿論 その前に “腕前” もだが。
…………………………………………………………
軽井沢保養所からの帰りは、前日よりもっと天気が悪く、雨の上 霧が出て視界 50m という、どちらかというと悪天候だった。 帰りは碓氷軽井沢インターの次の松井田妙義インターから利用してみようかと、一般道の18号線を 20~30分走る積りだったが、この悪天候で変更した。 18号からゴルフコース沿いの道を走って いったん峠越えして、碓氷軽井沢インターを目指す。
そして上信越道を暫く走って、山を降りてくると、なんと 曇ってはいるが雨は降っていない。 最近 有名になった富岡製糸場辺りで軽井沢のある山を振り返ると、雲がかかり 同じ悪天候が続いているようだった。 山の天気は悪い、これをあらためて実感した。
以上
※追加1_ 「金融日記」HP から __ スティーブ・ジョブズの伝記が発売されたので、さっそく読んでみた。 日本語訳は二冊にわかれており、最初の一冊がすでに発売されている。
著者のウォルターは、きめ細かい取材にもとづきアインシュタインやベンジャミン・フランクリンの伝記を著し、世界的なベストセラーにした、著名なジャーナリストだ。
プライベートをほとんど語ることがなかったジョブズだが、この本に関しては、彼の方からウォルターに伝記を書いてほしいとたのんだのだ。 まだ現役の経営者で、伝記を書くには早過ぎると思ったウォルターは、最初はこの依頼を断るのだが、やがて ジョブズの病状を知り引き受けることにする。
しかし この本はジョブズの偉大さを誇張するような浅薄な伝記ではまったくない。 実際にジョブズも彼の家族も、出版前にいっさいのチェックの必要もなく、ウォルターが取材をして、書きたいことを書けばいいということに同意している。 ジョブズは現役時代に敵も多かったので、そういったジョブズをよく思っていない人たちにも綿密に取材をしている。
僕もこの前のエントリーで書いたように、ジョブズはテクノロジーやサイエンスにはほとんど何も貢献していない。 彼は、すでにある技術を組み合わせたり、他社が一歩のところまで来ているアイデアを文字通り盗みだす、狡賢いビジネスマンであり、Apple という会社は美味しいところだけをサクっと持っていく海賊みたいな会社だ。
実際に ジョブズ自身も自らのことを海賊とたとえ、IBM や AT&T のような大企業とで、就職先に迷っている優秀な若者を Apple に引き入れるために、「なんで海賊になれるチャンスがあるのに そんなにつまらない海軍に就職しようとするんだい」とけしかけている。
ジョブズは、人類のテクノロジーの進歩に貢献しなかったのはもちろんだが、聖人君子でもなかった。 この本にも生々しく書かれているが、23歳の時に付き合っていた女性を妊娠させ、父親になることを拒み、母娘とも捨てている。 自分が養子として、実の母親と父親に捨てられたように。
そして養育費の支払いの裁判を起こされるのだが、裁判では自らの友人に当時の彼女の交友関係を証言させ、彼女がジョブズと付き合っていた時も他の男と寝ていた売女で、娘は自分の子供ではないといい放っている。 後に DNA 鑑定でジョブズが父親であると証明される。 娘の名前は Lisa で、ジョブズは何を血迷ったか、後に Apple で作ったコンピュータに Lisa という名前をつけている。
ジョブズはあの有名なセリフ「残りの人生も砂糖水を売ることに費やしたいか、それとも世界を変えるチャンスが欲しいか?」で、自らがペプシコーラから引きぬいたジョン・スカリー氏と、後にドロドロの権力闘争を繰り広げるのだが、そのときの描写も生々しい。 ジョブズはスカリーに会社を追いやられてしまうのだが、追放されたジョブズが作った NeXT という会社が、Apple のビジネスと競合するということで、スカリーに嫌がらせの訴訟まで起こされている。
なんとも波乱万丈な人生を送ったジョブズだが、彼の作った Apple は世界一の時価総額を有する企業となった。 彼は世界一の会社を作ったのだ。 この本には、ジョブズのさまざまな人間関係が鮮やかに描かれているし、また コンピュータ業界の歴史を知るための本としても秀逸な出来となっている。 訳も申し分なく、ついつい引きこまれてしまう。 これはこの秋に間違いなく読まなければいけない本である。
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