ぢろーらものおもちゃ箱:引っ越し後

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

地震のとき、都内での帰宅難民、街の様子

2011-03-14 20:20:05 | 災害

大地震のあった11日金曜日から3日が過ぎました。被災地の被害はまだまだ全貌がわかりません。今は1人でも多くの方が助かっていることを祈ります。

前回のブログでは義援金の案内、前々回は阪神大震災時の教訓の記事をあげました。(どちらもmixiにはあげてませんでした。また、阪神大震災時の教訓については、いろんなところから同様の記事がだいぶ広まったのようなので一旦公開を取りやめました)

今回は、都内にいたぢろーらもの金曜日から土日について書いてみます。

□3月11日(金):大地震発生当日

地震発生時、ご多分にもれずぢろーらもも普通に仕事をしていました。「ん?なんか揺れてるな・・・いつになく大きいな・・・」と思ったら、ぢろーらもが今まで経験したことがないくらいものすごく大きく揺れ始めました。さすがに社内でも「これはやばい・・・」ということになりました。まだものが倒れたりとか、立てなくなるほどの揺れではなかったので、みんな本棚とかおさえたりしてました。なんか、外の標識とかも揺れてる・・・。

さすがに中で会議やってた方々もそれどころではなく、部屋の外に出てきました。

揺れがおさまってからyahooをみると、そのときの速報では宮城県で震度6強となっていました。この数字を見るだけでも「相当大きいな・・・」と感じていましたが、そのときはまだ、日本観測史上最大、未曾有の大惨事になっているとは思いませんでした。

あとで聞いたら東京は震度5強。基本的に東京から出ないぢろーらもとしては、今までの人生で経験した中で一番の地震でした。というか、都内に住んでたらそういう人がほとんどかとは思います。

そのあとも余震がたびたび続きましたね。あまりよろしくはないのですが、少し大きいのがきたときは反射的に階段駆け降りて外に出てしまいました。

その後もかなり怖いな・・・とは思いましたが、その後の余震はそれほどでもなく、どうにか仕事を続けていました。

そして、夕方になって会社にあるテレビを見たときに、ちょうど映っていたのは大洗の津波の状況でした。みんな呆気にとられていました。もちろん、その後宮城の津波の様子をみて、もっと驚くわけですが・・・。

さて、だとすると我々としては早めに帰らないといけないな・・・と考えますが、案の定東京都内の電車はすべてストップ。当日は復旧のめどが立たないだろう、という情報がはいってきました。

次のぢろーらもが考えたこと、それは・・・。

「じゃ、歩くか。。。」

です。ホテルに泊まるよりは自宅に帰りたいし、きっとホテルは満員・・・、それに、かつて酔っ払って終電逃してタクシーで帰ったことあるけど、たしか8000円以上かかりました。多分大渋滞でしょうし、ここでタクシー、というのはさすがにありえない、と思いました。

ぢろーらもの職場は新宿。平和島の自宅までは17~18kmです。以前妻が「自転車でぢろーらもの会社まで行って、大久保のコリアンタウンでサムギョプサル食べようよ」なんて話していて、それを行ったおかげで、そのあとも何回か会社に自転車で行ったおかげで、「超ド方向音痴」のぢろーらもでもだいたいの道はわかっていました。自分の足で3~4時間かな・・・だったらぢろーらもだったら大丈夫だな・・・。

そして、18時10分ごろでしょうか、会社をあとにして、ちょっと小走りで家路へ急ぎました。当然ですが、この日は鉄道が全く機能せず、多くの方が帰宅難民になったため、途中の道はいつになく大勢の人が歩いていました。ぢろーらもは通りやすい道から彼らを追い抜いてスタスタと走っていきますが、最近有酸素運動もまともにしていないぢろーらも、すぐに息があがり、足も筋肉痛になってしまいました・・・。

それでも、途中歩いたりとまったりしつつ、どうにか21時10分ごろには家に着きました。平均して6km/hか・・・、まあ、途中とまったり、動きにくいところとかもあったし、荷物も持ってたから、それにしてはまずまずなのかな・・・。

途中の道のりですが、やはり気になるのは妻と妻の家族のことです(ぢろーらもは一人っ子ですし、両親もすでにおりません)。mixiで妻の職場近隣の方々の無事は確認できていたので、「妻も大丈夫だろうな・・・」とは思っていたのですが、やはり気にはなります。妻にも妻の実家にも何回も電話をしますが全然つながりません。そして、何十回目かでようやく妻につながりました。妻はまだ仕事中でした。ただ、声を聞けて、無事を確認できたことで安心できました。

2回目に妻につながったときですが、妻も当然電車では帰れませんでした。結局、「渋滞を覚悟で会社の車を借りて帰ってくる」ということで了承をいただいたようです。主幹道路はほとんど動いてなかったけど、まあどうにか夜中には帰ってこれるかな・・・あとは待つしかない・・・。

ぢろーらもは自転車で妻の実家の様子を見に行きました。実家のお店は営業中、義弟2人、義父母とも無事だったので安心しました。

ぢろーらもが家に帰ってきた時点ですでにおなかはぺこぺこです。でも、やっぱり今日は特に、妻といっしょにごはんが食べたい・・・そう強く思ったので、当然のことながら妻の帰りを待つことにしました。

そして妻が帰ってきたのは22時30分すぎ。思ったより早かったようです。その後、妻の実家で食事をし、帰ってきました。

□3月12日(土)~13日(日)

さすがに疲れましたし、テレビも災害関連のものしかやってませんね・・・さすがにあまりやることもありませんね・・・。東京にいてもやはり余震は怖いですし、とにかくテレビで放送される惨状に言葉もありません。

いろいろな情報交換だったり、無事の確認だったりでmixiは非常に役立つな・・・と改めて思いました。

土曜日は仕事で、しかももろもろの調整とかでヘトヘトになっていた妻。この日はさすがに夕飯を作る元気はなく、2人で近所の居酒屋さんに飲みに行きました。もちろん、電気やガソリンは大切に使う必要はありますが、震災時だからといって経済活動が止まったら日本はもっと悪い状況になります。自分たちの嗜好のためではありますが、これはこれでよいと思います。まあ、これとは別に義援金は出していますが。

このときの居酒屋さんの紹介はまた別の機会にいたします。

そして、電力不足が計画停電が騒がれはじめました。え、停電するのか・・・。やはり我々もご多分にもれず、いろいろな情報を集めましたね。

節電、という意味ではマクドナルドさんとか各コンビニさんとかではかなり早い段階で実施が進んでいるように見えました。このあたりの対応の早さはさすがだな・・・と感心していました。で、夜に少し出かけたぢろーらも&なおですが、「節電している」、とは言い難い店を見ては「あそこの電気は切った方がいいよね・・・」なんて話をしていました。まあ、だからどう、ということではないんですけど・・・。

東京タワーのライトアップを取りやめていたり、看板の照明を控えているところが多いこと、ガソリンスタンドが非常に混雑していて、ガソリン売り切れのところが続出していることを除くと、東京の街はあまりかわらないようにも見えました。

どうも我々の住む大田区大森北は計画停電の対象から外れているようです。ただ、あくまで「14日は」というだけで、今後どうなるかは全くわからず、「停電になったらどうしようか」という話を2人でしていました。

続きは別記事で書きます。