ぢろーらもは幼少のころピアノを習っていました。ただ、なんでピアノなんぞ習ったか、というと「かっこいい!弾いてみたい!」という前向きな理由ではありません。
当時、ぢろーらもの伯母がピアノの先生をやっていて、毎週土曜日になるとぢろーらもの家のとなりにある祖父母の家へ来て、お弟子さんをもってピアノを教えていました。小学校1年生くらいから、大学生くらいまで十数人はいたと思います。
そんなわけで、両親からも「せっかくだから教えてもらえ」ということで、いやいやではあったのですが習っていました。
頻繁に祖父母の家に出入りしていたぢろーらも、鍵盤に振れ始めたのは多分小学校あがる前だったと思いますが、いやいややってるぢろーらも、本当にやる気がなく、全くといっていいほど練習はしませんでした。
ご多分にもれずバイエルの上巻からやるわけで、最初にある右手の「ドレドレドレドレドー」とかあたりは誰でも初見でできますが、上巻とはいえ進んでいくとだんだん難しくなります。さすがに当日だけの練習ではなかなか弾けません。
他の生徒さんとの時間調整をどう決めていたかは覚えてないんですけど、来た順番に近い感じで弾いてたかな・・・。そうすると、同じ時間に複数の生徒さんが同じ場所にいることもあります。そこでやってた「音楽記号を覚えるためのかるた」とかは割と楽しんでやってました。たとえば「ト音記号」といったら、ト音記号が書いてあるカードをとればいいわけです。そのほか、マグネットの丸いやつを五線の上にくっつけて音を覚えたり、そんなことも取り入れて練習してました。そっちの遊びとかは好きだったんですけどね・・・。
なんか、ぢろーらもは他の生徒さんからは「おじゃまむし」と言われてました。まあ、ただ単にひっかきまわしてるだけだしな・・・。
当然ピアノが上達するわけもなく、全く面白くないぢろーらも。「かわりにスイミングをやる」という条件で、ピアノをやめることができました。
ただ、「お風呂嫌い?カラスの行水」にもあるように、泳ぎに関しても全くやる気のない、というかこっちは全く向いてないぢろーらも、こちらも全く上達しません。こちらも、仮病を遣って逃げるなどが多くなり、1年ほど(実質どんくらい行ってたかな・・・)で辞めることになりました。そして、スイミングを辞める条件となったこと、それは「ピアノを再開すること」でした。
それでもピアノはやっぱりいやいや練習。あまりに練習しな過ぎて、よく両親からは怒られました。それでも、かなりノロノロではありますが、少しずつ上達し、バイエルも上巻を卒業できました。
やっぱりバイエルって面白くはないですね。まあ、あくまで練習ですからね・・・。「もっと好きな曲が弾きたい」といっても、バイエル卒業まではバイエルに極力専念することになりました。バイエルも下巻になるとたまに「メヌエット」みたいに知ってる曲も出てきたりして、そのときはちょっと楽しかったかな、という記憶はあります。
生まれつき不器用なぢろーらも、やっぱり指は思うように動かないのですが、「絶対音感もどき?」にもあるように、ある程度の音感は身につきました。
小学校6年生になり、多少バイエルも終わりに近づきました。といっても、まわりの同年代はみんなバイエル卒業してるな・・・やっぱりまじめにやってる女の子たちは違うよね・・・。
小6のとき、当時流行っていたドラゴンクエスト(初代)のクラシックのテープを買いましたが、そこにピアノの楽譜もついていました。片手の楽譜しかついてないものも多いけど、ラダトーム城のテーマとか街のテーマとか、両手の楽譜あってきれいに弾けそうだな・・・。
その二曲に関しては「バイエルもまじめにやる」という条件で、伯母が教えてくれました。ああ、やっぱり自分の好きな曲が弾けたほうが楽しいな・・・。
そうして、ぢろーらもがバイエルを卒業できたのは中学にあがってからでした。おそっ!
そのあとはブルグミュラーのアラベスクとかやったかな・・・そのあたりの曲をやってから、モーツァルトのトルコ行進曲を弾かせてもらえることになりました。実はぢろーらもがピアノを始めてから「いつか弾きたい」と思っていた念願の曲がトルコ行進曲でした。
細かいところの指が全然動かないぢろーらも。やっぱりこの曲は苦労します。なかなか伯母に合格させてもらえずに、かなり途中めげそうにもなりましたね・・・。
そして、どんくらいやったかな、何カ月か練習してやっとあがれました
まあ、今は完全に忘れてしまいましたし、覚えてたとしても全く指が動きませんけど・・・(汗)
そして、「自分の好きな曲が弾けるようになった」ということが自信となり、ピアノを弾くのが非常に楽しくなりました。伯母にみてもらう曲も「ノクターン」「小犬のワルツ」などのメジャーな曲になりました。あと、自分でよく弾いていたのはやっぱりゲームミュージックですかね。ドラゴンクエストのほか、ウィザードリー、イース1、3あたりはけっこうはまってました。
練習する時間は一日1時間ほどなので、音大目指している人とかとは全く比較にはならないんですけど、自分自身が楽しめるようにもなりましたし、そのくらいになるとクラスの合唱の伴奏くらいは簡単な曲であればこなせるようになりました。もちろん、他の生徒に比べるとかなり下手くそではありましたが、仕方ないので腕力をいかして「パワフルな弾き方」を心がけていました一応、インパクト持たせられるかな・・・もちろん、曲によって、ですけど・・・。
ぢろーらもが高校1年を終わると同時に、伯母がピアノの先生を辞めたため、ぢろーらもはたまに伯母の家まで行って教えてもらってました。
最後にやってたのはベートーベンの「月光」です。やっぱりぢろーらもが弾きたいのは派手(?)な第3楽章、しかし、やはり指が動かんぢろーらも、第2楽章まではあがれたのですが、第3楽章は途中になってしまいました。そして、高校3年生になって、さすがに習いに行く時間はなくなってしまったので、あとは空いた時間に自分で弾いていました。
あと、伯母が弾いていた「モーツァルトのピアノソナタ310番、第1楽章」とかも弾いてみたいな、と思って練習してみましたが、かなり悲惨な結果になってました。まあ、そんなもんか・・・。
ここまでどうにか順調に聞こえます(?)が、相変わらずぢろーらもは「耳に頼る」スタイルで練習をしていたため、楽譜を読むことが非常に苦手でした。簡単な曲でも初見はまず無理でしたね・・・・。
高校では部活で3年間合唱をやっていたわけですが、2年生でパートリーダになったにも関わらず、音取りのピアノ弾きとか先輩に任せて徹底的に逃げてましたからね・・・何の役にもたたねぇ・・・
さすがに合唱のほうでは基本的には歌のほうで戦力にされているので、へたくそなわたくしがわざわざ伴奏にまわる必要はありませんでした。新入生勧誘のときにちょっと伴奏した、とかそんなもんです。
大学生になってからは、「弾き語りやってみようかな・・・」なんて思い始めました。楽譜買ってきてメジャー曲を弾き語ったりしていました。けっこうよくやってたのは当時好きだった辛島美登里さんの曲ですかね。当時は時間があったので少々耳コピなんぞやってみました。けっこう気力がいる作業で疲れましたけど・・・。
ぢろーらもが社会人になり、さすがにあまりピアノを弾く時間がなくなりました。当時の家住んでいた家は目の前は駐車場だったので比較的練習はしやすかったのですが、しばらくしたらそこに普通の家が何軒もたったのでピアノの練習はやらなくなりました。そして、ちょうどそれが結婚のタイミングとも相成り、その部屋で妻といっしょに暮らすことになったので、家にあったピアノは富士楽器さんに売ることになりました。
10年以上ピアノにも触れることなく生活してきましたが、去年何を思ったか、家に61鍵のキーボード買っちゃいました。たまに弾けたらいいかな・・・ってのもありましたが、「新丸子紅白歌合戦:2010年12月31日」にあるとおり、ちょっと弾き語りなんぞまたやってみたくなった、というのもあります
一年に一回くらい、こういう機会があってもいいかな・・・もちろん、次の年末の話なのでまだ一切ノープランですが・・・
最後になりますが、10年以上もこの出来の悪い、やる気のないわたくしの面倒を見てくれた伯母さん、ありがとうm(_ _)m
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