実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

九谷焼の謎とロマンにせまる!!

2013年05月16日 | 日記

隊員NO.5いくので~す(^_^)v

 

わたしは5月9日(木)19時30分から加賀市市民会館で行われた

加賀市観光ボランティア大学第3回講座 これであなたも九谷焼博士

-こだわりの人 吉田屋伝右衛門-」に隊員NO.7ゆっこと2人で参加しました。

講師は石川県九谷焼美術館副館長の中矢進一先生でした。

先生は学生時代に落語研究会に所属されていたそうで、とっても楽しく

ユーモアを含めて、しかも詳しく九谷焼の魅力について教えてくださいました。

中矢進一先生、本当にありがとうございました!!

何といっても私たちが住む加賀市は「古九谷発祥の地」です。北陸の人里から遠く離れた

九谷の地で、世界の人びとをアッと驚かせるような陶磁器が生み出されたのです。

「なぜ、冬には雪に埋め尽くされる山深い九谷の地で九谷焼が焼かれたのか。」

「1655(明暦元)年に始められた九谷窯がわずか50年で廃止になったのは

なぜか。」「九谷焼がよみがえり、今では現代アートとして人びとに親しまれ、

歴史を刻んできた背景に何があったのか」など、大聖寺の豪商吉田屋伝右衛門

お話をふくめ、中矢先生から本当にたくさんのことを教えていただきました。

先生からは、大聖寺藩にかかわるすごくビックリする逸話もたくさん教えて

いただきましたよ。

九谷焼が加賀市で誕生したのは、加賀百万石の文化があったからこそです!

そして2年後の2015年には、まるで北陸新幹線開業とあわせるかのように

古九谷窯開窯360年を迎えます。

明日から、「九谷焼」について勉強させていただいたことをご報告します。

よろしくお願いしま~す!!

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愛染寺・「薬師如来」と「愛染明王」

2013年05月15日 | 日記

隊員NO.2ゆきちで~す(^_^)v

(←クリック!「愛染寺ホームページ」につながります。)

片山津温泉「愛染寺」で、ご住職・竹内秀岳さんに教えていただいた

ことをレポートさせていただきます。

「愛染寺」にはたくさんの仏様がおいでますが、ご本尊は「薬師如来」さまです。

薬師如来は、その名の通り医薬をつかさどる仏様で、医王という別名もあります。

病気を治し、安楽を与えて下さる仏様として、昔から信仰を集めてきました。

ですから、薬師如来さまは左手に薬壷を持っているんですよ。

「愛染寺」薬師如来さまは、片山津温泉が開湯して以来、湯治に来た方々の願いを

叶えてくださっているのでしょうね。わたしたち実高ふれ愛隊も「健康でいられますように」

薬師如来さまにお願いをしました。

そして「愛染寺」の護摩(ごま)堂には「愛染明王」さまがおいでます。

←護摩堂は現代的なつくりなので、ビックリでした!

愛染明王」さまは他の明王さまと同じように忿怒相(ふんぬそう)と呼ばれるとっても

怖い顔をされています。怖い顔で悪いものを蹴散らしてくださるのです。

そして愛を表現したそのお体は真っ赤な色をされています。

愛染明王は、人間の煩悩としての愛欲を、そのまま仏の悟りに変えるすごい力をもった

明王で、人びとの愛を叶えてくれます。ですから、昔から愛染明王

「恋愛・縁結び・家庭円満」にご利益がある仏として、信仰を集めてきました。

また「愛染=藍染」と解釈されて、染物・織物職人の守護仏、さらに愛欲を否定しないこと

から、古くは遊女の信仰の対象にもなったといいます。

「愛染寺」には若い女の子に絶対おすすめのおしゃれでユニークな絵馬があります。

その絵馬を「一心絵馬」といいます。真っ赤なハートの部分に「縁結びや就職祈願」などの

お願い事を書いて、絵馬にはめ込んで奉納すると願いが叶うのです。

はめ込み式の絵馬は日本でも「愛染寺」だけだそうですよ。

昨年あたりからネットで一心絵馬」の噂が広がり、一心絵馬」を奉納されるために

全国の若い女性の参拝者がドンドン参拝されているそうです。

わたしたちが見学しているときにも、20歳くらいの女性が2人でいらしてました。

山口美幸さんはお二人を曼荼羅(まんだら)の世界をあらわす9つの素敵な

ステンドグラスがある護摩堂に案内されていましたよ。

みなさん、恋愛を叶えたいなら、加賀片山津温泉愛染寺にきてください!!

きっと、すてきな彼氏と巡り会えますよ~!!

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愛染寺に残る片山津温泉の歴史・「大坂掘り」

2013年05月14日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す(^_^)v

(←クリック!! 愛染寺ホームページにリンクします!)

昨日のブログでご紹介させていただいた片山津温泉の守護寺「愛染寺」

には全国に誇れるとっても貴重な物があります。

それは、片山津の温泉を柴山潟の湖底から掘り出すときに使った

「大坂掘り」の道具です。

この「大坂掘り」の道具は全国で2例しか現存していないそうですよ。

愛染寺にあるのは、湖底から温泉を掘り出すための鉄の棒・梯子(はしご)・

鉄製の楔(くさび)・滑車・配水管として使った木管などです。

大坂掘り」とは、梯子状の櫓(やぐら)を建て、梃子(てこ)を使って重い鉄棒を

持ち上げ、その後に鉄棒を自由落下させて地中を突き刺す井戸工法の

ことです。鉄棒の下端は鏑(かぶら)と呼ばれる矢印形のもので、継ぎ足し用の

鉄棒を次々と足して、地下約30mまで掘ることができたそうです。

大坂掘り」は、18世紀初頭以前に大坂で考案されたようですが、

考案年代や考案者などについては詳しいことがわかっていないそうです。

大聖寺藩が作成した1799(寛政11)年1月の『聖城怪談録』の

「慶徳寺井戸より火出る事」に、1785(天明5)に慶徳寺(加賀市大聖寺本町)で

鉄棒を地下約14間(約25.2m)まで打ち込んで掘抜井戸(自噴井戸)を

掘ったことが記されていますので、加賀地方には18世紀後半より以前に

「大坂掘り」が伝わっていたと考えられています。

片山津温泉の人びとは温泉井戸を掘るために、1882(明治15)年6月、

「大坂掘り」名人として有名だった森仁平を今の金沢市観音堂町から招きました

片山津温泉山中や山代に比べると、開湯の歴史は浅いのかもしれませんが、

温泉を掘ったときの歴史がこの目で確認できるのがすごいですね。

ご住職の竹内秀岳さんは「先人の苦労を後世に伝えていかなくては・・・」と、

お話しされていました。

森仁平は温泉を掘った後、姓を湯出に改め、旅館業に転業して「湯出旅館」を

立ち上げました。ご住職・竹内秀岳さんは愛染寺のブログ(2011年7月19日および

11月24日)で「大坂掘り」による温泉掘削工事の様子や明治時代の片山津温泉

様子が分かる史料をご紹介されていますので、転用させていただきました。

「愛染寺」って、すごいですね。

みなさ~ん、片山津温泉の守護寺・「愛染寺」をどんどん訪問してくださいね!!

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片山津温泉の守護寺・「愛染寺」

2013年05月13日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す(^_^)v

(←クリックしてください。「愛染寺ホームページ」につながります。)

5月7日(火)の課題研究の時間、片山津温泉の守護寺で

片山津のみなさんから「お薬師さん」と親しまれている「愛染寺」

ご住職の竹内秀岳さんにご案内いただきながら、見学しました。

ご住職、本当にありがとうございました。

「愛染寺」片山津温泉街を一望できる片山津で一番高いところにあります。

趣きがある石階段を60段ほど登ると、そこが「愛染寺」の境内です。

霊峰白山や柴山潟を望める素晴らしいロケーションですよ。

正面には本堂、右手にお寺とは思えないほど現代的な護摩(ごま)堂、そして

左手に納骨堂があります。

片山津温泉は1653(承応2)年大聖寺藩二代藩主・前田利明が、

鷹狩りで水鳥が柴山潟に群れているのを見て、柴山潟から温泉が

沸き出ているのを発見したのがはじまりだといわれています。それ以降、

幾人もの人々が水面の埋め立て工事を試みましたが失敗続きで、

ようやく願いが叶ったのは1882(明治15)年だったそうです。

それが片山津温泉の始まりです。温泉宿が建ち、湯治に訪れる人も増え、

温泉町としての片山津の町ができてきましたが、温泉を守るためのお寺がありません。

そこで「お薬師さんが必要」と立ち上がった片山津の人びとがいろいろと探し、

明治25年、金沢から「愛染院」を迎えることになったのです。それが

『瑠璃光山 愛染寺』となり、以来百三十年余り、片山津温泉の守護寺として

親しまれてきたのです。温泉って、「病気やケガを治したい!疲れをとりたい!

少しでも健康でいたい!」という人びとの願いと結びついているのですね。

1969(昭和44)年5月18日、片山津温泉は大火事に見舞われました。

今年は大火事から44年目。愛染寺の本堂では18日に「鎮火法要」が営まれます。

「愛染寺」って、片山津温泉とともに歴史を刻んでいるお寺なのですね。

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「片山津かるた」・片山津のことが全部分かります!

2013年05月12日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す(^_^)v

 

芸者検番「花館」で、片山津うきうきガイドの山口美幸さんから、

「加賀片山津かるた」のことを教えていただきましたので、

みなさんにご紹介します。たとえば、

て・・・「天からの 手紙が読めた 宇吉郎」

な・・・「中の島から與の島 湯の開発は 橋伝い」

め・・・「明治から 埋め立て続けた 温泉街」

も・・・「もう夏だ 潟面にガガブタ 雪の花」

ろ・・・「六名者(ろくめいもん) 私財投げうち 湯の開発」

というふうに、かるたを見れば片山津のいろんなことが

たちどころに分かるすぐれものです。

 

この「加賀片山津かるた」長年、片山津に住み、片山津の発展に

努めてこられた方々が集まり、読み句の作成から取り札の描画まで

こだわりぬいて作られたかるたです。このかるたで、子どもたちは

楽しみながら片山津の歴史や文化を知ることができます。そして

かるたには、自分たちが生まれ育った片山津の町に愛着を持って欲しいと

いう大人たちの思いが込められています。かるたには解説書も付いていて、

「ほぉ~、そうやったんけ!」というような新発見もたくさんあります。

解説書には関連マップも付いています。観光客の皆さんにとっても

名所巡りのガイドブックの役割をしてくれるはずです。かるたが入っている箱も、

片山津温泉ならではの「晶子染め柄」にこだわり、上質ですてきな箱ですよ。

今回私たちの講師を務めてくださった山口美幸さんは、

おなじみブログ「IIGAINE 片山津温泉」で、

片山津温泉の魅力を毎日発信されておいでます。そして

片山津のことだけでなく、加賀市の話題をいつもたのしく伝えておいでます。

みなさんブログ「IIGAINE 片山津温泉」を訪問してくださいね! 

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片山津温泉芸妓検番「花館」

2013年05月11日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す(^_^)v

5月7日(火)の課題研究の時間、「源泉豆腐」体験の後、

片山津温泉うきうきガイドの山口美幸さんにご案内いただいて、

芸妓検番「花館」の館内や展示を見学しました。芸妓検番

片山津温泉の芸妓さんたちが踊り・三味線・鼓・唄などの芸の練習をする

場所として1920(大正9)年に建てられました。

昭和40年代には片山津温泉に30軒の置屋があって、

約400人近い芸妓さんがここで「ハイ、あなたは矢田屋さん。あなたは森本。」

という具合にスケジュールの調整をしていたそうです。

玄関先の天井には稲荷提灯がずらりとならんでいて、芸妓さん一人ひとりの

源氏名が入っていました。また芸妓さんがたくさんいたころの写真が

展示されています。

2階は大正ロマン風の60畳の大ホールです。天井は折り上げ格天井になっていて、

広々としていました。かつては畳をはずしてダンスホールとしても使ったそうです。

芸妓さんたちが毎日カラ拭きしていたステージは今でもピッカピカに輝いていました。

そして展示コーナーにはおもしろいものがいっぱいでした。

芸妓さんがお座敷にあがるときに使った芸妓札。お仕事に入るときには黒を赤に

ひっくり返して使いました。そしてお正月に片山津の芸妓さんが必ず身に付けた

黒留袖と高島田。すごくキレイでしたよ。それから、実高ふれ愛隊のイチ押しは、

♨(温泉マーク)の形をしたガラス障子の桟です。観光客のみなさんも、

この♨(温泉マーク)を見て、喜ばれるそうです。

みなさん、片山津温泉に行かれたら、芸妓検番「花館」を是非見学してくださいね!

風情のある赤のベンガラ格子が目印。年中無休ですよ。

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「源泉豆腐」つくり体験(片山津温泉「花館」)

2013年05月10日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す(^_^)v

5月7日(火)の課題研究の時間、片山津温泉芸者検番「花館」

「源泉豆腐」つくりに挑戦しました。講師は検番「花館」の中にある

茶房「冨久紗」の女将・下口さんでした。下口さん、ご指導ありがとう

ございました。

片山津温泉の源泉は、ナトリウム、カルシウム、塩素成分を多く含んだ

ちょっとしょっぱい温泉です。そして片山津のお湯には、ふつう豆腐を作る

のに使う天然にがりの主成分である塩化マグネシウムやカリウムが

いっぱい入っています。ですから、片山津温泉「源泉豆腐」

にがりを一切使わず、豆乳と源泉だけで作ることができるんですよ!

まず豆乳250ccに片山津温泉の源泉50ccを加えて、静かにかきまわします。

火をつけたら鍋の底に豆乳が沈殿して、こげつかないように、

スプーンで底をゆっくりこすります。豆乳が焦げてしまったら失敗なので、

少し緊張しました!すると少しずつ豆腐の固まりが浮き上がってきました。

どんどん豆腐状に形ができあがってくるので、ワクワクしました。楽しい~!

形ができたら、もう完成です。鍋から水切り網で小皿に取り出して、

豆腐をいただくことができます。下口さんは「熱いから気をつけてね。

最初は何もつけずに、そのまま食べてみてください。豆腐本来の素朴な

味わいとフワフワな食感が楽しめますよ。」と教えてくださいました。

まずは何もつけずにそのままいただきました。「わぁ、豆腐や!」って、

あたりまえの感想が飛び出しましたが、それぐらいかんたんに

できちゃったんです。

そのあと、片山津の近くの伊切町でとれた天然塩や醤油をつけて

食べたら、これまたおいしかったです。

豆腐をたべたあとのお汁も全部飲んじゃいました。

 

わたしは片中出身なのですが、「源泉豆腐」をつくるのは初めてで

とっても楽しかったです。みなさんもどうぞ片山津温泉「源泉豆腐」

体験してください!!

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片山津温泉街湯カフェ・「イタリアンまちバーガー」

2013年05月09日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す(^_^)v

5月7日(火)の課題研究の時間、片山津温泉街湯の

2Fにある街湯カフェでランチをしました。私たち7人がいただいたのが、

片山津温泉名物「片山津バーガー」の一つ「イタリアンまちバーガー」です。

残念ながら、この日はとても風が強くて、テラスに出て食べることが

できませんでしたが、みんなで素敵な柴山潟を一望しながら、

舌鼓を打ちました。

柴山潟は以前は今の3倍の大きさがあって、人びとは船を使って行き来したり、

品物を運ぶのが当たり前だったそうです。冬にはカモやコハクチョウが

たくさんやってきて、柴山潟は水鳥たちの楽園になるそうですよ。

さて、「片山津バーガー」とは、片山津温泉の高濃度の塩泉で作った温泉卵

「湯の花たまご」を使ってつくることが条件のハンバーガーのことです。

現在温泉街の洋食店や居酒屋店で全部で7種類もの片山津バーガー」が

提供されていて、片山津訪れる観光客の皆さんに大人気です。

街湯カフェの「イタリアンまちバーガー」以外にも、

「カモ治部焼バーガー」(味屋だんご)、「シュ・ラスコバーガー」(SHU/LASCO)

お好み焼バーガー」(なか伸)、「バイカーズバーガー」(PINE DINER) 、

「ばーがーどーね」 (ぱんどーね)、「男前バーガー」(村カフェ アレ・コレ)が

あるそうですよ。みなさんもいろんな「片山津バーガー」を食べてみてくださいね!!

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片山津温泉って、とっても楽しい!!

2013年05月08日 | 日記

隊員NO.2ゆきちで~す(^_^)v

5月7日(火)の課題研究の時間、実高ふれ愛隊7人で、

片山津温泉を訪問して、片山津の魅力を満喫してきました。

わずか3時間の小旅行でしたが、片山津は本当に楽しかったですよ!

まず行ったのは、片山津温泉街湯です。お目当ては、2F街湯カフェの

イタリアンまちバーガー」。おしゃれで、ボリュームも満点。

お腹いっぱいになりました。

つぎに、片山津温泉芸者検番「花館」に行って、名物「源泉豆腐」づくりに

チャレンジしました。検番「花館」内の茶房「冨久紗」の下口さんに、とても

丁寧に源泉豆腐」の作り方を教えていただきました。

豆乳に片山津温泉の源泉を加えて作る「源泉豆腐」は、そのまま食べても

伊切でとれた天然塩や醤油をつけてもとってもおいしかったです。

その後、片山津うきうきガイドの山口美幸さんに、検番「花館」の2階を

ご案内いただきました。山口さんにご紹介いただいた「片山津かるた」は、

絵を見ているだけで片山津の歴史や魅力が分かるすぐれものでした。

そして片山津温泉の守護寺である愛染寺では、ご住職竹内秀岳さんから、

お寺の歴史や薬師如来様・愛染明王様のこと、そして境内にあるとても珍しい

品々について解説していただきました。

柴山潟の湖底から温泉を「大坂掘り」と呼ばれる技法で掘り出すために使われた

鉄の棒は日本国内に2例しかない貴重なものでした。また片山津温泉を掘削する

うえで最大の功労者であった近藤重人幸卽(ゆきさだ)さんのモニュメントは、

国内唯一の黒鉛(グラファイト)の石を用いたもので、素敵でした。

ご住職竹内秀岳さんには護摩堂(ごまどう)もご案内いただきました。

護摩堂(ごまどう)は、バリアフリー仕様で作られ、仏具にステンレスやステンドグラスが

使われていてお寺とは思えないほど現代的な設備で、ビックリしました。

いま「縁結び」に御利益がある愛染明王様がいらっしゃる愛染寺は、全国の

若い女性にとても人気があるんですよ。

明日から片山津温泉で見つけた魅力を、ふれ愛隊メンバーで順番に紹介させて

いただく予定です。よろしくお願いします!!

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加賀海岸の砂防林の秘密

2013年05月07日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す(^_^)v

 

加賀市観光ボランティア大学第2回講座で勉強した塩屋海岸のことを

レポートさせていただきます。

塩屋海岸は越前加賀海岸国定公園(延長16.5km)の一部です。

から片野にかけての4.3km(幅1km)にはとても白い砂浜が

続いています。この一帯は江沼砂丘ともいいます。

そして現在、砂浜に沿って青々とした広大な黒松の林が広がっています。

みなさん、加賀海岸になぜこんなに広大な松林が広がっていると思いますか?

実はこの松林には、冬に北西の季節風によって飛ばされる大量の砂(飛砂)

人びととの戦いの歴史が秘められています。

江戸時代中期まで、この辺りはひのき林があり、塩屋と片野の中間の沿岸部には

中浜村という集落もありました。しかし、木の伐採によって、飛砂が年々激しくなりました。

晩秋から初冬にかけての暴風により飛砂は空を覆い、陽も暗く、朝に山だった地形が

夕方には跡形もなるほど変わり果てていたそうです。

塩屋・瀬越・上木一帯は、江戸末期には一木一草も見ることができない砂丘になり、

田んぼや畑だけでなく、家屋までもが砂によって埋没し、人びとは内側への移動を

余儀なくされ、ついに中浜村は廃村になってしまいました。

また大聖寺川の河床に砂がたまり、ますます上流部の水害の危険性が高まったのです。

そこで当時の大聖寺藩の松奉行小塚藤十郎は、生涯をかけての植林に力を

注ぎましたまた塩屋村の肝煎井斎長九郎は私財をなげうっての植え付けを

行いました。しかし彼らの努力にもかかわらず、明治の初めには波打ち際より

5度の角度で内陸部に傾斜をなす荒涼とした砂漠になってしまったのです。

現在、塩屋海岸に見られる海浜植物は江戸時代に松林を作るための下草に

するため、北前船の乗組員が全国各地から持ってきて植えたものだそうです。

海岸の砂防と植林の国家事業が本格化したのは明治44年からです。

少しずつ少しずつ、海岸部に松林が広げられていきました。

今、加賀海岸の松林は、うっかりすると自分がどの方向に歩いているか

分からなくなるほど広大な面積になっています。でも現在の姿になるまでには

多くの人びとの血のにじむような努力があったのです。

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瀬越の北前船主と北海道・小樽の大鳥居

2013年05月05日 | 日記

隊員NO.4まこで~す(^_^)v

 

4月27日(土)に行われた加賀市観光ボランティア大学第2回講座で

瀬越町を訪問して、瀬越北前船の関係について勉強しました。

瀬越を代表する北前船主といえば、明治時代に活躍した

五世・広海二三郎(1854~1929年)と四代・大家七平(1865~1929年)

の2人です。不思議なことに2人は同じ日に亡くなったそうですよ。

2人はいち早く北前船に汽船を導入し、優れた洞察力と実践力でつぎつぎと

新しい事業にチャレンジしました。

そして2人の活躍の証が、なんと北海道の小樽市に残され、いまの小樽の

人びとに親しまれています。それが小樽住吉神社の大鳥居です。

Image小樽住吉神社の大鳥居(Googleより)

1898(明治31)年に、広海二三郎大家七平の2人が、船1艘を買い上げて、

広島県尾道から御影石を運んで、下関の石工を使って作らせ、寄贈しました。

明治のはじめ、北海道の開拓が始まり、多くの開拓移民が移住してきました。

北前船は、大阪と小樽の往復の間の寄港地で商売をしていました。

このため、海運の安全祈願と商売繁盛を願い、小樽で一番の住吉神社に

この立派な御影石の大鳥居を寄贈したのです。北前船では、大阪に荷物を運び終え、

帰ってくる時に荷物が入っていないと船が安定しないので、よく重たい御影石を

積み込んでいたそうです。

加賀と小樽はすごく離れているのに、北前船によってこんなに強く結ばれていたんですね。

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山中のお湯を飲むと美肌と若返りの効果がありますよ!!

2013年05月04日 | 日記

隊員NO.7ゆっこで~す(^_^)v

4月30日(火)の課題研究の時間、山中温泉総湯前の足湯に行ってきました。

やわらか~いお湯のおかげで、体もほっくほくにリラックスできました。

ところでみなさん、山中温泉のお湯を飲むとすごく効果があることが昨年発見

されたことをご存じですか?

金沢大学の廣瀬幸雄名誉教授の調査により、山中温泉の成分に

ダントツ日本一の水素」が含まれていることがわかったんですよ。

温泉1リットルあたりの水素量は604ppb。水素が多く含まれると言われている

秋田県・玉川温泉(70ppb)の8.6倍、鳥取県・三朝温泉(33ppb)の18.3倍、

大分県・湯布院温泉(28ppb)の21.6倍で、0.02ppbの水素を含む水道水の

なんと水の約3万倍の水素を含んでいるのです。

水素には美肌、老化防止、肥満解消、さまざまな生活習慣病の原因となる

「活性酸素」を取り除く効果があります。そして精神的なストレスを和らげたり、

体の疲れを取ってくれます。男湯の前にある「菊の露」にはお湯の効用を聞いた

多くの皆さんがいらっしゃってました。 

あの松尾芭蕉は1689(元禄2)年、「奥の細道」の旅の途中、

山中温泉に9日間逗留し、

「山中や 菊は手折らじ 湯の匂ひ」

と詠みました。山中の湯に浴せば、中国の菊茲童が集めた不老長寿の

菊の露を飲むまでもない」という意味です。

科学的にお湯の成分を分析できなった時代だったのに、芭蕉さんは山中温泉

泉質の素晴らしさを分かっていたのですね。

ゴールデンウィークも後半になりました。山中温泉でお湯に浸かるだけでなく、

おいしい温泉のお湯をぜひ飲んでいって下さい!!

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山中名物・きんとんパイおいしいですよ!!

2013年05月03日 | 日記

隊員NO.5いくので~す(^_^)v

4月30日(火)の課題研究の時間、総湯前の足湯につかって、

森光子一座記念館を見学した後、山中名物のきんとんパイを食べました。

とってもおいしかったので、みなさんにご紹介します!!

総湯前からゆげ街道をまっすぐ進むと、芭蕉の小径があります。

そしておいしいケーキで人気の高乃倉さんの前をもう少し進むと、

山中名物のきんとんパイを提供してくれる金森商店さんがあります。

ところで、みなさん、きんとんパイのことご存じですか?

きんとんパイは、くりきんとんをパイ生地で包みカラっと油で揚げたスイートです。

加賀市の小中学校の給食で時々出てくるので、30歳代より若い加賀市民の方には

おなじみの味です。きんとんパイが売られているのは、石川県内では加賀市だけですよ。

1個80円で山中の子どもたちにとって、おこづかいで買えるちょうどいいおやつなので、

人気があります。そして観光客の皆さんにもファーストフードとして注目を集めています。

お店では、金森商店の奥さんが「実高の卒業生がいつも来てくれるんですよ!」と

言われて、わたしたちを歓迎して下さいました。(実は、若鶏の竜田揚げもサービスして

いただきました。金森さん、ありがとうございました!)

きんとんパイはパイ生地がサクサクで、中に入っているくりきんとんがほんのり甘くて

絶品でした。やみつきになるおいしさです。(きんとんパイに夢中になって、写真を撮るのを

忘れちゃいました。ゴメンナサイ!)ソフトクリームもおいしかったです。

山中温泉ゆげ街道に行ったら、是非金森商店に行って、きんとんパイを食べてみて下さいね!

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森光子さんの楽屋が再現されています!(山中温泉)

2013年05月02日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す(^_^)v

4月30日(火)の課題研究の時間、4月27日にオープンしたばかりの

山中温泉・森光子一座記念館を見学させていただきました。

館内を元山中町長の田中實さんに、本当にご丁寧に案内していただきました。

森光子さんといえば、何といっても『放浪記』です。

館内には『放浪記』の舞台セットや森さんが実際に着用されていた舞台衣装が

いっぱい展示されていて、間近に見ることができました。

劇中、森さんが演じる林芙美子が喜びのあまり「でんぐり返し」をするシーンは、

2008年、森さんが87歳のときまで続きました。森さんは身長148cmの小柄な

体だったそうです。「『でんぐり返し』が出来なくなったら私は女優を辞める」

と言って、まわりの反対を押し切って「でんぐり返し」を演じ続けるくらい

すごい役者根性を持っていました。

森光子一座記念館には、森さんが帝国劇場で『放浪記』を演じられたときの

楽屋風景が忠実に再現されていて、びっくりしました。

森さんの交友関係はとっても広くて、SMAPをはじめ王貞治さん、北島康介さん

など芸能・スポーツ関係の皆さんについての展示もたくさんありました。

米倉涼子さんから贈られた花輪もありましたよ。

館内では、森光子さんと山中温泉のかかわりを紹介するビデオ上映もあって、

実高ふれ愛隊の7人も楽しく拝見しました。

田中さん、わかりやすく館内の解説をしていただきありがとうございました。

(プレゼントしていただいた山中温泉石川屋の炭酸せんべい、とてもおいしかった

ですよ!

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山中温泉・森光子一座記念館オープン!!

2013年05月01日 | 日記

隊員NO.2ゆきちで~す(^_^)v

4月30日(火)の課題研究の時間、4月27日に山中温泉本町2丁目に

オープンしたばかりの森光子一座記念館を見学させていただきました。

ゴールデンウィークなのもあって、わたしたちが訪れたときにも、

観光客の方々がぞくぞくと記念館に来場されていました。

そして実高ふれ愛隊のために、この森光子一座記念館を設立するために

大変ご尽力されてきた元山中町長の田中實さん自ら、本当にご丁寧に館内を

ご案内いただきました。田中さん、ありがとうございました。

森光子さんは皆さんよくご存じのように昭和を代表する大女優です。

「日本のお母さん」と言われていました。また2009年には国民栄誉賞を

生前授与されています。

森光子さんの代表作は何といっても、『放浪記』です。演出家の菊田一夫に

見出され、初めて主役・林芙美子役を演じました。劇中の「でんくり返し」はとっても有名です。

『放浪記』は1961年の初演から86歳になった2006年まで、計2017回も演じられました。

森光子さんは本名村上美津。京都生まれで、東京で仕事をしてきた方で、

山中温泉とは関係の薄い方でした。しかし、日本に数ある民謡の中で、『山中節』が

もっとも好きだったことから山中との縁ができたのです。

2002(平成14)年に山中温泉の中心に山中座を作る際、当時山中町長をされていた

田中實さんは「誰に名誉館長になっていただくといいかなぁ」と悩んでいたそうです。

そんなとき、ラジオから森光子さんが「日本の民謡の中で一番好きなのは、

とても唄うのが難しいけれども山中節です!」とおっしゃった言葉が耳に飛び込んできました。

田中さんはすぐに山中の温泉たまご50個と娘娘饅頭50個を持って、森光子さんの下へ

山中座の名誉館長をお願いします。」と依頼に行ったそうです。

でも、田中さんは多忙な森光子さんにお会いすることはできませんでした。

こんな田中さんも4回目の訪問で、初めて森さんに会っていただくことができたそうです。

それでも森さんは、「わたしには日本中に応援して下さる方々がいます。山中座のお話を

引き受けることは、他の皆さんにとって不公平になります。」といって、断られたそうです。

しかし、田中さんの6回目の訪問で、田中さんの熱意にほだされ、ついに森さんは

山中座の名誉館長を引き受けられたそうです。

森さんは10年以上にわたって山中座の名誉館長を務められました。

そして昨年11月10日に多くのファンに惜しまれながら、亡くなられました。

森さんとのこのような縁から、今回山中温泉に大女優だった森光子一座記念館

オープンしたのです。

記念館には森さんが芸能生活で使われた貴重な衣装や国民栄誉賞・文化勲章などの

貴重品が数多く展示されています。(明日、館内の様子をレポートさせていただきます。)

みなさん、このゴールデンウィーク森光子一座記念館は必見ですよ。

ぜひ山中温泉にいらして下さいね!!お待ちしてま~す!!

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