隊員NO.6れいなで~す(^_^)v
昨日のブログでご紹介させていただいた片山津温泉の守護寺「愛染寺」
には全国に誇れるとっても貴重な物があります。
それは、片山津の温泉を柴山潟の湖底から掘り出すときに使った
「大坂掘り」の道具です。
この「大坂掘り」の道具は全国で2例しか現存していないそうですよ。
愛染寺にあるのは、湖底から温泉を掘り出すための鉄の棒・梯子(はしご)・
鉄製の楔(くさび)・滑車・配水管として使った木管などです。
「大坂掘り」とは、梯子状の櫓(やぐら)を建て、梃子(てこ)を使って重い鉄棒を
持ち上げ、その後に鉄棒を自由落下させて地中を突き刺す井戸工法の
ことです。鉄棒の下端は鏑(かぶら)と呼ばれる矢印形のもので、継ぎ足し用の
鉄棒を次々と足して、地下約30mまで掘ることができたそうです。
「大坂掘り」は、18世紀初頭以前に大坂で考案されたようですが、
考案年代や考案者などについては詳しいことがわかっていないそうです。
大聖寺藩が作成した1799(寛政11)年1月の『聖城怪談録』の
「慶徳寺井戸より火出る事」に、1785(天明5)に慶徳寺(加賀市大聖寺本町)で
鉄棒を地下約14間(約25.2m)まで打ち込んで掘抜井戸(自噴井戸)を
掘ったことが記されていますので、加賀地方には18世紀後半より以前に
「大坂掘り」が伝わっていたと考えられています。
片山津温泉の人びとは温泉井戸を掘るために、1882(明治15)年6月、
「大坂掘り」の名人として有名だった森仁平を今の金沢市観音堂町から招きました。
片山津温泉は山中や山代に比べると、開湯の歴史は浅いのかもしれませんが、
温泉を掘ったときの歴史がこの目で確認できるのがすごいですね。
ご住職の竹内秀岳さんは「先人の苦労を後世に伝えていかなくては・・・」と、
お話しされていました。
森仁平は温泉を掘った後、姓を湯出に改め、旅館業に転業して「湯出旅館」を
立ち上げました。ご住職・竹内秀岳さんは愛染寺のブログ(2011年7月19日および
11月24日)で、「大坂掘り」による温泉掘削工事の様子や明治時代の片山津温泉の
様子が分かる史料をご紹介されていますので、転用させていただきました。
「愛染寺」って、すごいですね。
みなさ~ん、片山津温泉の守護寺・「愛染寺」をどんどん訪問してくださいね!!