今日はブログを書く予定は無かったのですが、
夕方からの仕事がドタキャンになり、時間が
取れたので、書くつもりになりました。
そしてテーマですが、寒い → 暑い場所がいい
→ ギリシャとかトルコに行ってみたい →
でも時間とお金が無い。
ですので、夏の思い出を書いてみたいと思います。
父の伝で、小学校入学前~小学校低学年の頃、
京浜急行富岡に何度も海水浴に行きました。
国道の北側にお寺があって、そこで着替えを
させてもらったり、水浴びをさせてもらったり、
挙句のはてにおやつまでもらったりしました
でもその頃の写真は無いんですよね、何しろ
50年以上昔の話ですから。
で、グーグルマップを見て驚いたのです
当時、お寺から国道を渡って、5分も歩かないで
海水浴場に着いたのですが、地図では住宅地。
それに高速道路まで通っている
お寺もなくなっているし、浦島太郎ですね
富岡の海水浴場で憶えているのは、
なにしろアサリが獲り放題
膝ぐらいの深さの海で、小さな手で砂を握り、
海水で洗うと2~3個は手の中に入っていたのです。
親子で海水浴をする日には、ボロボロのトランクを
持って行って、その中に収穫を詰めて、
家に戻ってくると近所におすそ分け
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これは日本ではなく、ハンブルクの北方にある
キール市、ドイツの軍港のある市ですね。
右上に赤丸で囲ってあるのがラーボエではなく、
ラベーという海水浴場です。
ここには僕の子供たちがまだ小さい頃、
毎年2~3回は行きました。
話をまた日本に戻して、高校の頃、内房富浦という
海岸に毎年行きましたが、ここも浦島太郎
地図を読むのは得意なのですが、あの海岸線が無い
それに富浦という駅もないし、それらしい所は全て埋め立てられて
いるではありませんか
まあそれでも思い出として書きます。
生徒たちだけで宿泊旅行をするのはまずい、
というので、先生が1人、監督で来たのです。
どうやらそこは、その先生が生徒の監督、
と称して毎年行っていたらしいのです。
監督の先生が付いてくるのはウザイ、と
思っていたら、先生は別の海岸で投網
先生の投網を見ていると、波は透き通ってきれいだし、
その波の中に魚が泳いでいるのが見えるのです
僕は競泳の選手のように泳げるわけではありませんが、
それでも1時間くらいでしたら泳ぎ続けていられます。
そこにいたのはそんな人ばかりだったのですが、
2年生の夏、1年下のYがその海水浴場に来ました。
そして僕たちは遠泳を計画、念のために大型手漕ぎボートを
伴漕用として借りて、そのYがボートを漕ぐことになったのです。
そこは小さな湾で、楕円形を2つに切った様な
形をしていて、1番奥が漁港、海水浴場は
楕円の下、端で、楕円の向かい側までの遠泳です。
まあ2kmくらいでしょうか。
泳いでいるうちに向こう岸が見えてきたのですが、
おそらくそこに行く交通機関が無いのでしょう、
誰もいない、白い砂浜が見えてきました
そして向こう岸の50mくらい手前で、
友人のOを中心に、何人かが冗談で、
伴漕ボートをひっくり返したのです。
みんなは無事に海岸に泳ぎ着いたのですが、
そのボートを漕いでいたYが、助けてくれ、おーい、
と叫んでいるではありませんか
最初、僕たちは冗談をしているのだと思い、
放っておいたのですが、やがてブクブク・・・
ヤベー、あいつ本当に泳げないんだ
1人だけで助けようとすると危ないので、3人ほど
救助に行き、無事助けることが出来たのですが、
助けた1人が怒っていました。
泳げないヤツが海水浴に来るなよな
何か変な理屈だな~
そして僕たちの監督に付いてきた先生は
破天荒な先生で、東京に帰る前日には僕たちに
千円札を1枚渡し、バケツを持って○○の店に行って、
サザエを買って来い、というのです。
どうやら先生はその店と馴染みらしくて、千円で
バケツ2杯分の、まだ生きたサザエを買えました。
夜になると焚き火をして、その上に金網を載せて
そのサザエを焼くのです
先生は、というと、一升瓶を抱えて茶碗酒
そして機嫌がよくなると、「おい、○○、飲め!」
高校生だから、と言うと、バカヤロー、と答えが帰ってきました
昔の話です。まだもう少し日本での海水浴の
話には続きがあるのですが、それはまたいつか。
話をドイツに戻して、ハンブルク~キール間は
アウトバーンを使い、車で1時間弱。そこから
ラベーまで時間帯によりますが、45分ほど。
朝8時にハンブルクを発つと、9時半にはもう
ラベーについています。
ラベーの海水浴場です。
ここは南のはずれ、ここから海水浴場が
始まります。建物は海水浴センター。
トイレも、シャワーキャビンもあります。
海水浴センターの手前にある、小さな箱型の
物は何かというと・・・
少しわかりにくいですね。
これはレンタルできる、籐で出来た、
ひさしの付いた2人用の安楽椅子です。
陽に焼けたくない人はひさしを出して、
足にタオルを掛けるのです。
レンタルできる、と書きましたが、貸す方も
どこにその安楽椅子があるか(バイトが多いので)
知らないんですよね。すると、番号で探すのですが、
見つけるまでに30分くらいかかるのはザラですね。
キール港を出発した大型客船です。
ブログを見てくださる皆様に、どうしようかと考えたのですが、
一応見ていただく方がいいと思ったので、ここに載せます。
第二次世界大戦のなごり、Uボートです。
これは公開されていて、中を見ることが出来ます。
僕たちも中を見たのですが、狭いですね。
閉所恐怖症の僕には・・・
これも同じUボート、上空からの写真です。
ラベーの海水浴場の北の端にあります。
これはその近くにある海軍記念塔です。
ドイツ人は戦争に目をそむけず、正面から向き合います。
これらの物は、戦争がいかに悲惨な物かを知ってもらう
為のものであるし、ハンブルク市の中心にも、空爆で
破壊された教会がそのまま残っていますよ。
これはラベー海水浴場の北の端。
海の色を見ていただくとわかりますが、
かなり遠浅の海岸で、面白いことには
部分的に少し深いところがあるのです。
でも大人でしたら肩の深さにも行きません。
ここから外がバルチック海です。
写真からはわかり難いと思いますが、
ヨットが何艘も走っています。
ここキールでは、5月にキール週間が催され、
メインはヨットレースです。
このように、食事も出来ますし、ビールも飲めますよ~~
海水浴場と、店の間に柵があるのがおわかりでしょうか?
海水浴券を買うと出入り自由ですが、券を持っていない方は、
柵から海水浴場にはいけません。
今回の写真は、全てグーグルより使用しています。
思い出話になってしまいました。
年をとったせいでしょうか。
今日もジージのブログを訪問していただき、
ありがとうございました。
では次回まで
ビーチパラソルよりずっと素敵です。
茶碗酒の先生が、なんだか人間らしくっていいですね。
Uボートだ~~!
まさか実物が見れる日がくるとは思っていませんでした。
思ったより大きく感じたのですが、中に人が乗るんですものね~。
フォルムも色もすっごく素敵です。
海軍記念塔、怖いです~。
なんか、高ーい刑務所みたいで暗いオーラ漂ってますね。
綺麗な海の写真がいっぱいで嬉しかったです。
今回も素敵な写真、たくさんありがとうございます。
Uボート、バルチック…妙な話ですが、そちらはホントにドイツなんだなぁと再認識しました
戦争の事実から目をそむけず、正面から向き合う…日本人もそうであってほしいです
ラベー海水浴場は綺麗ですねのんびり昼寝をしたくなります
ジージさんの学生時代のお話、楽しいエピソードがたくさんですね
破天荒な先生に学生さんたちも負けていないようですね
あの安楽椅子は実にいいのですが、記事に書きましたが、
借りると番号を頼りに探し回らなければならないのが欠点です。
親子4人でゆうに30分はかかりますから
Uボートは機能を追及したデザインだと言えるのではないでしょうか。
外見は大きいのですが、中には機械がびっちり詰まっているので、
かなり狭いですね。
映画、Uボート最後の決断、あの感じです。
海軍記念塔は、見ていて背筋がゾクゾクしますね。
まああまり良い印象は与えないと思います。
海辺で焼きイカとか焼きトウモロコシなど売っているといいのですが・・・
バルチック海は、何度も戦争の舞台になっていますね。
ナポレオン時代のイギリス対ナポレオン軍。
ロシア対フィンランド。ロシア対フィンランドの確執は長いですね。
作曲家、シベリウスがロシアの侵攻に反対して書いたのが
「フィンランディア」だ、というのは有名ですね
ラベーの海水浴場はのんびりしていていいです。
ただし、どこまで行っても遠浅なので、泳ぎたい人にはダメです
学生運動もありましたが、当時、高校、大学時代は、学生も
教師も型破りで面白い人が大勢いました。
色々問題もありましたが、教わる側、教える側、本気でしたから。
先日、特別篇や他のカテゴリーを拝読していたら
昨日の記事で久し振りの(ジージ節)が
アップされていたので驚きました(笑)
一年以上前の記事にコメントもどうかなとは思いますが
バケツ一杯のサザエが千円
こんな時代が有ったし自由にサザエも獲ってよかったころが
実はとても豊かな時代だったのですね。
この記事へのコメントにはちょっと驚きました。
当時は何事ものんびりしていましたね。
まあ学生運動もありましたが、教える側も、教わる側も、全てのんびりでしたから。
引率の先生も破天荒でしたが、以外にそのような先生は
多かった気がします。
サザエを買ってきたのはちゃんと漁業を通している店でしたよ~(笑)