ジージのドイツ散歩

散歩中に見た物を写真に撮って、記事にしています。

夏の暑い浜辺で

2013-01-18 | 思い出

                    今日はブログを書く予定は無かったのですが、
                    夕方からの仕事がドタキャンになり、時間が
                    取れたので、書くつもりになりました。
                    そしてテーマですが、寒い → 暑い場所がいい
                     → ギリシャとかトルコに行ってみたい →
                    でも時間とお金が無い。
                    ですので、夏の思い出を書いてみたいと思います。

     父の伝で、小学校入学前~小学校低学年の頃、
     京浜急行富岡に何度も海水浴に行きました。
     国道の北側にお寺があって、そこで着替えを
     させてもらったり、水浴びをさせてもらったり、
     挙句のはてにおやつまでもらったりしました 

          でもその頃の写真は無いんですよね、何しろ
          50年以上昔の話ですから。
          で、グーグルマップを見て驚いたのです 
          当時、お寺から国道を渡って、5分も歩かないで
          海水浴場に着いたのですが、地図では住宅地。
          それに高速道路まで通っている 
          お寺もなくなっているし、浦島太郎ですね 

               富岡の海水浴場で憶えているのは、
               なにしろアサリが獲り放題 
               膝ぐらいの深さの海で、小さな手で砂を握り、
               海水で洗うと2~3個は手の中に入っていたのです。
               親子で海水浴をする日には、ボロボロのトランクを
               持って行って、その中に収穫を詰めて、
               家に戻ってくると近所におすそ分け 

            ← クリックすると大きくなります

     これは日本ではなく、ハンブルクの北方にある
     キール市、ドイツの軍港のある市ですね。
     右上に赤丸で囲ってあるのがラーボエではなく、
     ラベーという海水浴場です。
     ここには僕の子供たちがまだ小さい頃、
     毎年2~3回は行きました。

          話をまた日本に戻して、高校の頃、内房富浦という
          海岸に毎年行きましたが、ここも浦島太郎 
          地図を読むのは得意なのですが、あの海岸線が無い 
          それに富浦という駅もないし、それらしい所は全て埋め立てられて
          いるではありませんか 

               まあそれでも思い出として書きます。
               生徒たちだけで宿泊旅行をするのはまずい、
               というので、先生が1人、監督で来たのです。
               どうやらそこは、その先生が生徒の監督、
               と称して毎年行っていたらしいのです。
               監督の先生が付いてくるのはウザイ、と
               思っていたら、先生は別の海岸で投網 
               先生の投網を見ていると、波は透き通ってきれいだし、
               その波の中に魚が泳いでいるのが見えるのです 

     僕は競泳の選手のように泳げるわけではありませんが、
     それでも1時間くらいでしたら泳ぎ続けていられます。
     そこにいたのはそんな人ばかりだったのですが、
     2年生の夏、1年下のYがその海水浴場に来ました。
     そして僕たちは遠泳を計画、念のために大型手漕ぎボートを
     伴漕用として借りて、そのYがボートを漕ぐことになったのです。

          そこは小さな湾で、楕円形を2つに切った様な
          形をしていて、1番奥が漁港、海水浴場は
          楕円の下、端で、楕円の向かい側までの遠泳です。
          まあ2kmくらいでしょうか。
          泳いでいるうちに向こう岸が見えてきたのですが、
          おそらくそこに行く交通機関が無いのでしょう、
          誰もいない、白い砂浜が見えてきました 

               そして向こう岸の50mくらい手前で、
               友人のOを中心に、何人かが冗談で、
               伴漕ボートをひっくり返したのです。
               みんなは無事に海岸に泳ぎ着いたのですが、
               そのボートを漕いでいたYが、助けてくれ、おーい、
               と叫んでいるではありませんか 
               最初、僕たちは冗談をしているのだと思い、
               放っておいたのですが、やがてブクブク・・・
               ヤベー、あいつ本当に泳げないんだ 
               1人だけで助けようとすると危ないので、3人ほど
               救助に行き、無事助けることが出来たのですが、
               助けた1人が怒っていました。
               泳げないヤツが海水浴に来るなよな 
               何か変な理屈だな~

     そして僕たちの監督に付いてきた先生は
     破天荒な先生で、東京に帰る前日には僕たちに
     千円札を1枚渡し、バケツを持って○○の店に行って、
     サザエを買って来い、というのです。
     どうやら先生はその店と馴染みらしくて、千円で
     バケツ2杯分の、まだ生きたサザエを買えました。
     夜になると焚き火をして、その上に金網を載せて
     そのサザエを焼くのです  
     先生は、というと、一升瓶を抱えて茶碗酒 

          そして機嫌がよくなると、「おい、○○、飲め!」
          高校生だから、と言うと、バカヤロー、と答えが帰ってきました 
          昔の話です。まだもう少し日本での海水浴の
          話には続きがあるのですが、それはまたいつか。

               話をドイツに戻して、ハンブルク~キール間は
               アウトバーンを使い、車で1時間弱。そこから
               ラベーまで時間帯によりますが、45分ほど。
               朝8時にハンブルクを発つと、9時半にはもう
               ラベーについています。

     

     ラベーの海水浴場です。
     ここは南のはずれ、ここから海水浴場が
     始まります。建物は海水浴センター。
     トイレも、シャワーキャビンもあります。
     海水浴センターの手前にある、小さな箱型の
     物は何かというと・・・

     

          少しわかりにくいですね。
          これはレンタルできる、籐で出来た、
          ひさしの付いた2人用の安楽椅子です。
          陽に焼けたくない人はひさしを出して、
          足にタオルを掛けるのです。
          レンタルできる、と書きましたが、貸す方も
          どこにその安楽椅子があるか(バイトが多いので)
          知らないんですよね。すると、番号で探すのですが、
          見つけるまでに30分くらいかかるのはザラですね。

     

               キール港を出発した大型客船です。
               ブログを見てくださる皆様に、どうしようかと考えたのですが、
               一応見ていただく方がいいと思ったので、ここに載せます。

     

     第二次世界大戦のなごり、Uボートです。
     これは公開されていて、中を見ることが出来ます。
     僕たちも中を見たのですが、狭いですね。
     閉所恐怖症の僕には・・・ 

     

          これも同じUボート、上空からの写真です。
          ラベーの海水浴場の北の端にあります。

     

               これはその近くにある海軍記念塔です。
               ドイツ人は戦争に目をそむけず、正面から向き合います。
               これらの物は、戦争がいかに悲惨な物かを知ってもらう
               為のものであるし、ハンブルク市の中心にも、空爆で
               破壊された教会がそのまま残っていますよ。

     

     これはラベー海水浴場の北の端。
     海の色を見ていただくとわかりますが、
     かなり遠浅の海岸で、面白いことには
     部分的に少し深いところがあるのです。
     でも大人でしたら肩の深さにも行きません。
     ここから外がバルチック海です。
     写真からはわかり難いと思いますが、
     ヨットが何艘も走っています。
     ここキールでは、5月にキール週間が催され、
     メインはヨットレースです。

     

          このように、食事も出来ますし、ビールも飲めますよ~~
          海水浴場と、店の間に柵があるのがおわかりでしょうか?
          海水浴券を買うと出入り自由ですが、券を持っていない方は、
          柵から海水浴場にはいけません。

               今回の写真は、全てグーグルより使用しています。

               思い出話になってしまいました。
               年をとったせいでしょうか。

                    今日もジージのブログを訪問していただき、
                    ありがとうございました。

                    では次回まで  

ジージのアウトドアスポーツ 最終回

2012-12-09 | 思い出

 えー、今日はブログを休憩するつもりでいたのですが
 You Tube でかぐや姫の“神田川”を聴こうと思ったら、
 最初に目に入ったのが“DB(ドイツ国有鉄道)、サンタの日の
 大サービス”
でした。ですので、皆さんに見てもらおう
 と思ったのです。まあクリックしてみてください。
 歌はウザイですが、ドイツの雰囲気が出ていると思います。
 場所はフランクフルト中央駅です。

         11月22日の記事に書きましたように、
         祝日ではありませんが、12月6日は
         サンタの日で、この日によい子はプレゼントを
         もらえることになっています。

                 さて、今日は臨時開業ということなので、
                 写真は用意してありません。
                 ほとんどリンクで楽しんでもらうことに
                 なります。その方がきれいな写真と臨場感に
                 あふれるのではないでしょうか 

 タイトルを、アウトドアスポーツ 最終回としたので
 その3 までに書き忘れたことを書きたいと思っています。
 だいぶ僕の自慢が入るかもしれませんが、その際は読み飛ばして
 下さい。
 僕がスポーツをすると、ほとんどの場合Hと一緒です。
 Hは、アウトドアスポーツ その1に出てきた大痔主で、
 手術のために八甲田にいけなかった男です。

         Hは…Hではありません(笑)
         その反対に、硬派で、不条理なことが大嫌いな
         きまじめ男です。
         僕たちが大学生の頃にボーリングがはやりました。
         これはもちろんインドアスポーツですが、Hと僕も
         はまり、Hは都立大学駅近くの○○ボールの会員に
         なったほどです。

                 会員になると、1レーンを1時間、当時
                 千円でしたが借りることが出来ました。
                 毎週末二人でレーンを借り切った結果、
                 二人のアベレージは10ゲームで2300
                 を超えたのです。ですから、アベは230、
                 プロボーラー以上でした。
                 僕たちはそのアベがコンスタントに出るように
                 なると、冗談で、スコアをビーマーで壁に
                 映し出すようにしたのです。
                 二人で投げていると、多くの人が見に来ました。
                 全くイヤミですよね。
               
 僕は1度、第9フレームまでストライクを続けた
 ことがあります。第10フレームでストライクが3本
 出ればパーフェクトだったのですが、ビビッてしまい、
 ストライクどころかスペアも取れず、263でゲーム終了。
 しかし二人ともその夏でボーリングに飽きてしまいました。
 スポーツは屋外に限る 

ニセコアンヌプリ国際スキー場です。


 僕はしばらく地下鉄中野坂上駅(新宿近辺)近くに
 住んでいました。そしてこのスキー場に行くのに、飛行機を
 予約したのですが、バカなことにラッシュアワーの真っ最中 
 そこにリュックとスキー板を持ち込んだのですが、乗客の視線は 
 乗ってから、羽田までタクシーで行けばよかったと後悔したのですが、
 あとの祭り 

       このスキー場は、僕が経験した中で、最高の
       パウダースノーでした。
       何しろただ立っているだけで、膝まで雪に埋まって
       しまうのですから。
       その新雪の中を滑ると、ターンをするたびに顔まで
       雪が来て、フッと吹くと飛んでいくのです。
       正面の山は羊蹄山です。

今は富良野スキー場ですが、当時は北の峰スキー場と呼ばれていました。


こちらは当時なかったコースです


 生意気なことに、ここではプリンスホテルに泊まったのです 
 いきさつはどうだか忘れましたが、西部グループの金券
 5万円をもらったので、ルンルン気分で行ったのです。
 しかしフロントマネージャーが、
 「お客様、この金券は、当ホテルではご使用できません」
 と言ったではありませんか  僕はその金券の裏に、
 どこでどのように使えるか書いてあったし、プリンス
 ホテルもOKだったのでそこに行ったのです。
 僕がそのことを持ち出して言おうと思ったら、
 「今回はお泊まりいただきますが、次回はご勘弁
 お願いします」
 よしよし、じゃあ文句を言うのは止めよう 
 確か、西部グループの株主に対しての金券だったと思うので、
 そのフロントマネージャーはそう対応したのだと思います。

       北の峰スキー場はやはりパウダースノーだったのですが、
       記憶があまりないのです。というのはメチャ寒くて、
       下はパンツ+ももひき+スキーパンツ+オーバーズボン、
       上はランニング+長袖の下着+フラノのシャツ+セーター+
       ダウンのヤッケ、そしてスキーリフトに乗るとき毛布を渡された
       のですが、リフトに乗っている間中ガタガタ震えていました。
       ですので、リフトを降りるとすぐダウンヒル開始 
       何しろ寒くて、その日は、ずっとふもとで滑っていました 

              当時、一緒にスキーをしていたのは妻、H、
              そしてHの友人Y、そのほかに3人いました。
              ある時全員同じスキーヤッケで滑ろうということになり、
              僕が代表でヤッケを探しました。
              そして探し出したのは、サーモンピンク、ロング、
              シャツカットというヤッケで、全員揃うことは
              めったにありませんでしたが、それでも同じヤッケで
              滑ると人目を引きます。

 それに僕たちは新雪、深雪が好きだったので、
 滑るフォームが普通とは違い、後傾姿勢で体を起こし、
 ストックを高く、激しく動かします。
 整備されたゲレンデでは後傾姿勢で滑る必要はないのですが、
 何しろクセになっていますから。
 でもだいぶ目立ったようです。

       僕たちは夜中に雪が降ると、さっさと朝食を
       済ませて、リフトで頂上へ。
       そして全員で、まだシュプールのない雪の上を
       同じヤッケで滑るのですから、これは目立ちですよ。
       でもね、みんなが注目している中で、コケると
       ダッサーイですからね、緊張します。

               色々なスキー場で滑りました。
               八幡平では春スキーを、目一杯滑りたい時は
               猪苗代の国体コース、蔵王。
               蔵王には “壁” と呼ばれている場所があって、
               傾斜は45度、壁の下には休憩出来る場所があって、
               みんなが崖を滑り降りてくる人を見ている 
               コケるとダサイですからね。
               のんびり滑りたい時は白馬岩岳。

 やがてドイツに住むことになり、子供も2人生まれて
 下の息子が4才、上の娘が6才になった冬から
 チロルで毎年クリスマスから正月にかけて、10日ほど
 スキー休暇をするようになりました。

       ヨーロッパスキー場案内という本を買って、
       興味のあるスキー場の観光課にインフォメーション
       を送ってくれるように頼んだら、ホイホイ送って
       くれました。その結果選んだのがツィラータールの
       マイヤーホーフェンというスキー場でした。

               冬ではありませんが、そのマイヤーホーフェン               
               を記事にしているブログがあります。
               写真がきれいですよ、クリックしてみて
               下さい。

 ツィラータールとはツィラー谷という意味で、
 ミュンヘンからインスブルックに向かう途中にある
 イェンバッハという駅から終点のマイヤーホーフェンに
 向かいます。
 これがローカル鉄道で、狭軌、そしていまだに
 蒸気機関車が走っているのです。

       そのサイトには、春から秋にかけて、と書いてありますが、
       当時は冬でも走っていて、僕たちは偶然その蒸気機関車に
       乗ったことがあります。
       蒸気機関車ファンというのはすごいですね。
       真冬で、雪が積もっているフィールドに立ってカメラを構え、
       蒸気機関車が来るのを待っているのです。それが何十人
       どころでは済まないかもしれないし、それに当時は
       デジカメの時代ではなかったですから。

              そのツィラータール鉄道の終点、マイヤーホーフェン
              からバスの終点のヒンタートゥックスまでスキー場で、
              3日以上のリフト券を買うと、全ての交通、スキーリフト
              がその価格に含まれます。

 スキーのリフト券だけでなく、貸しスキーもそうですが、
 こっちで1日券、あるいは1日だけスキーをレンタル
 というのは考えられないのです。
 リフト券だと、1~7日券、そのあとは2週間券、1ヶ月券、
 それにシーズン券ですね。

       僕たち家族はマイヤーホーフェンに定宿というか、
       休暇用マンションを探し出して、そこでスキー休暇を
       毎年過ごしていました。
       子供たちの上達は速く、2年目になると、もう自由に
       滑り回るようになったのですが、ある時突然終止符が
       打たれたのです。

               というのは、上の娘が成長期だったせいか、
               紫外線過敏症になってしまい、顔がおたふく風邪の
               ように膨れてしまうようになったのです。
               薬を塗ってもダメ、覆面をしてもダメ、そして
               それはスキーだけではなく、湖の上でボートを
               漕いでいる時にも現れるようになったのです。
               したがってスキー休暇は中止、その後しばらく
               娘は紫外線に気を付けて暮らすようになりました。
               でもいつの間にか、年とともにそれもなくなったので
               安心したのですが、子供たち二人とも大きくなって、
               スキー休暇が復活することはありませんでした。

 今日のハンブルクの気温は、朝が-9℃、昼が-3℃、
 今、-4℃です。
 こんなに寒いのだったらまたスキーに行きたいな 

      何か取りとめのない記事になってしまいました 
      まあ臨時開店ということで…

      では次回まで  

ジージのアウトドアスポーツ その3

2012-12-06 | 思い出

今日のハンブルクは今年1番の寒さです。
仕事を始めて窓の外を見ると、雪がチラチラ
時々降り止むのですが、夕方からはハンブルクでは珍しく
ボタン雪になりました。明日は積もっているかも
この年になると、伊達の薄着、などと言っていられないですね。
そろそろモモ引きの出番かな~


午前中、陽の当たっている時に撮りました


       ジージのアウトドアスポーツ その1で、
       当時の登山用具が重かったため、槍、穂高は
       夢で、まずトレーニングを積んでから、と思って
       いた、と書きました。
       最近のリュックは合成繊維で軽いですね。でも
       当時はジーンズの元の生地、帆布を使っていたのです。
       ジーンズ用の生地より厚かったかもしれません。

              山小屋も通年営業は珍しくて、晩春から初秋にかけて
              オープンする山小屋がほとんどでした。
              料理も限られるし、山小屋に泊まる時は、
              米2合持参の約束ごとがありましたから。
              テントの生地も厚くて、山で2泊、それも露営だと、
              リュックはまず最低50キロの重量ですからね。
              米を、非常時を考えに入れて5合、水は5リットル、
              それに様々な装備です。リュックを1度背負うと、
              休憩の時に降ろさないのです。なぜかというと、
              途中で降ろしたら背負えないし、バランスを崩して
              倒れる危険があるからです。
              休憩の時は、場所を探して、リュックを載せられる岩、
              さらに自分が腰掛けられる岩のあるところを探します。
              ですからトレーニングを積んで、槍、穂高と思って
              いました。

ビールはとてもじゃないけれど、重いので
持って行きませんでしたが、最近の山小屋では、
ごく当たり前の食事が出来て、ビールも飲めるし、
槍、穂高でも荷物の重量は5キロ前後だ、と
僕の知人が書いてきました。当時を思うと、
まるでハイキングですね。


槍ヶ岳の頂上です。こんなに人がウジャウジャいると、千年の恋も冷めます


奥穂高より槍と北穂高です。この2枚の写真は友人が撮りました

       ジージのアウトドアスポーツ その1に書きましたが、
       少し雲取山に触れさせてください。
       多くの方が、東京都に2000m級の山があることを
       信じないのではないでしょうか。
       雲取山、日本百名山の一つですが、あまり名前は
       知られていないですね。登るのも結構きついです。


七つ石より見た雲取山


雲取山より富士の眺望

            東京に住んでいらっしゃる方で、スポーツの好きな
            方には雲取山登山をお薦めします。
            石尾根から登り、頂上に一泊して、翌日秩父に降りると、
            露天風呂の温泉もありますよ
            日によって、混浴だそうです 

雲取山はあまり人気がないし、知っている
人も少なく、登りたいと思う人はまれなのでは
ないでしょうか。
変な言い方ですが、富士山、槍、穂高はイケメン
ですよね、でも雲取山はダッサーイ
とんでもないです。雲取山頂からの眺め、これは
そこに立った人でないとわかりません。
雲取山頂からの写真は、ほとんど富士を写した
物ばかりなのですが、それだけではありません。
僕はあえてここに書きませんので、出来たら
ご自分で体験して下さい。

       アイススケートと登山に明け暮れていた高校生活も
       終わり、大学に入ると僕はワンゲル部、部というか
       同好会に誘われたのですが、僕は参加しませんでした。
       なぜかというと、そのワンゲル同好会は、なんとなく
       男女が親睦を深めるためだけの会であるような気がしたからです。
       最近の人は、軟派、硬派という言葉を知らないと思いますが、
       僕はカチカチの硬派でしたから。

             その同好会は、僕がテントを持っていたため、
             何度か僕からテントを借りていったのですが、
             あまりにも乱雑に使ったので、貸すのを止めました。

そして僕がアイススケートを止める事になったいきさつです。
僕にはその当時、冬山の経験がなかったので、
大学1年の冬休みに入ってすぐ、登山の支度をして、
新宿に行きました。確固たる目的地があったわけではなく、
僕は時々上野や新宿に登山の支度をして行き、ぶらぶら
している間に考えをまとめる癖があったのです。

      それは夕方9時頃だったのですが、小淵沢に行くには
      もう遅いし、夜行に乗って松本辺りに行こうかな、
      と思って新宿駅西口をぶらぶらしていると、大学の
      同級生で友人のSがいたのです、そして、
      「おい、何でお前がここにいるんだ?」
      と聞いたので、
      「山に行こうと思っていたのさ」
      と答えると、Sは、
      「○○、実はスキーバスをチャーターしたけれど、
      参加人数が足りないから困っているんだ。お前も
      スキーに行こうよ」
      僕にスキーの経験が無いこととか、行く気があるか
      ないか、全く無視して、Sは僕を夜行のスキー
      バスに連れ込んだのです。


白馬岩岳スキー場

            行った先は白馬、岩岳スキー場でした。
            まあ僕は登山ウェアを着ていたので、服装は
            OKだったのですが、問題は靴でした。
            登山靴を僕は2組持っていて、1組は軽い
            登山用。もう一つはがっしりした、ちゃんとした
            皮製の登山靴です。
            そしてその皮製の登山靴でスキーをすることになった
            のですが、ビンディング、留め金が問題で、
            その頃やっと出始めた最新式のビンディングは
            全く登山靴に合わず、カンダハーと呼ばれている
            旧式のビンディングを使用して、何とか登山靴と
            スキー靴を留めたのです。

    カンダハータイプの留め金です。
    
 カンダハーは、アフガニスタンのカンダハールと同じで、
 その地方で使われていたから、というのが一応説になっていますが、
 色々な意見があるようです。

 ここでスキーの話を延々と書くことは出来るのですが、
 興味のない方もいらっしゃると思うので、簡単に書きます。
 その岩岳の初スキーの一件以来、僕はスキーにはまって
 しまったのです。スケート靴はよく脂でエッジを拭き、
 カバーをかけてお蔵入り。

      手術のために八甲田山にいけなかった僕の友人Hが、
      その前からスキーを始めていたので、彼に相談して
      即スキーセットを購入。
      高校時代終わりごろから、僕の専門が特殊技能だったので、
      まあ山のバイトは別にして、かなり稼いでいました。
      大学に入学してから、親には一銭も援助は受けていないし、
      同居していたので下宿代として当時2万払っていました。

             大学時代は勉強もあるし、それほど自由は
             きかなかったのですが、卒業すると、無理に
             休みを作ってスキーに。
             会社員と違って週末を避けて滑ることが出来たので、
             空いているゲレンデを年間30日以上滑っていましたね。

 途中でバレースキーに凝ってしまい、
 バックでウェーデルンを出来るようにまで
 なりました。
 その友人Hとは何度も一緒にスキーに行ったのですが、
 その話はまたそのうちに。


白馬、八方尾根スキー場です。

     八方尾根はそれほど行きませんでした。
     何しろいつも混んでいるので。
     でも行くと、この画像正面の、兎平の右側で滑っていました。
     急なため、あまり滑る人がいなかったからです。

           あんまりジージの昔話を読んでいると退屈でしょうから、
           次回は都心のクリスマスマーケットの話を
           書きたいと思います。

           それでは次回まで。お気軽にコメントください。
            

ジージのアウトドアスポーツ その2

2012-12-05 | 思い出

高校生になり、1年目の夏は川崎に本社のある会社で
アルバイトをしたのですが、2年生の夏は山に浸って
いたかったため、小海線の清里にあった、八ヶ岳パンテスコープ
(国民宿舎)の本館ではなくて、バンガロー、キャンプ地担当で
3週間バイトをしました。
その八ヶ岳パンテスコープは、今はもうないようですね。
当時のバイト代は1日大学生が450円、高校生は400円でした。

      そこでバイトをした理由は、山に浸かっていたかった
      ため以外に、スケート靴を買いたかったこともあります。
      高一の冬、何度か東京でアイススケートをしたのですが、
      思うように滑れなかったので、自分のスケート靴を手に入れ、
      冬の間、松原湖でアイススケートをしようと思っていました。

           小海線は、清里-野辺山間に、日本鉄道最高地点があり
           清里を発車したディーゼル列車の苦しげなあえぎが、
           この鉄道最高地点を通過すると、あぁ、これで楽になった、
           と感じているかのように、静かになります。
           僕はこの小海線が大好きで、何度も通っていて、
           上野-小諸-小淵沢-新宿と1周すると、990円でした。
           小諸近辺も、小淵沢近辺も大好きです。

清里駅を中心とした辺りは、最近ずいぶん
女性に人気があるようですね。
僕が今、ネットで調べたら、清里駅と野辺山駅の
変わりように驚きました。


小海線、清里駅です。


やはり小海線、野辺山駅です。

昔は駅舎などなくて、ホームだけだったような
記憶があります。
客が乗り降りするごとに、車掌が検札をしたり
切符を回収したりしていました。

      バイトでお金を貯めた僕は、ハーフスピードと呼ばれる
      スケート靴を買いました。フィギュア用、ホッケー用は
      気乗りがしなかったし、スピードスケート靴は重くて
      自由が利かなかった、というのが理由です。

           そして自分のスケート靴を持って松原湖へ。
           松原湖は猪名湖(いなこ)、長湖、大月湖の
           総称ですが、普通に松原湖といえば、最大の
           猪名湖を指します。
           松原湖に行くことを、僕は単に新聞に載っていた
           冬の氷の厚さだけで決めました。

最近は松原湖近辺もずいぶん開発されて、
スケートリンクはもう湖ではなく、別の場所に
あるようですね。
僕は湖の近辺で民宿を決めると、さっそく滑りに。

      その日は何も驚くことがなかったのですが、翌朝、
      朝食のため起こされて、メガネをかけずに食卓へ。
      まだ寝ぼけていたし、メガネをかけていなかったので、
      小鉢に入っていたものを、てっきり昆布巻きだ、と思った
      のですが、それはなんとイナゴの甘露煮でした。
      その甘露煮は、とてもおいしかったのを憶えています。

           そして支度をして湖へ。
           見ると、なんと氷の上にブルドーザーが
           夜中に雪が降ったのでブルドーザーが雪をどけて
           いたのですが、次はグルグル回るタワシのような
           物を取り付けたブルドーザーが氷を平らにしている
           ではありませんか
           その時の氷の厚さは40センチと公表されていました。
           40センチの厚さの氷に、ブルドーザーが乗っても
           割れないのですからね。


松原湖(猪名湖)です。
八ヶ岳がはっきり写っていますね。
右の赤い地肌を表しているのが硫黄岳、
中央が横岳です。

松原湖には、当時全日本や、大学が
スケート合宿をしていました。
その人たちがすっ飛ばして来るとよけるのですが、
横目でその滑りを見て研究しました。

     そして10日ほどそこで滑り、それ以来冬はアイススケート、
     夏は登山になったのですが、やがてそれがガラッと
     変わる事になります。その話は次回に。


紅葉の松原湖です。

           ではまた  

ジージのアウトドアスポーツ その1

2012-12-04 | 思い出

 昔の話をするのは年をとったせいでしょうね。
 今でこそ出不精、運動不足ですが、本来スポーツが好きで、
 何をしてもかなりのめり込んでしまいました。
 しなかった有名なスポーツとしてはゴルフと和弓、それに
 馬術くらいですか。

        中学に入り、僕は英語塾とまでいかないけれど、
        東京の大学で勉強していた人に、小学校の時から
        仲のよかった2人と共に、英語を習い始めたのです。
        先生は僕の実家の近く、4畳半の部屋に下宿をしていて、
        僕たちは毎週土曜日の午後、その下宿で勉強しました。

              先生の教え方は、学校の授業と違って、
              とても興味がありました。
              先生は部屋に閉じこもっている事が嫌いだったようで、
              しょっちゅう
              「今日は野外授業だ」
              と言って、2駅先にある大きな池へ散歩に行きました。

 僕たちが習い始めた年の夏、先生がハイキングに
 行こう、と言って、僕たちも一緒に行ったのです。
 コースは今でも憶えていますが、吾野で降り、
 そこから黒山三滝経由で、越生から帰りの電車でした。
 先生は彼女らしい女性、それから大学の友人であろう
 男性2人と来ていたのですが、なんと食事の用意も
 してあったのです。

 
 今日の写真はネットからいただいています。
 著作権に引っかかる場合はメールでご連絡下さい。

        そして先生たちは、三滝川の川原でお米をとぎ、
        飯ごうでご飯を炊き、あらかじめ作ってあった
        カレーを温めて、皆ででカレーライスを食べました。
        こんなにおいしいカレーライスはない、と当時は思っていました。

 

              それは、今までそのような事をしたことのない
              僕にとって、強烈なインパクトを与えたのです。
              そのあと先生と正丸峠にも登っているし、秩父近辺
              も歩いたし、兄も山が好きだったので、兄と一緒に
              中央線沿線の山々、景信山、高尾山、陣場山なども
              登りました。

 しかし翌年になって、先生は青森短大に赴任することになり、
 僕たちにはもちろんうれしかったのですが、その反面、
 先生と分かれるのが辛かったのも確かです。
 そして僕たち3人は相談して、夏休みに青森へ行く
 つもりになりました。でも仲間の1人が大痔主で、
 その夏に手術をすることになって、彼は行けなくなって
 しまったのです。

       僕たち2人は上野から寝台車に乗り、青森へ。
       そこには先生が迎えに来ていて、その後2日ほど
       青森に滞在。当時の国鉄の切符を買ってあったのですが、
       先生が経路変更して、国鉄バスに乗り、八甲田山に
       登りました。

 

 八甲田山という山名は存在しません。
 この山塊1帯の総称で、最高峰は八甲田大岳です
 尚、この当時、新田次郎著の“八甲田山死の彷徨”は出版されていません

              そして酸ヶ湯に下山、一泊して、翌日は
              十和田湖へ。

 

 十和田湖からは大館に出て、そこから上野へ。
 黒山三滝と、この八甲田登山が僕にアウトドア
 スポーツの楽しさを教えてくれた、と言っても
 過言ではないと思います。

       それからの僕の登山は、場所が青梅線沿線に移り
       やがて丹沢に。
       東京都の最高峰、雲取山にも登っています。
       当時、雲取山への登山ルート、石尾根の、七つ石小屋の
       オヤジに気に入られて、手作りの背負子ももらいました。
       そして山男の誰もが夢見る槍ヶ岳、穂高岳を僕も
       夢見たのですが、当時の登山用品は重かったため
       最初の目標を八ヶ岳に絞ったのです。

 
 八ヶ岳最高峰の赤岳です。知人撮影

             八甲田山が特定の山の名称ではないように、
             八ヶ岳も山塊の名称です。
             夏沢峠から北を北八ヶ岳、南を南八ヶ岳と
             称します。
             南八ヶ岳の最南端の山、編み笠山からの
             眺めは感動します。
             正面は南アルプス、左手に富士が見えるのです。

 八ヶ岳伝説を紹介させてください。
 夏沢峠から南に向かった最初の山が硫黄岳で、
 そこには八ヶ岳山塊がかつて火山だったという
 事を示す、爆裂火口がありますが、そこから山の形を
 想定していくと、富士山よりも高くなります。
 昔々、富士山の神と八ヶ岳の神が、
 高さ比べをしたら、八ヶ岳の方が高かったため、
 富士山の神が怒って 八ヶ岳の山頂を蹴飛ばして、
 低くしたそうです
 山の神は怖いですね

 今回、僕の撮った写真がないと寂しいので、
 昔の写真からスキャンしたものを載せます。

 

 夏にチロルで休暇をしたときの写真です。
 だいぶ古いし、ネガはもう無くなっています。

 僕が思ったよりずっと話が進みませんでした。
 次回、続きを書きます。ではまた