きょうの教会ごはん 

神様との食卓で、一緒にご飯を食べましょう!

何を求めて生きるのか

2009年11月12日 | 羊、朝の一声


 今朝の聖書から思わされたことは、「何を求めて生きるのか」ということ。人生の最後の最後まで、大切に追い求めるものは何だろう、ということ。

 先日亡くなった祖母は97歳だった。同じ年までこの世の生を歩むかどうかわからないが、人生80年として前半の半分は過ぎた。十代・二十代・三十代が過ぎ、そこでたくさんの“財産’”を得た。家族、人間関係、スキル、知識、そして信仰。幸か不幸か、ほとんどが形ないものだ。形あるものが不要と思っている訳ではない。みんなで住める家があればいいな、と思うし、あまり苦労を感じたことがないからこそ、お金の大切さも知っている。しかし形あるものは、まず、人生の最期までは追い求めない。それを持って旅立つことができないから。

 では、今を含む人生の後半、何を追い求めて生きるのか。築いた財産を守って生きる?今ある大切な財産、家族も友人も最期の時に付き合ってもらえない。スキルも知識も、肉体と共に、あるいはその前に無くなってしまうだろう。人間が死んで尚、在り続けられるものは、心であり、霊だけだ。人を愛する心、慈しむ気持ち、思いやり。聖書には、霊が結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制だとある。一瞬で生るものではなく、努力でどうにかなるものではない。だからこそ、人生の最後の最後まで、追い求め、この世の生を全うする意味を持たせるものなのだ。そう思った。




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