eCycle

シルバー年齢のサイクリング記録です

1- はじめに

2006-12-26 10:49:34 | NZ(Kiwi) cycling


 若い頃はサッカー、40歳を過ぎるとサッカーに必要な瞬発力が衰えたので山登りに鞍替え、ところが55歳くらいから腰に変調。脊柱管狭窄症を発症した。腰椎というのは脊柱のうち、胸椎と仙椎との間にある5個の椎骨だが、ここの部分を通る神経の通路が狭くなって脊椎神経もしくは、馬尾神経が圧迫を受けて運動障害を起こす。私の場合10分以上歩けない「間歇跛行」という症状があらわれた。手術をすれば治癒できるが失敗すれば車椅子の生活になるリスクは避けられない。

 ただ救われるのはこの病気の特徴として自転車には乗れる。健康維持のためにロードレーサーを購入してあちこち走っているうちに、海外でも走ってみたいという誘惑にとりつかれ英語が少しはできるので英語圏のニュージランドに行くことにした。勿論オーストラリアも選択肢にはあったが大きすぎて取り付きようがないからやめた。

 海外でサイクリングをする場合、多くの人がやられる、自分でコース設定から宿泊など全て計画する冒険型が一般的だが、欧米にはガイドが付いて荷物などは伴走する車に搭載して走るものが多く見られる。

 ウエブに「 The web site for self-guided bicycle tours in New Zealand」http://www.cyclehire.co.nz/ というのを見つけた。これはサイクリングの専門家がコースを設定し自転車とその修理器具一式、宿泊施設をセットした「自分で走るサイクリング・ツアー」で、実際に走ってみてこのアィディアの素晴らしさが理解できた。このツアーの良いところについては最後のまとめで説明したい。

 素晴らしい経験をさせてくれたツアーを企画したIndependent Cycle Tours New Zealand Ltd.のポールとキム、私を支えてくれた家族やブログ・マネジャーをはじめ多くの友人に感謝の意を表して本稿をまとめた。


 







2- ニュージランドの特徴

2006-12-26 10:49:19 | NZ(Kiwi) cycling
 外務省のサイトから引用したニュージランドの基礎データを示す。

  面積 27万534km2(日本の約4分の3)
  人口 412万人(2005年12月、NZ統計局)
  首都 ウェリントン(17.8万人、2003年6月末)
  人種 アングロサクソン系及び先住民マオリ系(約52万7千人13.8%)
  言語 英語

 人口412万人のうち約100万人が南島に住み、その内40万人がクライストチャーチに住んでいるということは、それ以外の町の人口的規模は推して計られる。つまり他の町、たとえば西海岸の主要都市ウエストポートの人口はおよそ1000人。ニュージランドの主要産業が観光であってもここに大型のホテルが建てられるかと言うと否である。
 このような事情から日本で言う民宿のようなホームステイ、ファームステイのようなものが完備している。これらをビジネスにしているところもあるが、実態の多くは子供が独立し夫婦には余る部屋を2,3室客用に開放しているホームステイが多いようである。実際に旅行してみてホームステイはモーテルや小さなホテルよりは清潔でアットホームであることは間違いない。

 大きな産業がないので日本のような高速道路はなく一般道が整備されている。主用国道はステイトハイウェイとよばれ制限速度は100km/Hに設定されており、町の入口には70km/Hくらいまで速度を下げさせる標識があって、交通ルールはよく守られているように感じられる。
 車両は左側通行で日本と同じだが、日本にはほとんど見かけないロータリー交差点が都市部にはあり慣れない日本人には少し怖い。ロータリー交差点には一旦停止のサインと路面には「GIVE A WAY」と書かれているから、右から先に進入した車優先ではあるが慣れていないと戸惑うことがある。

 自転車に乗るにはヘルメットの着用が義務づけられており違反をすると$70の罰金が科せられる。

 不幸にも事故など緊急事態が発生したときは無料電話111番へ連絡をする。このときに場所や緊急事態の説明を求められるが道路上には目標物はほとんど無い。私のアィディアとしては橋の番号を覚えておくといいと思う。道路の下に土管を埋めて水を通していても「橋番号***番」という標識があるのでこれが目印になる。しかし携帯電話はほとんど接続できないし公衆電話は無いしどうすれば緊急連絡ができるか。高速道路に数キロおきに電話が設置されているのは世界中で日本だけである。

 人口密度が高ければ携帯電話が利用できるところも多くなるのは一般的な商業原理だから、1000人以上の町でなければ携帯電話は使えないと考えた方が無難。ましてや町と町の間の道路上では全く電話は通じない。私はFOMAを持参したがネットワークの自動切換えもしてくれないので手動でネットワーク選択をした。

 公用語は英語だがこれがかなり怪しい。空港や銀行の窓口はいわゆるBBC英語で問題ないが、一般の人の言葉は訛りが強く何回聞いても分からない場合があり、書いてもらうと辞書にも無い言葉もあり、ある意味で楽しくなる。旅の終わりの頃は彼らと同じキウイ語で相槌を打ったりして楽しかった。例えば「ノイー」という言葉が汎用される。これは nice の発音であるがボストン英語ならば cool とか sweet だろう。まあ「ん、いいね」という感じ。これが使えるようになれば Kiwi 人だね。
 次のメイルの一部は日本を出る前に受け取ったものである。文頭の「Hullo」は勿論「Hello」であるがこれはイギリスでは古語に属するもので間違いではない。つまり大英帝国の良き文化を持ち続けているのがニュージランドであり、多くの国民は英国女王を敬愛しているように見えた。

  Hullo Shiro
  Thank you for your email and we will be waiting outside.....

 以上に述べたこと以外は旅行の本などに詳しく説明されているので参照していただきたい。

 ニュージランドは農業国で外部からの雑菌・害虫の侵入を厳しく制御している。現地で買ったチーズをホームステイ先で見せたら日本には持ち込めないと注意された。つまりニュージランドには植物は勿論、醗酵製品も持ち込めないことを国民は良く理解しており外国も自分たちと同じと考えている。ニュージランドに入国するときは鞄などに食べ物を隠してズルしないようにして欲しい。

3- コースの選択から出発まで

2006-12-26 10:49:01 | NZ(Kiwi) cycling
 Independent Cycle Tours New Zealand Ltd.〔以下ICT〕が提供するサイクリングコースは南島に設定されている。ツアーの日数は2日から1ヶ月におよぶものまで色々なバリエーションがある。日本から出かけて2日のツアーでは物足らないが1週間以上は休みにくいのが実態である。土曜日に出発して日曜日に着いて月曜から金曜日までサイクリングして日曜日に帰ってくるというコースが適当と思われる。

 コースを決めてICTへ連絡すると契約書がe-mailで送付されてくるので契約書を印刷して必要事項を記入・署名して郵便で返送する。

 部屋は2人1部屋で契約すると通常料金だが、1人1室にすると余分な支払いが必要になる。さらにニュージランドは5月頃に各種料金が一斉に変更〔値上がり〕されるのでできればシーズンが終わる4月までに契約すると得である。ただし計画がお流れになると違約金の発生もあるので注意が必要。



 選んだツアーは「西海岸と雨林帯の9日間」というものでクライストチャーチからモアナまで汽車。モアナ⇒クライストチャーチ⇒ピュナカイキ⇒ウエストポート⇒リーフトン⇒マルイアスプリング⇒ハンマースプリング〔休息のため一日逗留〕⇒アンバーレイ⇒クライストチャーチをサイクリングするものである。

 この9日ツアーを2人で契約したのでその内容を以下に示す。
 ツアー全額 $2,700NZD、 内金 $900NZD、 精算金 $1,800NZD
 これには自転車の借用料、クライストチャーチからモアナまでの汽車の代金、朝食つきの宿泊代が含まれる。精算金はツアーが完了した時点でクレジットに支払い手続きが行われる。内金は当然のことながら契約を破棄したときにはこちらには返ってこない。

 内金がクレジットから精算されると旅程表がe-mailで送付されてくる。ただし地図はないので適当な地図を入手してコースを事前検討する。

 ニュージランドに着いた日とツアーが終わった後の宿泊は契約に入っていないので自分で手配をするか、ICTに頼んで論適当な宿泊場所を手配してもらう。私の場合は空港送り迎えつきのサイクリスト専門のホームステイを紹介してもらった。

 宿舎には前日の夕方にICTから自転車と必要な道具が届けられ、品物の受け渡しと色々な細かな説明がある。



 自転車はTrek-4500のマウンテンバイクにロードのタイヤを履かしたものが用意された。ICTでは2年ごとに新車に買い換えるそうで、今回は私の身長に合うフレームを調達することもあり新車を借りることが出来た。自転車にはハンドルバッグ(Ortlieb Handlebar Bag)と後輪の両脇に取り付ける防水鞄(Ortlieb Panniers)容量20リットルが2つ取り付けられる。この他にヘッドランプ、リアランプ、サイコン、マルチ工具、チューブ、チェーンカッター、スポーク、潤滑油、鍵チェーン、コース説明書、サドルがつく。サドルは自分の物を使いたければ持参する。スポークなんか持たされても自分では修理できないが持たされる。

 ヘルメットはレンタルすることもできるが、他人の使用したものは嫌と思う場合は自分のものを持参する。

 自転車および付属品の説明・確認が終ったら保証金を$2,500NZD支払うためにクレジットにサインして借用手続き完了は完了する。

 サイクリングコースの説明は素晴らしい。A4サイズの用紙の裏表に1日分の注意がぎっしりと書かれている。ルートは当然ことながら道路の高低、宿泊する町の詳細、朝食の時間など実に良く設計されている。この案内パンフの他に市販の地図が添えられており、これならば案内無しでも自分で走られる自信がつく。この案内書は毎日の走行記録のページに張り付けてある。

4- ニュージランド入国

2006-12-26 10:48:45 | NZ(Kiwi) cycling
 生まれて初めて赤道を越してニュージランドに到着。ほかに到着便がないので空港内は実に静か。特別なことも聞かれず入国審査完了。当面使う現金を換金して外に出るとメイルに書かれていたバーガンジー色、日本流に言えばワインレッドのフォード、ライセンス番号TU7222は直ぐに見つかったというか、出てくるのが遅かったので1台しか車は待っていなかった。
 車内には今夜と最終日にお世話になるアポーティコ・ガーデン・ホームスティの親父さんトレバーさんが、空港ビルからお母さんのアドリーネさんがのしのしと歩いてこられた。普通の挨拶をして車に荷物を積み込み後部座席に乗り込む。この国では後部座席もシートベルト装着の義務があるのでカチッと留める。

 町を観るか、それともまっすぐに家に行くかと尋ねられたので疲れているから家に直行することにし、車はあらかじめ地図で調べてあったイメージの通り走りおよそ10分で到着。閑静な住宅街でけちな2階建てなどはない。隣の家とも十分に間隔があり、道路と宅地の間には領土権を象徴するような塀もない、いつもあこがれる景観だ。本来は1室2人だが、客間が2室あり相棒と2人だけの宿泊なので1室づつあてがわれ早速荷物を解く。

 一息ついて居間でコーヒーを飲みながら話を始めるが、トレバー親父さんの言葉がまるっきり理解できない。アドリーネ母さんが高めの音でニュージランド英語でない英語、つまりBBC英語に近い発音で通訳してくださって了解。なぜだろう、どこの国に行っても年寄りの男性の言葉は分かりにくい。

 彼らには子供が2人いて長男は北島で牧場を営む独身。次男はオーストラリアに住んでいて孫がいる。トレバー親父さんは週に4日12時から夕方までのパートタイマー、アドリーネ母さんは病院でフルタイム。だからホームステイはトレバー親父さんのポケットマネー稼ぎだそうな。

 庭は良く手入れをしてあり石楠花がまだ咲いていた。これは文字通り西洋石楠花である・・・ここはオセアニアではあるが文化は西洋である。庭がとても綺麗なのでだれが手入れをするか聞いてみたら、アドリーネ母さんが注文してトレバー親父さんが手入れをするそう、だからアドリーネ母さんはコマンダーですかとチャチをいれるとトレバー親父さんが兵隊の真似をして直立不動の敬礼をしアイアイサー・・・爆笑。

 普通はホームステイ先では夕食は出ないことになっている。しかし、ここでは予約すれば25ドルで食べさせてくださることが分かっており、初日から食べに行くのも嫌なので、好き嫌いはないが量は少なめで夕食をお願いしてあった。夕食はキッチンの大皿に料理が盛られて各自が自分の皿に欲しいものを取る、ミニバイキング。食べたいものを好きなだけとればよいので嬉しいが、4人用バイキングだから取りすぎると他の人の分がなくなるし、取らないとこれはなぜ取らないかと聞かれるし、ころあいが難しい。歓迎の意味もあってかアドリーネ母さんの手作り巻き寿司があった・・・相棒は1個だけ食べた・・・気持ちが美味しかった。ビールもワインも料理にぴったり、素晴らしいディナーだった。

 初夏といえども夜は結構寒くて居間の暖炉はとても気持ちが良い。明日に備えて9時には就寝、電気毛布は分かるかと聞かれた、日本にだってありますよ~。

 携帯電話のアンテナ・マークが立たない。日本を出るときにドコモ販売店の職員がニュージランドは自動接続できないかもしれないから手動接続するように言われていたので3Gは駄目、GSMを選ぶと接続は成功、しかしネットワークが見つからない。これ以上は打つ手が無いので枕もとに電話を置いて寝ていたら夜中に突然電話の呼び出し音に目が覚める。接続成功・・・voda NZに接続された。そして迷惑メイルが続々と入ってくる。日本のブログ・マネジャーに架電すると、ブログに掲載され家族や友人が私の動静を知ることができるようにしてあるので、夜中に早速生きている旨を報告。

5- クライストチャーチ ⇒ グレイマウス

2006-12-26 10:48:30 | NZ(Kiwi) cycling
 いよいよ旅の始まり。時差のせいで昨夜の寝つきが悪く今朝はまだ眠たい。シャワーで気持ちをシャキッとさせて荷物の最終点検をして車庫の自転車のそばに全部を運び出し朝食をいただく。
 朝食はクックドとよばれるアメリカンスタイルの朝食。クックドというのは英語で書けばすぐに分かるが調理をした朝食という意味で、ベーコン、ソーセージと焙り卵あるいは目玉焼きがつく。パンはトーストだった。ほかにヨーグルトや果物、シリオなど。これに対してヨーロッパ・スタイルの朝食はパンとコーヒーが主体のコンチネンタルである。

 辞書では、cooked breakfast 調理された朝食 と説明されているが普通はベーコンかソーセージと卵料理である。卵は目玉焼きとかスクランブル〔焙り卵〕にする。continental については辞書には朝食であることの説明がない。




 玄関で記念写真を撮りトレバー親父さんに駅まで送って頂く。今日はクライストチャーチからモアナ湖まで汽車で移動し、そこから軽く足慣らしのサイクリングをグレイマウスまでする予定。
 駅の受け付けでICTがウエブで予約してくれた書類を提示すると席番号が指定され最後尾の貨車まで自転車を運ぶ。この車両には自転車や乗客の荷物が乗せられる。日本のように大きな荷物を客室に持ち込むことはしない。自転車は我々のほかにオランダの青年が独りいた。彼はテントまで自転車に乗せてあり本格派で、我々に怪訝そうにテントはないのかと聞くので、宿に泊まるよと説明するとヘーという感じでお話は終わり。若い人とはいつもあまり会話が続かないですよね~。

 指定された席に座ると前の席にスコツトランドからのカップルが座った。聞かなくてもいいのにハネムーンなのと聞くと違うって。それ以上興味はないので我々の年は合計で幾つか分かるか投げてみたならば80だって。嬉しいやら・・・変な感じ。130だよと返してやるとお嬢さんはぶったまげていた。ああきもちいい。

 汽車の運行スケジュールと運賃は次の通り。1日1往復で全ての経費を捻出するにはこの運賃になるかな~。
  Christchurch 8.15am発
  Arthurs Pass 10.42am  $93.00
  Moana     11.47am着 $121.00

 汽車はなんのアナウンスもなくベルの音も無く走り始める。時間は午前8時15分。汽車はトランツアルパインといってクライストチャーチとグレイマウスを1日1往復する観光用ラインでニュージランドアルプスを越えることに売りがある。小学校の遠足のようにただ車窓に見とれる。所々のビューポイントでは車掌が観光案内をしてくれる。この汽車はディーゼルで牽引しており排気ガスがかなり出るので、16箇所あるトンネルの一番長い処では車内の空気が汚くなるということでビュッフェの営業を一時止めるともアナウンスしていた。


写真 アーサーズ峠

 途中のアーサーズ峠では少し長い停車をするので乗客は外に出て写真などを撮っている。汽車が止まる前に車掌が反対のレールには入らないように注意していたが、誰もそれには気にせず写真を撮っていたならば車掌が血相を変えてレールに入らないようにどなっていた。汽車は1日に1便だけで、今横に止まっている汽車以外にここにくる汽車はないのになぜ・・・疑問。



 定刻より30分も遅れてモアナに着く。着く前に車掌が降りる人を一人ずつ確認しており、日本にはないことで感心したり嬉しくなったりする。自転車を降ろしてもらい木製の陸橋を通って駅を出ると閑散としたリゾートの町。2軒あるカフェバーの内1軒しか開いていないので昼食をとりに入ると先ほどのスコットランドのカップルも昼食中。この人たちは午後2時過ぎのさっきの汽車でクライストチャーチへ帰るが、それまでなにをするのだろうと心配になるくらいなにもない町である。観光ガイドにはモーターボートやヨットが楽しめると案内してあったがそのような気配も無い。

 今日のサイクリングはグレイマウスまで約39キロ走り、高度を120メートル下げる予定。道路はクライストチャーチとグレイマウスを結ぶ幹線道路で大型のトレーラーなどが自転車のすぐ横を100キロ以上ですっ飛んでいき、その都度風圧で飛ばされそう。

 モアナからスティルウオーターまで21キロ、アーノルド川沿いを通る道、たまに少しの登りがあるがほとんど平坦。やがてスティルウオーターに着く。日本での事前調査では、ここでビールが飲める店があるはずだがと探すがそれらしきものはない。仕方ないのでグレイ川沿いにグレイマウスに向けて走り始めるとほどなくドブソンの集落に入りカフェバーの看板を発見。トイレを使いたいと理由をつけてビールを飲みにはいる。暖炉の温もりが気持ちよくビールをいただいて再び走り始める。このあたりから川から吹き上げる向かい風がややきつい。

 スティルウオーターからグレイマウスまでの道はステイトハイウエイ7号線だが別に高速道路の規格にはなっていないただの道路である。制限速度は100キロで民家が多くなると制限速度が適当に下げられる。小さな集落を通過する場合は大体70キロである。

 7号線が6号線に変わると今日の目的地グレイマウスである。小さな町であるが今までが何もなかったので大都会に着いたような気持ち。グレイマウスというのはグレイ川の口という意味。日本語ではグレイ河口とでも言うかな。

 今夜泊まるローズウッドB&B (http://www.rosewoodnz.co.nz/)はダウンタウンにあるので教会や役所、消防署などがあるところを探しながら進むと、案内の通り消防署の2軒隣に発見。ローズウッドB&Bは日本の民宿のようなもので、しかもクォールマークがついていた。

 クォールマーク(Qualmark)とは上の写真である。クォールマークはニュージーランドの観光業界の公式な品質評価システムである。ニュージランドの貴重な外貨獲得手段である観光の品質を政府が決めているもので、どこに行ってもこのマークがついておれば安心できる政府のお墨付。
http://www.newzealand.com/travel/ja/qualmark/qualmark-accommodation.cfm
 ローズウッドB&Bの門の上にある看板に4星のクォールマークがついている。

 事実、ローズウッドB&Bはそこらのホテルが負けそうな設備と清潔さ、ホスビタリティを持っておりクォールマークは4星である。建物は1920年代に建てられたもので、Member of Heritage & Character Inns of New Zealandにも登録されており下の写真がそのマークである。

 Heritage & Character Innsというのはかなり旧くて特徴のある宿屋がグループをつくり宿屋としての格付けをしているもの。
 ここのお母さんロンダはクライストチャーチ生まれのキウイ〔ニュージランド人〕で若い頃にイギリスとドイツでホテルマンとしての修行を積んだそう。そしてドイツでルフトハンザ航空のビジネス・ファーストクラス客室シェフであったステファンに会い1990年にハネムーンでニュージランドにきて、この国がすっかり好きになって2001年ここにローズウッドB&Bを開いたそうである。

6- グレイイマウス ⇒ ピュナカイキ

2006-12-26 10:48:18 | NZ(Kiwi) cycling
 朝食前にロンダ母さんに「今日はピュナカイキでブローホールを見たいから1時に着けばいいね」と話したならば今日の満潮は11時45分だからもっと早く着くようにといわれ、念のために新聞の天気予報を見せてくださった。間違いなし、さすがホテルマンと感心した。なぜか自分の頭には満潮は1時が入力されていた。 朝食はクックド、同席したアメリカ人カップルも勿論クックドであった。アメリカ人はカリカリに焼いたベーコンが好きだというシーンを映画で見たことがある。彼らとひとしきりニュージランド語の難しさについて議論をし出発の準備をする。



 Punakaikiはプナカイキと発音したいが現地の人はピュナカイキと発音していた。予定走行距離は42キロでしかも海岸なのでこれをなぜ1日のコースにするのか、馬鹿にしないでよと最初は思っていたがコースの設計者はプロであった。
 上図で見ると今日は鋸の刃の上を走ることになる。刃の高さはそこそこだが勾配の急なこと、まだ体がサイクリング・モードになっていないのでこれはかなり堪えた。

 次の写真はいい景色だねと風景に感心しつつも休みをとる口実であった。



 あえぎながら登っていると横を調子よく抜いていくグループが現れ、走りながら聞くと一人はアメリカ人で横浜の町田から来たとのこと。他の連中も一緒かと尋ねるとたまたまツアーで一緒になっただけらしい。このグループは殿様サイクリングで後方からリアカーを牽引したバスが追ってくる。つまり楽しいところだけ走り、疲れてギブアップした時や雨になるとバスで移動する。荷物は全てバスのなかにあるので自転車はかるい。

 休んでいたGPSがやっと作動し始めた。日本から持ち込んだGPSが衛星を捕捉できなくて作動していなかった。原因は今まで使っていた場所と新しい場所、ニュージランドが離れすぎていたことであった。操作の途中これに関するメッセージを見落としていた私のボンミスであった。

 道端に日本でよく見る無人販売が見えたので寄ってみると有機蜂蜜であった。へらを添えてあったので試食するととても美味。やはりこの国は安全な所だ。日本と同じように人は皆善人と信じてこのような店が出せる。売上は覗かなかったがきっと何ドルかは入っていると思う。写真は携帯で写したもの。



 天気もよくなりルンルンで走っていたが肌がジリジリと焼かれ始めたことに気がついたときは既に手遅れ。天気も悪いことだし日焼け止めはつけなくてもいいだろうと塗らずに走っていた。旅の最後の日までこの後遺症が残ってしまうことになる。

 昼を少しまわった頃にやっとピュナカイキに到着し、ビジターセンターに自転車を預かってほしいとお願いしたら、通りの向こうに自転車スタンドがあるからそこに停めるようにいわれた。荷物が盗まれるかもしれないと食い下がると大丈夫だよと言われたので自転車はチェーンでロックしてニュージランド版東尋坊の見に行く。


ニュージランド東尋坊。

 観光客がバスで次から次へとくるのも良く似ている。ブローホールも見えたがまあまあだね。遅めの昼食を取ったが相棒が注文などに手間取っているうちにカメラを紛失でなく、カメラをカウンターにおいたまま注文していたので置いたことを忘れていた。さいわいにも店の人が見つけて保管してくれていたので事なきを得た。皆さん親切。

 今夜泊まるピュナカイキ・タバーンモーテルは岬のすぐ下にあったのに見落としてしまった。明日走る予定の峠を二つも越した後、距離にして8キロくらい走って間違いに気がつき引き返すことになってしまった。こういうときの疲れは普通の疲れの10倍くらいになる。

 モーテルのフロントはカフェバーの中にあるのでチェックインを済ますと部屋に入らずそのままビールを飲み始める。疲れたときは、特に今日のようにつまらないことによる疲れのときはビールに限る。世間ではこのお酒のことを「自棄酒〔やけざけ〕」というそうだ。 モーテルの倉庫に自転車をいれてシャワーを浴びて、再びビールを飲みに行く、ついでに食事もするという感じ。なにしろ疲れているのであまり食欲はなく、チキンナゲット6ピースでおしまい。

 昼食や夕食はカフェバーの看板がかかったところですますと安いし、小さな町にはレストランはない。ただカフェバーの利用の仕方が日本人には面食らう。 店に入っても日本のようにウェィターが席に案内するようなことはない。自分で勝手に席を決めて、飲み物はバーカウンターに行って注文し自分で席まで運ぶ。代金はそのときに払うが最後に全部一緒に払うといえばそのようにもしてくれる。チップは要らないがお釣りのコインを何気なくさし返してやるととても喜んでくれるのは嬉しい。アメリカなんかはチップくれてあたりまえで少ないとお礼も言わないのは嫌だね。
 飲み物を注文したときに食べ物のメニューを貰い席でゆっくりと食べるものを選ぶ。決まったならば食べ物の注文カウンターまで行って注文する。このとき番号のついた旗をくれるのでテーブルに置いて待つと食事が運ばれてくる。後はお行儀良く食べればいいが食べ物が残っていても食べる気配がなければ皿を下げにくるので注意。勿論そのときにまだ食べると言えばそれで良し。
 レストランは日本と同じシステムであるが、お値段は勿論高くなる。また料理の味付けや調理の具合まで細々と指図しなければならないのでその英会話は難しい。日本ではこんな味にしてなんて言うと板前が柳包丁を持って出てくるかもしれない。

 本日の走行記録は57.3km最高速度48.2km/H平均速度13.0km/H移動時間4:24:15だが走行距離、移動時間にはGPSの設定の都合で10kmくらいの加算が必要と思われる。

7- ピュナカイキ ⇒ ウエストポート

2006-12-26 10:48:05 | NZ(Kiwi) cycling
 サイクリング日和の快晴。昨日の難儀した坂道を再び登り始める。今日も相も変わらずレンタルのキャンピングカーが走ってくる。車種はトヨタのハイエース等を改造したもので、レンタカー会社はキウイとかアポロなど2社くらいあるようだ。
 先にも述べたようにホテル事情が悪いのでいたるところにキャラバン・パークというキャンプサイトが整備されており、サイトには電源が用意されているので車に直接接続できる。車内には240Vの電源があるので普通の家電製品が使用できる。車にもシャワーやトイレットは設備されているがキャラバン・パークにはシャワーやトイレット、売店などが完備しており安全面からもキャラバン・パークの利用を薦めている。



 今日の最初の坂道に写真のようなペンギンに注意の看板があった。道は海岸からかなり高く離れているがややひやっとするところであった。そして間もなく動物の事故死を発見。茶色のビロードの塊のように見えた・・・そう、ペンギンであった。死骸はむごたらしいので写さなかったがやはりここは南極に近いところだと思った。写真は携帯で撮影、しかも逆光で申し訳ない。



 今日はピュナカイキから港町ウエストポートまで55キロくらい。体は徐々にサイクリングモードになりつつある。 今日も図のように坂道が鋸の刃のように続く。昨日に比べると少しは刃こぼれがしているがまだまだ鋸である。

 出発から20キロくらいの地点は白馬の丘という高原になっており、エニシダの群生のなかに蜜蜂の箱がたくさん置いてあった。巣箱の手入れをしていたおじさんがいたので儲かるかいと声をかけたならばいい調子だよとの返事・・・気持ちいいね。

 図の中の"Please Note"に書いてあるように、このコースではチャールストンしか昼食をとるところが無い、しかも昼時しか営業していないという案内だった。ちょうど昼頃にチャールストンに到着、早速カフェバーに入る。ハンバーガーを注文すると、店のものはマックとは違うキウイスタイルと念をおされた。なにが違うかって・・・ハンバーガーが崩れないように竹串を刺してあった。これはどこかで見た事があるが親切だよね。
 店先にニュージランド、カナダ、スエーデンの国旗が掲揚されていたので、どうしてかと聞くと経営者3人の出身国だそうだ。さすが移民の国という感じ。


エニシダの群生

 天気も良いし気分もサイクリングに慣れてきてとても調子がよい。さらに不思議なことに脊柱管狭窄症が原因でおこる就寝中のふくらはぎの痙攣〔こむらがえり〕が起こらなくなった。そして腹をつまむと気のせいか脂肪が少なくなっている。まとめで書くが帰国後主治医の診察を受けた結果体脂肪率が激減していた。


ウエストポートの本通

 相棒のニュージランド通貨が少なくなってきたので銀行の開いているうちにウエストポートに着くようピッチをあげて走る・・・なんとか間に合って両替をすまして、ついでに今夜泊まるハーベンリー・ホームステイを訪ねたならば銀行のすぐ裏手にあった。
 銀行が面している本通りは西部劇のように歩道にひさしが伸びておりアーケードになっている。人はほとんど歩いていない静かな町。昔は鉱石などを船積みした活気のある町だったと思うがその活気は見られなかった。

 ハーベンリー・ホームステイの前でどこが入口かな、と相棒とがやがやとやっていたら親父さんが裸足で飛び出してきた。挨拶を済ませて車庫に自転車をいれて、今日はたまった洗濯をする。事前にウエブで調べたならば洗濯ができると案内されていた。洗濯機は1槽式で日本のものよりかなりでっかいが乾燥機はついていなかったので外に干す。8時くらいまで日が射しているので乾く予定だったが食事から帰って取り込んだが一部生乾きだったので車庫に乾しなおす。
 夕食は近くのポートベロが甘いということで行って見た。私の好きなサラダディナーがメニューにありこれを注文。この料理はアメリカではやっているもので大量のサラダの上にステーキとかシュリンプとか注文の肉類を載せてくれる。日本人の腹にぴったりの量でアメリカではご婦人のダイエットメニューである。


ホームステイのご夫婦。

 相棒は早々と寝てしまったのでジャンお母さんと夜中までマオリ族の話、とても楽しかったように覚えているが酔っ払っていたので内容は記憶に残っていないが・・・マオリに対する人種差別の問題とか、日本のアイヌや琉球民族の話など話していたと思う。イアン親父は会合で外出中であった。

本日の走行距離56.1km最高速度47km/H平均速度12.7km/H移動時間4:24:24。

 最近食が良く進む。今朝はコンチネンタルで全部食べることが出来た。こんなことはきわめて珍しい。毎日5時間以上も自転車を漕いでいる効果である。ご夫妻に見送られてすぐにでも雨が降りそうな天気を気にしながら出発。



@home NEW ZEALANDのロゴ

 泊ったハーベンリー・ホームステイは@home NEW ZEALANDという組織にはいっているようだった。下の絵が組織のロゴ。他にも組織を紹介しますが自分だけでは客が取れないし、ホームステイのノウハウも入ってこないのでこのような組織のメンバーになることは大切である。

 家の前には次の様な看板がかかっている。看板の右上に@home NEW ZEALANDのロゴがはいっている。



8- ウエストポート ⇒ リーフトン

2006-12-26 10:47:50 | NZ(Kiwi) cycling


 図中の"Please Note"にあるように、ウエストポートからリーフトンの間は食事をするところが無いので食料を持つように言われていた。しかし、これまでも同じような注意があったがなんとか食事はできた。78キロも走ればなにか有るだろうと思い走りは始めが本当になにもない。川沿いの起伏の少ない道を軽快に2時間くらい走ったところ、ベルリンの集落にカフェバーがあったのでコーヒーを飲みに入ったが昼食には早いのでなにも食べずに再び走り始める。

 日本の常識は日本だけに通用する。郷においては郷に従うべきであることをこの旅で痛感した。

 どこまで走っても牧場と点在するお百姓さんの家だけ。向こう91キロガソリンスタンドなしの看板・・・これくらい過疎である。先方を行くのが相棒。




 いささか参った。シンガポールからの機内から持ってきたクラッカーとチーズがそれぞれ2個あったので道端でそれを食べる。日本に居たときは昼食を食べなくても平気だったが最近食も進むので空腹がつらい。そのうちに雨も降り出したので合羽を着るがまさに泣き面に蜂である。

 クライストチャーチまで287km・・・途中ルイス峠も越さなければならない気の遠くなる場所。道路情報を伝える電話番号が記載されているが携帯は通じないし、公衆電話などまったく無いのでこの看板は無意味に近い。



 これから行くリーフトンには鉱山があり、そこに電気が必要でニュージランドで最初の水力発電所がリーフトンに作られた。採掘された鉱石は鉄道でウエストポートまで運ばれたが、その鉄道が道路に平行してある。所々で道路と交差するがその標識の汽車には煙突があって煙が出ている。最近の子供には意味が分からないだろうなと心配するが取り越し苦労か。

 道路工事のため一方通行になっており交通整理のおっさんとしばらくお話。ウオーキートーキーで日本人のサイクリスト2名を先に出す・・・とどなり自動車を後に従えて走る。これはなかなか気持ちが良い。でもおなかの足しにはならない。

 やっとリーフトンにはいるとパトカーが停車していたのでホテルの場所を尋ねると地元の警官でないので他で聞くようにと言われてしまった。自分の居る所の地理も分からずにパトカーを停めておるなと言いたかったが気持ちを抑えて道の反対側にあるファーストフードの店に道案内を乞うことと何か食べ物を買うために入った。目に入ったのはなんと海苔巻である。こんなところでなんだよという感じ。棟続きで隣がバーになっているようなのでビールを飲みたいから開けてくれるよう頼んでみたら、おねえちゃんでは空けられないのでマネジャーを呼ぶから待ってとのこと。ほどなくおばちゃんが現れて交渉の結果開けてくれることになった。この店はどうやらフィリッピン人が経営しているようで、おねえちゃんにタガログ語で話を始めたら途端に態度が良くなりさらにビールが進む。実は私はタガログ語も話せるのである。ファーストフードの店にあった海苔巻を持ってこさせて食べてみたが初日の海苔巻と同じ味だった・・・ここでは無理して食べることはない。腹も喉も元気になったのでホテルの場所を教えてもらい、今夜食事に来るかもしれないとあいまいな未来形で告げて店を出る。

 ホテルはブロードウェイに面してあった。ニューヨークじゃあるまいしなぜブロードウェイと思いながらもチェックインする。ホテルの名前はリーフ・コッティジでどうもバックパッカーやサイクリストの泊まるところらしくロビー兼キッチンには先客がたむろしていた。彼らは釣りにきておりニュージランド人の先生とカナダ、アメリカ、そしてイギリスの生徒さんたちであった。
 これまで綺麗な清潔なホームステイになれているので汚くはないが清潔感のしないこのホテルは馴染めない。シャワーを浴びて雨の中を先ほどのフィリッピン人の店に向かった。店に入ると我々のテーブルがセットされていたので尋ねると先ほどのおねえちゃんが我々のためにセットして帰ったそうだ・・・嬉しくなるね。久しぶりに焼きそばを食べてみた。味は申し分ないので誰が作っているのと聞くとマニラで日本料理店に勤めていたコックが作っているとのこと。あの海苔巻も彼が作ったのか聞くとそうだというので、甘い作り方を教えるから連れておいでと言ったが恥ずかしくて嫌だとのことだった。酔っている勢いは怖い・・・彼が出てこなくて良かった。

 明日も食料がないところを走るのでスーパーに買出しに出かける。売っているものは日本とほとんど同じであるが規模はコンビニに毛の生えた程度。クラッカー、チーズなどを買ったが結局最後まで残ってしまいホームステイ先に置いてきた。まだ飲み足りないのでビールも買い込み、明日からは1日中携帯が接続できない可能性があるのでその旨架電する。天気予報は雨。

 本日の走行距離79.6km, 最高速度44.1km/H, 平均速度15.4km/H, 移動時間5:09:10

9- リーフトン ⇒ マルイア温泉

2006-12-26 10:47:39 | NZ(Kiwi) cycling


 雨の中を出発。相棒が先に走り始めるが途中でみたサインにはグレイマウスとスティルウオータしかなく、クライストチャーチは見当たらなかった。相棒は川沿いの道だから大丈夫と言い張るが、実はこの川はマルイア温泉から流れてきてリーフトンを経由してウエストポートにいたる。したがって彼の主張は正しいが川沿いを遡上するという情報が欠落していた。引き返しニュージランドで最初に建設された水力発電所の傍を通って雨林帯に向かう。

 このあたりはタスマニア海から湿気をたくさん含んだ風が山にぶつかり多くの雨をもたらすと思う。この豊富な水と寒すぎない気候が素晴らしい雨林帯を作り上げている。
 道は徐々に高度を上げていき両脇には巨大なブナが見え始める。見た事のない東北のブナの原生林もきっとこのようなものだろう。
 自転車は我々だけで時折山から切り出したばかりの丸太を満載したフルトレーラーが高速で通り過ぎていく。雨が降っているのでトレーラーが巻き上げる水で一瞬前方か見えなくなる、恐ろしいサイクリングである。ワイパーつきのメガネを誰か作ってくれないかな~。

 コースを決める前にこの道とルイス峠越えが心配であったので問い合わせたところ次のメイルをICTからもらった。

Kia Ora Shiro and thanks for your enquiry regarding booking a self guided tour of the South Island.
Further to your email I can confirm the daily distances as listed below:-
Day 6 is 60km in distance and involves a 200m climb [gradient 8%] later in the day and several 100m climbs earlier in the day. Overall there is 400m-altitude gain over the day.
Day 7 is 79km in distance and involves a 300m climb [gradient 6%] to start the day and several 100m climbs later in the day. There is however a 300m-altitude loss over the day, so most people find it reasonably okay.

 Kia Oraはマオリの言葉でこんにちはだと思う。6日目のコースは60kmで200mの登りで勾配は6%、つまり100m走って6m登ることになる。コースの始めの部分で100mくらいの登りがある。最終的には400m高度をかせぐ。7日目の分については次の章で説明するが難しさは大概の人たちには問題ないとのこと。ウエストポートを出るときにジャン親父さんからかなりきついので自転車を押して登ることになると脅かされたが、全く問題なく一度も自転車から降りることはなかった。
 この道は4500m級の南アルプスを横断して東と西を行き来するためにルイスという人が開発したもので、今走っている道、国道7号線は「遺産街道」と名前がつけられている東西を結ぶ重要な産業・商業道路だ。

 ラフ鞍部に着いたか否かは距離計でしか分からない。後で気がついたがGPSでは高度も分かるのでそれで確認すればよかった。距離としては今鞍部に居る、そして道の傍にあった川も見えなくなったから間違いないだろう。やがて道は下りの連続になり突然スプリング・ジャンクションのサインが見えてきた。

 ここはウエストポート、ネルソン、そしてクライストチャーチを結ぶ要所であり、大きなガソリンスタンドとカフテリアがあり多くの観光客で賑わっていた。余りにも寒かったのでコーヒーで暖をとりピッツアで腹を膨らました。あと10キロで今日の目的地マルイア温泉である。

 マルイア温泉が突然木立の中に見えてきた。ホテルに入ろうとしたならばなんとドアがロックされている。なぜか分からないがドアをドンドンと音がするほどノックするとやっとのことでクラークが気がついてくれる。少し時間が早すぎたかもしれない。チェックインする時に今夜の食事の予約を聞かれたので、メニューを確認すると日本料理がびっしり。値段は書いていないがジャン親父さんの評判では高いらしいが寄せ鍋を奮発した。

 部屋はまだ掃除中であり入れないので軒下に自転車を置いてバーに行き、無事を感謝して乾杯、勿論モンティースで。

 マルイア温泉は赤倉のホテル秀山の社長が開発したもので、温泉は日本式のものと西洋式のものが設備されている。早速日本式へ入るが日本みたいに石鹸など置いていない。私は温泉が好きでないが温度が低かったのでゆったりとつかることができた。
 次の写真は温泉に通じる通路と温泉の屋根。正面左に家族風呂、正面が西洋式露天風呂、右は見えないが和式風呂がある。温泉は対岸の山の中にありパイプでこちらまで導いてくる。庭には桜やクレマチィスが植えられている。



 携帯が接続できないのでやることはない。時間になったのでレストラン秀山へ向かう。
 レストランにはさきほどカウンターの奥にいたクラークが今度はウェィトレスとして働いていた。彼女は千葉県出身で3年の就労ビザを取得してここで働いているとのこと。ワーキング・ホリデーは3ヶ月毎に雇用主を変えなければならないので落ち着かないが3年の就労ビザは安心して働けるとのこと。他にも多くの日本の青年が働いていた。

 日本酒をいただき鍋をつっつく、至福だね。ご飯は雑炊にする。全て日本式。

 宿泊客は日本の新婚さんが1組の他は全部他の国の方、水着を着て浮き袋を持って温泉に向かう姿は私にしてみればチンケイ。

 高価といわれるこのホテルの代金は以下のとおり。ただし部屋代は捌。普通じゃないですか。

 寄せ鍋 1人前 $55.00、 ジャックダニエル シングル $3.80、モンティース 小瓶 $6.00、 千寿 辛口 1合 $14.80

本日の走行距離60.7km, 最高速度34.5km/H, 平均速度11.4km/H, 移動時間5:20:08

10- マルイア温泉 ⇒ ハンマースプリング

2006-12-26 10:47:26 | NZ(Kiwi) cycling


 マルイア温泉の朝食はビュッフェだったのでベーコンと焙り卵で今日一日の活力を詰め込む。 自転車の点検をし、チェーンに潤滑油を注し出発に備える。

 千葉のお姉さんのお見送りで雨の中をルイス峠に向かう。今朝はかなり緊張している。ルイス峠についてメイルでは、今日は79km走る。最初勾配6%の坂を300m登る。他に100mの登りが何箇所かあると案内されていた。
GPSが1000mを表示すると止まって5分休む。この繰り返しで1時間もしたならば峠に着いてしまった。峠にはフィンランドのマキネンを真似していたのであろう、正面から衝突し山肌に押し付けられた2台の車の事故の処理をしていた。かれらに頑張れの親指エール・サインをもらって坂を下り始める。

注釈 マキネンとはフィンランドの有名なラリーレーサーで日本のスバルを駆使して山道を走る。時々山肌と仲良くなっていたりする。ルイス峠でラリーをやると楽しいでしょうね。



 路側帯が少しあるのでかなり安心して走られる。まだ合羽を着ている相棒。

 しばらく下ったところで雨もあがり日も射してきたので合羽を脱ぎルンルンの走りが始まる。テントを乗せたソロ・サイクリストが登ってくるので親指エールを贈る。昼は適当な広場を見つけてリーフトンで買った非常食を食べる。

 ガイドブックに At the signposted turn off, turn left onto Hanmer Spring Road. と書かれていた。なんで turn off なのよと考えていたならば標識に turn off と書いてあった。turn off をダブルクォーティションで囲って欲しいよ。ハンマースプリングでビッビーとクラクションを鳴らしてくれたので見ると屋根に自転車をのせたお兄ちゃんが親指エールを贈ってくるので手を振って答礼。

 道は平屋が点在する高級住宅街らしきところに入っていく。
 ここで初めて叱られてしまった。道には我々しか居ないのでホームステイを探すべく行きつ戻りつするので道の右側を走ってしまうことになった。そしたら突然現れた乗用車のおじさんにおそらく「この糞たわけが、道の左側を走らんかい・・・」というように叱られた。言葉は理解できないが剣幕は十分に伝わってくる。ごめんという言葉もとっさには思い出せなかった。この年になってこんなに叱られるとかなり辛い気持ちがする。
 すこし難儀したがアルベルゴ・ハンマーを探し当てるが家主は不在。その代わりに玄関に携帯がぶら下げてあり電話番号がメモに書かれていたので電話をすると同宿する客を迎えに行っており間もなく帰ってきた。


アルベルゴ・ハンマーの庭 借景作り

 民宿をビジネスにしているところであるがクォールマークなどはなかった。その代わりに客を斡旋する会社がいっぱい登録されている。ICTもその一つである。それとここの親父でなくビート・パパは凄く有名であちこちでビートの朝飯は甘かったろうとい話がでるほど。ビート・パパはスイス生まれ、バスチャー・ママはスイス・ドイツ系ニュージランド人で二人とも旅行企画やホスピタリティのプロである。客間のあちこちに何気なくかわいい置物が飾ってあり、ロビーにはご婦人の喜びそうな装飾品が並べてあり欲しい人は買うことができる。とにかくお行儀良くしなければならない雰囲気。

参考  借景(しゃっけい)は、中国庭園や日本庭園における造園技法のひとつ。庭園外の山や樹木、竹林などの自然物等を庭園内の風景に背景として取り込むことで、前景の庭園と背景となる借景とを一体化させてダイナミックな景観を形成する手法。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%9F%E6%99%AF

 とにかくご夫婦の趣味の総集編という感じ。女性ならばここに泊まれば自分がセレブになったような気がすると思う。

 シャワーを浴びて町へ夕食に行く。街まではかなりの距離があるので自転車で出かける。町は観光客でごった返している。こんなに沢山の人を見るのは久しぶりである。どこに行っても大体似たようなものであることも分かってきたので、看板の大きなカフェバーに入りいつもの夕食を済ませてスーパーへ今夜の酒を買いに行く。
 シャンパンを買って自転車でぶらぶらと走っていると、ホテルのレストランでボトルも売りますという看板を発見。じつはグレイマウスでウィスキーが欲しくて酒屋に行ったが専門店は既に閉店しており、コンビニで訪ねるとホテルへ行きなさいと言われた。その理由が分からないままにウィスキーは買えずしまいだった。ニュージランドでは強い酒はライセンス制になっておりスーパーなどでは販売できないのである。専門店は早く閉店するし、小さい町では専門店も営業できるだけの客がいないのでレストランなどがライセンスを得て販売しているのだ。ピュナカイキでもバーでウィスキーを買っている人を見かけた。

 本日の走行距離79.0km, 最高速度57.9km/H, 平均速度15.0km/H, 移動時間5:16:12

 ハンマースプリングは1日休養日になっているので今朝は朝食を頂いて、その後洗濯をすることにした。

 実はビート・パパは料理のプロだった。ここのルールで次のメニューに氏名と食べたい時間を書いてキッチンの入口に前の夜にぶら下げておく。時間に食堂に行くとすぐに料理が出始めるのである。私は例によってクックドを注文した。メニューを私なりに解釈すれば「蜂蜜で醸したスイスベーコンと卵料理。料理の仕方は決めてください。添え物は焼きトマト」これだけならば普通の朝食であるが、焙り卵の中に糸のように細く、長く切ったレモンの皮が添えられその香が料理を一段と引き立てる。美しい山々を見ながら頂く朝食・・・極楽だね。



 洗濯機の性能が悪いとビート・パパいわく。そのとおりで午前中は洗濯。雨も降っていたから丁度よい。洗濯が終わる頃には天気も良くなり昼ご飯を食べに出かける。もう、外食も興味の対象ではなくなったので適当に食べ一旦帰って水着に着替えて温泉に行く。3段腹や4段腹のおばさんに混じってゆっくりと湯につかる。帰りはぬれたまま上にシャツを着て走るので相棒は冷えすぎてチアノーゼが出てしまった。

明後日はいよいよクライストチャーチであるのでICTへ無事である旨架電するとすぐに以下の返事を受け取る。風が弱いことを望む。しかし文中の「Hi Shiro & Matasuru,」はなんだ。サイクリングだから股はするよ。Matasuruは相棒のYasunoriの笑える間違い。

Hi Shiro & Matasuru, great to hear you we have no problems and hopefully the weather has been good while you are cycling as it has been quite windy on the East Coast.
Good luck with the cycle back to Christchurch via Amberley tomorrow and hopefully we will see you on Tuesday at Adrienne & Trevors.
Kind Regards and happy cycling,
Paul & Kim

Paul Kelly,
Director,
Independent Cycle Tours New Zealand Ltd.
www.cyclehire.co.nz
info@cyclehire.co.nz
'Let us do the work while you enjoy the ride'

11- ハンマースプリング ⇒ アンバレイ

2006-12-26 10:47:11 | NZ(Kiwi) cycling
 昨日の朝、お手伝いのおばさんが今夜は雪が降り向こうの山には積もるよと言っていた。本当に積もっていた。例によって極楽の朝食を頂き水筒に水を詰めてもらい出発。
 いつも出発前に水を頂くが全て水道水である。蛇口からそのまま水を飲めるのは日本と米国だけと何かの旅行案内書で読んだ事があるが、ここニュージランドは水が安全で美味しい。ペットボトルなんか買うことない。



 今日は91キロ走るが完全にサイクリングモードにはまっており、特に今日は途中の食事のことも気にしなくてよい。見てご覧。いっぱしのサイクリスト。



 道の両脇には葡萄畑なども見え始めとにかくご機嫌で走る。予定より早く走っておりICTが推奨するカフェバーでは昼食に早すぎたのでコーヒーだけ飲んで再び走り始めるが、雲いきが悪くなりぱらぱらと降り出す。合羽をきて走り始めるが、昼に近くなってもこんどはカフェバーが見つからない。本当に小さな食堂を見つけて転がり込む。チキンサンドイッチを頼んで食事は終り。寒いのでしばらくストーブで暖をとらさせてもらい雨が弱くなるのを待つ。

 ニュージランドの農地の特徴としていたるところに防風林がある。次の写真の右の樹木が防風林。木の種類はわからないがポプラのようなやけに背の高いものである。我々が到着する前の週に嵐がありあちこちで大木が倒れていた。今走っている道端でもそれらの倒木を処理している光景がたくさん見られた。とくに国道の両脇の木は徹底的に間引きしているように見えた。



 上の写真では路側帯がほとんどないので車道の真ん中を走ることになる。左側にあるプラスティックの杭はこれより左は地盤が軟弱であることを示している。さらに左のほうに写真では見難いがフェンスがある。これは牛や羊が往来に出ないようにするためでニュージランド中のフェンスの総延長はいったいどれくらいになるだろう。

 クライストチャーチを出発するときにトレバー親父さんが Magpies bird に注意せよと言っていた。これは突然上空からサイクリストを狙う烏くらいの鳥である。先方を走っている相棒にその鳥が急降下攻撃をかけた。やばいと思ったならば次は私にアタック・・・手で払いのけながら走り続けた。攻撃は1回だけだが、予備知識がなければパニックになったかも知れない。ニュージランド人は親切だが鳥は別だった。
 写真は撮れなかったがウエブで調べるとやはり烏の仲間だった。人にはあまり好かれていないみたい。日本語ではカササギと言うが佐賀県に生息する別名カチガラスとは違うと思う。ペストを媒介する。



 6~11月がカササギの繁殖期であり子育中のお母さんカササギは凶暴化する。このシーズン公園などでカササギに襲われるのは珍しいことではないらしく、ご覧のとおり、自転車や、郵便バイクの人がメインターゲットのようである。鳥なので後ろから狙うそうなので、自転車など前を見ている人はいいターゲットである。
http://www.go-ryugaku.net/weblog/item_455_catid_5.htmlより引用



 交通量がやたら多くなってきた。いよいよアンバレイに入る。今夜の宿はアンバレイの町外れにあり道端にダチョウの絵が書かれた看板があるとのことで探しながら走る。本当にもう町がなくなるという感じのところに看板を発見。
 今夜の宿はブレドン・ダウンズというキウイ・アカマデーションのグループに属するファームステイで建物は築130年の豪邸である。ウエブには100年と書いてあった。



 自転車を乗り入れるとボブ親父が迎えに出てきた。自転車をポーチに上げて荷物を解いて居間へ挨拶に行くと、ビールかコーヒーそれともお茶と聞かれた。ビールが最初に聞かれたのは初めてで、勿論ビールと答える。居間にはイングランドのカップルがいらっしゃって会社の1ヶ月ほどのご褒美旅行らしい。そして途中我々を追い抜いたらしい。言葉が分かりにくいのでイギリスには標準語はないのか尋ねるとBBC英語はあるが普通の人は喋らないそうだ。

 ボブ親父は話をするときは背筋をぴしっと伸ばして威厳がある。庭を案内してもらったが、大きな黒い犬、ラバ、豚、孔雀がペット、家畜はダチョウである。プールもある。広くて豪勢でリラックスできて素晴らしいので次は孫を連れてくるよとあいまい未来形で言ってしまった。

 夕食はどうするかという話になりマトン〔羊〕が食べたいと希望を言うと、マトンは年食った羊で固いからラム〔子羊〕にせよと言われた。恥ずかしながら知らなかった。近くにノースウエスト・ポイントというレストランがあるからそこに行くように案内された。距離は自転車で5分くらいだねと念を押すと7分だと親父がのたまう…500キロ走るんだから1分や2分はどうでも良し。ノースウエスト・ポイントというのは初夏に北西の風〔northwesterly wind〕が暖かい空気を運んでくると皆がハッピーになる、その喜びをあらわしているそうだ。レストランに着くとサイクリストが2人行くとすでに連絡がはいっておりテーブルがセットされていた。早速子羊のステーキを注文する・・・美味であった。
 レストランの名前を調べたならば正しくは NorWester Cafe で数々の賞を獲得している由緒あるレストランだった。

本日の走行距離88.3km, 最高速度41.0km/H, 平均速度17.0km/H, 移動時間5:14:48




12- アンバーレイ ⇒ クライストチャーチ

2006-12-26 10:46:43 | NZ(Kiwi) cycling
 1号線はクライストチャーチの入口で交通量が多くなるので自転車は走らせてもらえないから、ルートをわき道にとり南に下がる。案内書では町の真中を通って最初の日に泊まったホームステイまで帰ることになっているが、途中で昼食に入った店で聞くと、ここからは1号線も自転車で走られると分かったので先ず空港に進路をとる。
 夕方無事にアポーティコ・ガーデン・ホームスティに到着。汚いものは持って帰りたくないので全部洗濯する。

 本日の走行距離51.1km, 最高速度37.1km/H, 平均速度17.0km/H 移動時間3:00


 500㎞サイクリング走破を祝って乾杯。

 水曜日はシンガポール航空が飛ばないので今日1日は市内観光にあてる。お土産を入れるためにリュックサックをつけて自転車で町にくりだす。宿舎から東に走りハグレー公園を横切り博物館の前の自転車駐車場に自転車を入れてチェーンロックしていよいよ市内観光です。驚いたのは全部の博物館が無料で写真を撮っては駄目などという無粋な張り紙はない。
 トラムウェイという観光用路面電車があり$12.50の2日有効のチケットを購入。1日券は無いかと尋ねたがない。まず一周して見たいものを決める。

 トラムの外装は金属だが内装は木製で気持ちがよい。運転手や車掌は年寄りの男女。案内を車内放送でしながらのろのろと走る。単純で退屈ではないかと心配になる。
 その他市内観光については観光案内書を見てください。

 日本を出るときにチーズモーガーという店でチーズを買うと決めてあったので探す。店は簡単にみつかりいくつか試食して$100の塊を購入。店の前に前輪をエンジンで駆動する50年くらい前のバイクを見つけたので店の主人に走るかと聞くと現役だそうだ。フランス製である。写真を撮ろうとしたらフランス製のヘルメットをかぶって撮れということで次の写真がそれ。


チーズモーガーの店先で

 最後の晩はお世話になったトレバー親父さんアドリーネ母さんを招待して晩御飯に出かける。高級な店でワインは勿論地元のものを選んでもらった。アドリーネ母さんに味はと聞くと甘いものだというのでもっと辛口にしないと持ちかけるとアドリーネ母さんも辛口が好きだということで、ウイザーヒルと言うのを2本も飲んでしまった。お値段は$108.00。食事はどうしても食べたかった鹿のステーキ$32.00。

 ブログ・マネジャーにはお土産として地元の唯一のウィスキー・ウィルソン1リットル瓶を購入。$34.99。
 翌日はトレバー親父さんに空港まで送ってもらい楽しいサイクリングはこれで完結。たくさんの人に支えられて事故も無く500km完走・・・感謝感謝です。


トレバー親父さんアドリーネ母さんをディナーに招待



13- まとめ

2006-12-26 10:46:26 | NZ(Kiwi) cycling
 初めてのニュージランドで感じたことをまとめる。

コース作りが素晴らしい
 当初は1日に走る距離が短いので馬鹿にしていると思ったが、疲労の度合いや道路状況への慣れなど細かいところまで気を配った設計がされている。ハンマースプリングの休息日はなくても良いのではと思った。

ガイドブックが素晴らしい
 ガイドブックは実際にポールとキムが走って作ったものと思われる。彼は私と同じGeko 201のGPSを持っており、これで測定して作ったと思われる道路の断面図は走り方の参考になる。コースの詳細な説明、途中で見るべき風景、昼食をとる場所の説明が詳細に書かれている。ここまでは普通のガイドブックにもある形態だが、泊まる町のことまで詳しく述べている。たとえばこの町には自転車の修理ができるところはどこにあるとか、買い物はこのスーパーでとか、夕食はここが良いなど、痒いところに手の届くものである。
 泊まるところについても、洗濯機を使わしてくれるとか、朝食は注文でコックドかコンチネンタルが選べるとか、夕食は前もって連絡しておけば食べさせてくれるなどホームステイ側とも緊密な調整がされている。

注釈 旅行ガイドブックでは世界一と言われるロンリィプラネット(Lonely planet)の cycling New Zealand に実は同じような案内図が存在する。案外盗作かも…いいか、出版物でないから。

公的窓口
 入国審査とか銀行での両替には必ずパスポートが必要であることは理解できるが、昨夜とか今夜泊まる場所が聞かれる。入国審査ではそれも普通であるが両替でもそれが聞かれるのは少し驚いた。そして両替にはやたら沢山の書類が作られるのも不思議な感じがする。途中立ち寄ったシンガポール空港の両替なんかは日本の銀行でお金を崩すよりも簡単であった。いずれにせよ窓口に行くときは宿泊場所を示すことができるようにしよう。

宿泊施設
 ホームステイを主体に宿泊したが、ホテルと異なるくつろぎの時間を味わうことができた。しかも驚いたことに我々が利用したホームステイは互いに皆が良く知っているということである。どのようにして情報を交換しているのか聞かなかったのが残念である。
 ホテルと違ってホームステイでは家の人と何時間でも話ができるので、その国のことを理解するということではとても良いシステムである。
 ホームステイにはクオルマークのついた民宿系、アットホーム・ニュージランド系、キウイ・アカマデーション系、および一匹狼系があるようだ。クオルマークおよび一匹狼系はその道のプロフェショナルが経営しておりビジネスライクで他に比べるとアットホームのレベルが少し下がる。その他のグループに入っているホームステイはホームページの運営などもグループがやっており組織としてしっかりしている。
 今回、出国前にホームステイへ土産を持参しなくていいかICTに問い合わせたならば全く不要との返事。お金は払ってあるからドライに考えればよろしい。しかし、その他グループ系はきわめてアットホームだったので帰国後すぐに礼状を出した。

英語は必須
 ネイティブのように話せれば最高であるがそれは無理、しかし自分の意志がしっかりと表現できて相手の言っていることが分かる程度の語学力が欲しい。とくにホームステイが多いので、相手のご家族と一緒にいる時間を楽しく過ごすには会話が大切。英語が上手でなくても相手と共通の話題を持つ努力が出来なくては失礼だし、旅の楽しみも半減する。

ニュージランド人はサイクリストに優しい
 路側帯のない登り坂で追い越し禁止のところをあえぎながら走行車線を走っていたら後方に車の列ができてしまった。自転車も追い越し禁止の車両対象であった。降りて押して登るべきだった。路側帯があればそこを走るが走行車線を走っている場合はほとんどの車が対向車線を使って追い越してくれる。ちなみに片側2車線はほとんどない。
 日本のように走行車線を走っていてもクラクションを鳴らされることはない。逆に対向車線の車がビッ・ビーと激励のクラクションを鳴らしてくれる。その時は答礼をしよう。

日本の常識は非常識
 日本のようなコンビニは大都市以外には無いと考えるべし。とにかく人口密度が低いから日本の常識は非常識である。サイクリング中は常に非常食や救急用品は携帯すべし。野良のどまなかに自動販売機があるのは世界中で日本だけ。

日差しは強烈
 日焼け止めを一日だけ塗らなかった結果完全に火傷状態になってしまった。緯度があんなに高いのに日差しは強烈。日本とは違うことを認識しよう。

トイレのエチケット
 ホームステイやコッテイジに泊まるので他の人とトイレを共用することがある。日本人が一般的に出来ないのは、トイレから出てくるときにドアを開いたままにしておくことと、閉じているトイレのドアをノックしないこと。とくに不用意にドアを閉めておくと他の方はドアが開くまで外で待つことになる。西洋文化の人たちは絶対にトイレのドアをノックしない。

健康
 私は高血圧の治療を受けており、帰国後直ぐに主治医の診察を受けた結果、血圧やコレストロールなどについては特段の変化は無かったが通常25くらいあった体脂肪率が18.2まで激減していた。1日に5時間も自転車を漕げばこれくらいまで下がって当然かもしれない。

通信
 日本との連絡のためにWorld_Wing 対応の電話を持参した。日本から不用意に携帯に電話をかけられると受信側支払いになる。これは出発前に周知しておく必要がある。ブログ・マネジャー他にメイルを送った費用はWorld_Wing・i モード通信料として10,356円、FOMA通話料{iモード等}3326パケット665円でした。写真をかなり添付したので高い感じはしない。
 ネットワークが自動で接続できない国もあるので出国前に手動接続の方法を練習しておく必要がある。自動接続の可否は電話会社で分かるので出国前に確認すること。

 記事に関するお問い合わせは ja2eul@blog.goo.ne.jp へどうぞ。