今月20日来、半田市衣浦港に停泊していました日本丸が本日(24日)14:00出港。
13:40からの士官候補生による登檣礼(とうしょうれい)の後14:00 All lines let go (オーラインレッコと聞こえます) のオーダーで全ての舫い綱が放たれ半田市消防音楽隊のブラスバンドに送られて離岸。
注 let's goではありません。let go は let go a rope ロープから手を離すの帆船での慣用語
港内で180度方向転換して自走が始まるや花火でお見送り。
本船からは汽笛三声の答礼…母港横浜に向かいました。

中日新聞から引用
来月9日には名古屋港に寄港します。皆さん見に来てください。

中日新聞から引用
参考
航海訓練所ウエブサイトより引用
■ 登檣礼の起源
登檣礼(とうしょうれい)のはっきりとした起源は明らかではありませんが、16世紀イギリス海軍の記録に見られると言うことなのでかなり古い歴史があるということになります。
皇族らの送迎、司令官や艦長の交代の際や、出征、遠洋航海など壮途に就く船に敬意を表する礼式だったそうです。現代の登舷礼は登檣礼の名残です。
日本人がはじめて見た登檣礼は、 1860年(万延元年)遣米使節として、正使 新見豊前守正興、副使 村垣淡路守範正、 目付 小栗豊後守忠順らが米国軍艦ポウハタン号でアメリカに渡る途中、ハワイに寄港 した時のようです。
王様が来訪した際の様子を、村垣淡路守範正の「遣米使日記」では、 「船中奇麗にして胡楽を奏し、水夫は帆桁毎に数百人立ち並て 祝砲二十一発二度打たり--国君を祝すは此数成よし、水夫帆桁に登るも重き禮なるよし--」 と記録しています。
日本で最初に登檣礼が採用されたのは昭和28年日本丸が帆装復帰し、はじめての遠洋航海が企画されたとき日本丸船内で規律のあり方が問題となりました。
何せ戦後はじめての遠洋航海だったからです。
結局、各国の海軍礼式令や国際的慣習を調べ、これに準拠して再編成され、このときはじめて登檣礼も採用されそのまま日本丸、海王丸での慣例となったということです。
しかし、安全を考えて、やり方を少し変え、ヤード上に立つ方式からフートロープに立つ方式に変えたそうです
登檣礼の実施法
登檣礼は英語で“Man the yards”といい、各ヤード(帆桁)に人員を配して行う帆船で最高の礼です。
当所では、バウスプリット、各マストのヤード及びジガーマストのトップ台に実習生を配し職員は登舷礼の配置に立ち、笛の合図でヤード上の実習生は岸壁側に注目、士官は敬礼をします。
敬礼が終わるとバウスプリットの先端に立つ実習生が後ろを向き、「脱帽」、「ごきげんよう」の号令に合わせ、全員で「ごきげんよう」と発声しながら帽子を振りこれを3回繰り返し、「着帽」してマストから降りてきます。
外国の海軍所属の帆船では、ヤードの上に立つ昔からの方式をとっているところがほとんどです。
日本の練習帆船では、安全を考えてフートロープに立つ方式をとっています。