eCycle

シルバー年齢のサイクリング記録です

飛行機で自転車を運ぶ

2010-02-25 21:27:05 | Private Cycling
インドへ長期滞在になりそうなので自転車の運び方を調べてみました。
航空会社はシンガポール航行です。

自転車
自転車を受託手荷物としてお預けになる場合、他の受託手荷物との合計が許容量を6kg超える分までの超過は、通常の超過料金がかかります。超過分が6kg以上15kg以下の場合、6kg分の超過料金でお預けいただけます。
この特別料金はお1人様につき、自転車1台が対象です。1台以上の自転車をお持ちの場合は、通常の超過料金がかかります。自転車はハンドルを横に向け、ペダル等を外し、輸送に耐えうるよう厳重に梱包してください。

米国、カナダ発着のフライトは、個数制限制を採用しているので、各自転車は1つのお荷物としてお運びするようになります。超過分に関しては超過料金がかかります。

横断中に車と事故、自転車側の責任認定 福岡高裁

2010-02-17 16:22:53 | Private Cycling
朝日新聞電子版より引用

歩行者信号が赤で進入した自転車が被告です。
車扱いならば乗用車の黄色進入と同等と思います。

以下は記事です。

 道路を横断していた自転車と直進中の乗用車が接触し、乗用車の男性が大けがを負った事故をめぐり、過失傷害の罪に問われた自転車の男性被告に対する控訴審判決公判が17日、福岡高裁であった。陶山博生(すやま・ひろお)裁判長は罰金30万円(求刑罰金30万円)とした一審・福岡簡裁判決を支持し、被告側の控訴を棄却した。被告側は上告を検討するという。

 司法関係者によると、交通事故で自転車側が過失傷害罪に問われて正式裁判になるのは珍しいという。被告側は「乗用車が赤信号を無視した」と主張していたが、高裁判決は、事故当時は被告側が赤信号で、乗用車側は黄色信号だったと認定した。

 控訴審判決などによると、事故は2008年10月に福岡市博多区の交差点で発生した。横断歩道を渡っていた自転車と道路を直進していた乗用車の左前部が接触。ハンドルを切った乗用車は中央分離帯にぶつかり、運転手の男性は首などに大けがを負った。被告もけがをした。

 自転車側が横断歩道の赤信号を見過ごしたなどとして、福岡区検が09年5月、被告を過失傷害罪で略式起訴。被告が略式処分を受け入れなかったため、正式裁判に移行した。一審・福岡簡裁で弁護人は「双方が赤信号で交差点に入った」と訴えたが、福岡簡裁は乗用車側の信号は黄色だったとした上で「自転車の被告が信号を確認しなかった」と認定。被告側が控訴していた。

 交通事故の裁判に詳しい高山俊吉弁護士(東京)は「自転車は軽車両であり、被害結果が大きければ、加害者として責任を問われる事例は目立っており、その一例と言える」と話す。(金子元希)

不完全燃焼なKiwi Cycling IV

2010-02-01 09:39:35 | Kiwi Cycling IV
1月31日に開催されました小松工業高校同窓会の資料に掲載されたものです。

 今回のサイクリングはニュージランドは南島の北端です。皆さんが知っているとすればNelsonという町がこのあたりにあります。
 ここにRichmondとい山系があり、その周りをぐるっと周るサイクリングコースが「マルボローの冒険コース(Marlborough Explorer)」と呼ばれています。
 Marlborough Explorerは400km弱ですから5日間のサイクリングとしてはそんなに難しいものではありません。

 Christchurchを朝7時の列車でサイクリングの開始地点であるBlenhelmに向かいます。この列車は観光用の列車で、The TranzCoastalと呼ばれています。つまり海岸線を走る列車と言う意味です。
 列車はChristchurchからBlenhelmまで 400km を5時間かけてカンタベリー地方の牧場や、ブドウ畑のなかや、アザラシが日向ぼっこをしている海岸を走り11時ころBlenhelmに到着。

 列車から降ろした自転車を今夜の宿 The Groveに向けて国道1号線を北に漕ぎ始めます。この季節は時折強烈な風が吹きます。地元人たちはこの風のことを「ノーウエスト(Nor-west)」と呼び、寒い長い冬を吹き飛ばしてくれる北西の暖かい風で、皆さんはとても歓迎しています。しかし、自転車乗りには大変な風です。
 今日も途中から吹き始めた強力な向かい風にいじめられながら鉄道の終点ピクトンに着きます。

 Pictonは南島の重要な町で、Christchurchから列車で来た人はここから船で北島のWellingtonに向かいます。車もここからフェリーで北島へと運ばれていきます。
 私どもはPictonからリアス式海岸を眺めながら西に進みます。リアス式海岸は氷河によって削り取られたものですから、道は坂道が続きます。いくつか越していく峠からの眺めは素晴らしい。
 53kmを走って今宵の宿、Tanglewood B&Bに着きます。Tangle は茂みという意味です。wood は木のことですから、林の中の宿という意味合いですね。

 B&B というのはベッドと朝食、つまり bed and breakfast を提供する宿です。ニュージランドのB&Bは日本では民宿に相当します。
 B&Bを商売にしているものもありますが、多くの場合子供たちが家を離れて、空いた部屋を客室に改造して客に提供しています。したがってベッドメイキンクや朝食の用意は老夫婦が行います。朝食はコンチネンタルというパンと飲み物だけとか、クックドと呼ばれるベーコン・エッグくらいですから老夫婦でもそれほど負担にはならないでしょう。
 しかも、この仕事は政府の免許をもらって行いますので清潔さ、安全さなどは素晴らしいものです。年金生活の老人には貴重な収入源です。
 日本のようにお仕着せの晩御飯がつく1泊2食というものはありません。晩御飯は人それぞれに好き嫌いがありますので外へ食べに行きます。

 私どもは、およそ8km離れた1軒しかないレストランへ自転車で出かけます。
 レストランについて店内へ入ると「シロウ、こっちだよ」という声がかかりびっくり。呼んでくださったのはカナダからのサイクリストで、わたしと同じ店で自転車を借りていたので私の情報が先方に伝わっていたようです。
 宿に帰ってスパと呼ばれる屋外の風呂に水着を着ていくと、ドイツからのカップルがワインを飲みながら風呂を楽しんでいました。風呂を楽しみながら酒を飲むのは日本人だけでないことを初めて知りました。これにカナダ人のカップルが加わり狭い風呂で6人が大騒ぎ。

 2日目のサイクリングは山越えの90kmで、海抜100m、200m、そして375mの峠を越します。特に最後の375mは鞍部、つまり馬の背中のような山越えにですから、だらだらと長い登りが続きます。この坂道は凄くて、大型トレーラーが人の歩くような速度であえぎながら上っていきます。勿論私どもも死ぬ思いでペダルを漕ぎます。そして相方がついに潰れてしまいました。
 最後の坂道の頂上で彼を待っていると、突然目の前に車が止まり相方が降りてきました。親切な青年のおかげで今夜の宿のある Nelson にたどり着くことが出来ました。

 3日目の Nelson からSt. Arnaud は昨日以上の難コースです。しかし、相方は平地すら走れないほど疲れています。Christchurch の自転車会社に電話をしたならば、観光案内所でバスを調べて移動するようにとの指示がありました。
 観光案内所が開く時間(8:30)を待って電話をしたならば、既に定期バスは出発(7:30)した後でした。タクシーはものすごく高く、自転車を運ぶための装置を付けたものが少ないのですぐには利用できません。
 観光案内所はシャトルバスの会社に相談するようにと電話番号を教えていただいたので電話をしてみる。シャトルバスという日本で言えばジャンボタクシーにリヤカーを曳いたもので、ニュージランドではとてもポピュラーです。会社は2時間待ってくれれば車が空くので120ドル(7800円)で運ぶと言うことで交渉成立。無事午後にはSt. Arnaud につくことが出来ました。
 シャトルで走った90kmは海抜0mからスタートして775mを越す難関で、今回のサイクリングはこの難所を征服することにありましたから、何とも燃えきらない気持ちで車窓から移り変わる風景を見ていましたが、相方は嬉々としてドライブを楽しんでいる。

 4日目のSt. Arnaud から Blenhelm への道は全部が下り坂で距離は100kmです。その気になれば3時間で走れるコースです。
 午前8時半、昨夜は雨が降ったようで湿り気があり気持ちの良い朝です。雪を頂いた山々を後ろに、雲一つ無い青空の下を追い風を押されて下ります。ペダルは全く漕がなくて良い。ただ前を見てブレーキを握り締めて走るだけ。700mからどんどん高度を下げていきます。道は樹林帯を過ぎてブドウ畑に入っていきます。あの悲壮な顔をしていた相方が満面の笑みで走っています。私も嬉しい。
 80km地点までは2時間くらいで走ってしまいました。つまり車みたいな速度で飛ばしたことになります。しかし、気温が上がってきたのでこの地点あたりで河から吹き上げる強烈な風に押し戻され始めます。速度も10km/h以下になってしまいます。
 4時前には宿に到着。やれやれです。

 最終日の朝、食堂に下りていくとまたまた「シロウ」と呼ばれました。別のアメリカからのカッフルです。やはり同じ自転車屋の客です。帰りの列車では最初の日に会ったカップルとも再会。今回のサイクリングは出会いが楽しかったですね。
 最終日は1時半の列車までゆったりとBlenhelmの街を走ります。
 街の中央に戦没者の記念碑があり、朝鮮戦争、マレー戦争、ボルネオ戦争、そしてベトナム戦争で殉職された兵士の名前が刻まれていました。戦争は、その理由が良かれ悪かれ問題の解決にはなりません。新しい戦没者の記念碑が建てられないことを願ってニュージランド遠征サイクリングを終わりました。でも、まだどこかが燻っています。