新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

さっぽろがん哲学外来の活動予定や活動の様子などを
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がん哲学校たより・14(0031)

2014年02月15日 | 樋野先生からのメッセージ
樋野先生からのおたよりです。(2014.2.15配信)
第46回「がん哲学学校」
「いのちの言葉」~「奇蹟の人」~

2週間続けて、東京は大雪に見舞われた。交通も乱れ、講演も2週連続キャンセルとなった。Wifeは、近所の人々と、同様に雪かきに励んでいる。筆者は、今回は、2人の人物について、さりげなく学んだ。1人は、ヨハネス・クヌドセン(Johannes Knudsenr、1917-1957)である。「1957年2月10日、神戸港へ向かう貨物船エレン・マースク号(Ellen Maersk)は、航行中、機帆船「高砂丸」が炎上しているのと遭遇。風速20mを越える強風の中、エレン・マースク号は「高砂丸」乗組員の救助作業に当たる。機関長として乗り組んでいたクヌドセンは、高砂丸船員を救うべく海中に飛び込み、そのまま波間に没した。」とのことである。クヌドセンの「勇敢な行動と無私の人間愛」の根拠に感動した。

もう1人は、有名なヘレン・アダムス・ケラー(Helen Adams Keller、1880 -1968)である。3重苦(聴力、視力、言葉を失う)を背負いながらも、世界各地を歴訪し教育・福祉に尽くした。ヘレン・ケラーとアン・サリヴァンとの写真を見ながら、静思した。「ヘレン・ケラーは、2歳の時に高熱にかかり、聴力、視力、言葉を失い、話すことさえ出来なくなった。両親から躾けを受けることの出来ない状態となり、家庭教師として派遣されてきたのが、当時20歳のアン・サリヴァン (1866 -1936) であった。サリヴァンはその後約50年にも渡って、よき教師として、そして友人として、ヘレンを支えていくことになる」。ヘレン・ケラーは、3度 (1937、1948、1955) 来日している。ヘレンとサリヴァンの半生は『The Miracle Worker』(日本語『奇跡の人』)として映画化されている。英語の『「The Miracle Worker」には「(何かに対して働きかけて)奇跡を起こす人」といった意味があり、本来はサリヴァンのことを指す』とのことである。ヘレン・ケラーが「人生の眼」を開かれたのは「いのちの言葉」との出会いである。

学びは、『I am only one, but still I am one. I cannot do everything, but still I can do something; And because I cannot do everything I will not refuse to do the something that I can do.「私は一人の人間に過ぎないが、一人の人間ではある。何もかもできるわけではないが、何かはできる。だから、何もかもはできなくても、できることをできないと拒みはしない」』(ヘレン・ケラー)であった。

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