新渡戸稲造記念 さっぽろがん哲学外来

さっぽろがん哲学外来の活動予定や活動の様子などを
皆さんにお伝えします。皆さんの参加をお待ちしています。

8月例会を開きました(0066)

2014年08月09日 | 集まりの様子
例会の様子1 例会の様子2養成講座でのグループ発表例遺伝子解析、今はここまで来た遺伝学とは遺伝子診療室のカウンセリング遺伝的シックツリーの例分類の問題これでいいのだ

さっぽろがん哲学外来の8月例会が8/2(土)、いつもの愛生舘サロンで開かれました。今回は札幌医大の櫻井先生(教授・医学博士 遺伝医学 遺伝子診療室)を講師にお願いして、7月12、13日に福井で開かれたがん哲学コーディネーター養成講座の様子と、ご専門である遺伝子医療についての勉強をしました。(櫻井先生は養成講座講師陣の一人です)

がん哲学外来コーディネーター養成講座については、当会の女性コアメンバー2名も出席しましたが、なかなかの人気講座で満員120名の参加者は2日間に渡って多彩な講師陣による中身の濃い研修と、数人毎のグループに分かれの「がん哲学外来の可能性」をテーマにしたグループ討議を行い、最終日にグループ発表を行いました。

もう一つの話題の遺伝子医学・遺伝子診療は初めて聞く人ばかりでしたが、遺伝学とは縦の遺伝継承と横の多様性から成り立っているという説明にまずは一回目の目からうろこがポトンと落ちました。何せ、遺伝というと縦の方向しかないと思っていた訳ですので。

で、次は遺伝子診療の場の様子で二回目の目からうろこが落ちました。遺伝子診療を受診するケースは、自身や子などが遺伝性の病気だと言われ、病気のことを詳しく知りたいとか、家族への影響、あるいは今後どうなるのか不安だ、といったことのようです。これって自分だけではなく、子や孫へ自分の病気が伝わるかも知れないし、現代ではその有無が分かってしまうということなのです。これは患者さんの受け取り方次第では救いのない一種の予定説(キリスト教で救われる者と救われない者とが神の意志によりあらかじめ定められていると考える説。カルバンの説は代表的)では、と思いました。

では、この診療室の仕事は、というと、正しく正確な知識による面談によって患者さんや家族などの思い違いや、信じてしまっているまことしやかな俗説などを取り除き、本人にとって一番望ましい対処法を共に考えていくことのように思えました。診療室の仕事は事実を見据えながらも思いやりあふれた治療法を提示する、ということなのでしょう。
とすれば、櫻井先生の遺伝子診療室はがん哲学外来と基本的なところで共通点があるということなのでしょうか。(専門と非専門という違いはもちろんあります)

最後に、遺伝子の持つ予定力?とは絶対的ではなく、確率にすると、たとえばありふれた病気である糖尿病ではとして30%ほど病気のリスクがあがるということでした。また、遺伝要因の関与の程度(遺伝率)は形質(身長とか)によってさまざまであると言うことでした。

日本医師会のホームページによると喫煙者の中年期での死亡率は非喫煙者の約3倍ということですが、それがどうしたと頑張ってたばこを吸っている人はまだまだ沢山います。で、3倍とは300%のこと、30%なんて大したことではない?
一方で遺伝子は個性の素でもあるわけで、それぞれ一人一人が先祖代々連綿として持つ遺伝子という縦の糸のおかげで、となりの人と同じではない個性を持つことが出来ているわけです。冒頭の遺伝子学は縦の遺伝継承と横の多様性から成り立っているという説明での多様性とは、それぞれに個があってこその多様性であって、「みんなちがってみんないい。これでいいのだ(バカボンパパ)」という説明が櫻井先生のスライドの最後の締めくくりになる、というお話でした。(文責 J)

がん哲学外来について

患者さんが抱える悩みは病人としての悩みではない。人間としての悩みです。 がんという大病を得たとき、それを背負って人間としてどう生きるかという深い悩みです。それは「心のケア」というレベルではなく、自分という存在そのものを問う領域なのだと思います。ですから、「がん哲学外来」では、来られた方を「病人」の側面だけではなく、ひとりの人間としての悩みに焦点を合わせます。同じ人間として、対等の目線に立って、人間を学ぶ「人間学の場」でありたいと考えるのです …(提唱者であり当会の顧問である順天堂大教授・樋野興夫先生の著書より)

札幌の「がん哲学外来」(開設趣旨)

私達は樋野興夫先生の志に賛同し、車座になって意見交換をする運営をめざします。講演会スタイルではありません。参加者全員が同じ立場、同じ目線で耳を傾け、縁のあった方々に寄り添うことを願っています。