散日拾遺

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『たちばな日記』あらため臨床雑記004 ~ 『治す精神科』?

2013-08-28 11:22:01 | 日記
2013年8月28日(水)

『たちばな日記』という創作の体で記録しようとしたのは、もくろみもあったことだが、どうもうまくいかない。以下の記事を一か月半も引きずった挙句に諦めた。

『臨床雑記』という陳腐平凡なタイトルに戻し、あの手この手で個人情報保護に努めながら記録しておくことにしよう。

***

一年ほど前から、A君のクリニックで月一回の手伝いをしている。
内科・小児科を主体とする地域のクリニックだが、周辺に精神科が少ないこともあってニーズが生じてきた。

A君は面白い人物で、学生時代は同じ解剖班に属していた(医学部ではけっこう大きな意味をもつ)。2012年初めのハーフマラソンに誘われて一緒に出たのが縁で旧交を温め、そこから手伝いの話も進んだ。
そのあたりは、いずれあらためて。

七月の診療の際、A君が開業医向け雑誌のコピーを渡してくれた。
「これって、どうなの?」
『治す精神科』という言葉の下で、ツメエリ白衣のドクターがエネルギッシュな笑顔を浮かべている。

 ・・・○○クリニックでは、うつ病のほとんどが半年以内に治癒する。
「軽度ならば1か月、中等度であれば半年。これは一般的に言われているより圧倒的に短期間だと自負しています。」

と紹介記事。
顔を見合わせて苦笑した。「そうですか」としか言いようがない。
記事は以下のように続いていて、これは大いに同感なのが面白い。

 「うつ病に対する第一選択薬であるSSRIに加えて、抗コリン作用による副作用に留意しつつ、三環系抗うつ薬を併用するのが最も治療効果が高い」と○○氏は秘訣を明かす。

ごもっとも。
そもそも近年はやりのSSRIは、副作用が少なく安全であるのが評価されて主役になったもので、治療効果に関してなら古典的な三環系抗うつ薬が今でも最強である。ただし副作用が厄介なのだ。
これは精神科専門医なら誰でもよく知っていることで、だから「SSRIから始め、必要に応じて三環系に変更ないし追加」というのは合理的な戦略だし、みんなも僕もやっていることである。
そのあたりを自覚的に実践しておられるのだろうが、「秘訣」はちょっと大げさかな。

それにしても・・・

「抗うつ薬は最低でも1週間、教科書的には2週間続けないと効果が出ないっていうでしょ?するとこの人の言ってる『1か月で治る』うつ病ってのは・・・」
「ちょっと早すぎるよね、軽症にしても。」

問題はたぶん二つある。
ひとつは診断の問題、換言すればどんな「うつ病」を相手にしているかということだ。
「DSM-Ⅳ以来」というのは枕詞みたいなもので、DSMだって大うつ病エピソードの基準をきっちり判定するならそうそう過剰診断も起きないはずだが、実際には軽めの「抑うつ反応」まで広く「うつ病」と診断する傾向が、ある時期から盛んになり今はほとんど定着した。
英語の depression という広い概念を、「うつ」と訳してのけることも、これに一枚かんでいる。

もうひとつは治療目標の問題、何がどこまで解決されたことを「治癒」と呼ぶかだ。
いちおう抑うつ症状がとれれば「治癒」とみなすという姿勢でないと、上記の数字は到底期待しえない。いっぽう、生活の背景に踏み込んで、うつ病の原因とはいわないまでも(うつ病は必ずしも原因をもたない)、誘因や増悪因子となっていることまで取り扱おうとすれば、「治癒」に要する時間はとめどもなく長くなる。

A君のクリニックは、生活の困難を抱えた人々が多い地域にある。
彼自身の手に余るケースを振ってくることもあって、僕が毎月面接するのは家庭や職場に深刻な事情を抱えた人々や、アルコールなど他の健康ハザードをあわせもつ人々ばかりだ。薬使いの少々の「秘訣」では歯もツメも立ちはしない。

愚痴じゃないんだな、これは。こういう現場ではかどらない汗をかくことが、A君も僕も嫌いではない。だからやってるのだ。医者の中には案外、この手の汗かき好きがいるんだよ。
A君は「80歳まで臨床やるよ」と涼しい顔で言ってのける。
僕もそのつもりだが、そのためには健康管理だよね。武宮九段のおっしゃるとおりだ。

***

『治す精神科』の方向性に異議を唱えるつもりはないので、念のため。
それで治るものは、どんどん治してくださいませ。
こういうスタンスのドクターが一定数存在することは、どうしても必要だ。
ただし、それで解決するのは、ざっくり言って問題の半分だろうと思う。半分解決するのは大事なことだが、残り半分の存在を忘れてはいけない。

もうひとつ、「治す」という動詞の主語が医者だというのなら、少々異論がある。患者の中には、何とかして健康になりたいという力があり傾向がある。それなくして、治癒などありえない。
自らを癒そうとする患者の力を促進し、適切な方向に誘導するのが医者の仕事だ。
これは実感、きれいごとでも何でもないよ。




ALSのこと/土橋さん補遺

2013-08-28 08:48:56 | 日記
2013年8月27日(火)

「ALSと日本人」(勝沼さん)
 大きな宗教(特にキリスト教)と都市化、国家化といったその時代その時代のグローバリズムとは切っても切れない関係があると思います。
 さて、ALSについてですが、ALS患者の自殺率が世界の平均に比べて日本がとても低いと聞きました(確か「こんな夜更けにバナナかよ」で見たと思います)。これは日本人の死生観(人生観)を考える上でかなり興味深い情報だと思います。

***

勝沼さん、いつもコメントをありがとうございます。

そうですか、そうなんですね。
「世界」にもいろいろあるし、丁寧に考えていかないといけないでしょうけれど。そして「興味深い」という言葉で誤解を招かないように、「たいせつなカギになる」とでも言い換えておきましょう。

水野源三という人を御存じでしょうか。
「瞬きの詩人」といったほうが通じやすいかもしれません。
自分で生半可にあれこれ書くより、他人様のブログを御紹介しておきます。
http://www.k2.dion.ne.jp/~seishyo/dekigoto/mabataki.htm

あるいは星野富弘さんのこと。
http://www.tomihiro.jp/profile/

昨年の夏、海浜幕張で一般向けの講演を行いました。
『仕事・ストレス・死生観 ~ メンタルヘルスのキーワード』というもので、勝沼さん達にはすっかり耳タコの、石丸の持論開陳だったのですが。

50名ほどの受講者の中に、ストレッチャーに載って参加した男性がありました。介護者が3人ほどもついて、痩せた体に酸素吸入を行いながら熱心に聞いてくださり、終了後には2点ほど質問もなさいました。
といっても、声も出なければ手も動かせないようなのです。しかし頭は、はっきり働いている。あるいはALSをおもちではなかったか。

この方の場合は瞬きではなくて、ひらがな50音を記した文字盤を介護者が掲げて指を動かしていき、男性は望みの文字のところで素早く頷くというやり方でした。介護者との呼吸が問われる方式と思われますが、スムーズに行っているようでした。

自分が罹ったはずの病気を、この人が代わりに負ってくださった、そんな気持ちを禁じ得ないことがあります。この時がまさにそうでした。

***

土橋さんのALSは昨年診断されたもので、この病気としては比較的進行が急であったように思われる。「せめてもの幸い」という表現を、ネットのどこかで見かけたような気がするが、僕には到底受け入れがたい。
「進行が緩慢であった方が良かった」という意味ではない。自分が代わることのできない他人の人生のありように対して、身勝手な思いから幸の不幸のと評して平気な心性が傲慢だというのだ。
「障害を負って生まれてきたのでは子どもがかわいそうだ、だから中絶する」
という理屈と全く変わらない。

土橋さんは土橋さん、ここに江戸っ子ありだ。
さよなら、ありがとう!