散日拾遺

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県?藩?もっと古いもの?/海を汚すということ

2013-08-08 06:00:23 | 日記
2013年8月8日(木)

勝沼さんの「年齢推定法」がそのまま通るかどうかはともかくとして、「県よりも藩が人の意識を強く規定しているのではないか」という指摘は面白い。

「県」はそもそも明治維新以降、中央集権的な全国支配の観点から導入されたシステムで、当初は県令が中央の意を体して当該地域を管理統率していた。
「藩」を統合再編する形で「県」が置かれたのだから、そこにはもちろん連続性があるのだが、発想は大いに異なっている。異なる発想を示すキーワードは「中央集権」であり、「県」という言葉自体が秦・始皇帝の少々早すぎた中央集権思想を連想させるだろう。

いつだったか、電車内で日能研の広告に使われていた某中学校の入試問題は、この意味でセンスの良いもので感心した。
東京都と神奈川県の線引きは当初は今と大いに違い、現東京のおよそ西半分は神奈川に含まれていたという。東京は現23区に毛が生えたぐらいの小さな不整円であり、神奈川は今のように海沿いに平たい形ではなく北側に広がりをもって埼玉に接していた。
これには社会経済的な必然性があり、八王子から町田を経て横浜に至る現・横浜線のルートは、国内版「絹の道」ともいえる重要な経済圏を為していた。当初はその全域を含んだ大きな神奈川が、明治のある時点で南北に分割され、北半分が東京都に編入されたのはなぜかを問うている。ヒントから誘導される正解は「自由民権運動対策」だ。
多摩地区はもともと意識の高い農民が多く、明治以降は自由民権家(ということは反政府勢力)の拠点ともなっていた。かつて新撰組の首魁を輩出したのもこの地域で、明治政府はさだめし危険視したことだろう。
この地域の開明性を支えたのは、横浜から入ってくる先進的な情報である。「絹の道」は「情報と思想の道」でもあり、当然「人の行きかう道」でもあった。県境の再設定には、この流れを人為的に分割・寸断する意味があったのだ。
「県」は今の僕らが考える以上に、「県令」という小独裁者の縄張り的な意味があっただろう。三島通庸(みしま・みちつね 1835-88、旧薩摩藩士、維新後は内務官僚)が福島県令時代に「火付け・強盗・自由党は県内にひとりも入れない」と凄んだ話などは、「県」の一面をよく示している。

「藩」はどうだったかといえば、少なくとも相対的にはかなり違う意味をもったはずだ。
幕藩体制はいわゆる封建制と見るには中央の力が強いが、近代の中央集権制と対比すればはるかに遠心的なシステムである。「藩」にしても中央による地方管理装置の意味合いは相対的に弱く、ローカルな社会的経済的まとまりに即して地域を運営する、自己完結的システムの意味合いが相対的に強かった。もちろんそのことは、農業を基本とした自給自足の経済段階に対応する上部構造を為したわけだ。
将軍は地域を「藩」に委ね、失政があった場合には内容に介入するのではなく、転封や改易の形で委任そのものを取消した。どう運営するかは、大きなルールの枠内で「藩」に委ねられていたのである。

そのように考えてみれば、明治維新から150年を経た今でも、「県」ではなく「藩」が僕らの心の深層に根を残していることが、さほど突飛でもないものに思われる。あるいは、深層の根はもっと深いかもしれないけれど。

自由連想をふたつ。

【壱】
「男はつらいよ」は全国各県をくまなく回ったが、あるいはどの「藩」をまわったかに注目すると、何か面白いことが出てくるかもしれない。

ちなみに愛媛県ではどこが光栄に浴したか。
意外にも、道後温泉と子規・坊ちゃんの県都松山ではない。
歴史と自然の豊かな宇和島でもなく、石鎚山を見上げる西条や、しまなみ海道の玄関口の今治でもない。
正解は大洲市である。

「大洲」と聞いて「ああ」とすんなり分かる人は、地歴IQが高い。「おおず」と読めれば合格点だ。
僕は父方の祖母の里なので見当がつくんだが、そうでなかったらまるで知らなかっただろうな。
映画では、嵐寛寿郎(鞍馬天狗で知られる往年の剣劇スター)扮する「殿さま」が、娘(真野響子)の自由な恋を許すことができず、「民主主義の御時世なんだから」となだめる寅次郎に、「あれ(=民主主義)は嫌いじゃ!」と言い返す、この春風駘蕩たるアナクロがいかにも伊予らしく大洲らしい。

四国四県に対応する旧「藩」を数えてみる。
香川県は三つ(高松藩、丸亀藩、多度津藩)、徳島県は一つ(徳島藩)、高知県は二つ(土佐藩、土佐新田藩)。
これに対して愛媛県は東から順に、西条藩、小松藩、今治藩、伊予松山藩、新谷藩、大洲藩、伊予吉田藩、宇和島藩、計八つにのぼる。
愛媛が断然多いのは、細長い地域に自然条件の異なる小地域が混在しているからだろう。
逆にいえば「県」を設定する際に、比較的一体性の強い高知と徳島はそれぞれ大きく括り、残るちまちまとした部分のうち準関西圏を香川として、「その他もろもろ」を一緒くたに愛媛でまとめたと見たほうがわかりやすい。
う~ん、ちょっと悔しいかな、『記紀』の縁起譚では、伊予の誕生は淡路についで古く、由緒正しい土地なのだ。四国は四柱の神々、すなわち建依別(たけよりわけ、土佐)と飯依比古(いいよりひこ、讃岐)の男神二柱、大宣都比売(おおげつひめ、阿波)、愛比売(えびめ、伊予)の女神二柱のいます地だ。「愛らしい女性」なんていう国名は、めったにあるもんじゃないだろう。

ともかくこれを見ただけでも、面積や石高の単純な算術割で「藩」が決められたのではないことがよくわかる。自然条件や経済特性によって括られる実体的なまとまりを、かなり綿密に生かしているのだ。そのような意味で「藩」は生活実感に即したまとまりであり、「県」のほうが人為的・抽象的な枠組みとなっている。

だから、という訳でもないが・・・
甲子園大会が始まれば、宇和島市民も今治西を応援するし、西条市民も八幡浜高校を応援するだろうが、リキの入り方は微妙に違う。松山市民は古豪・松山商業の復活を今も夢見ており、これに代わる済美高校はまさにホントに地元の代表というわけだ。

【弐】
父が甲府の支所長だった時代のこと。
支所長付きの運転手さんが先祖代々甲府の人で、一般に地元意識の強い甲州人の中でも筋金入りだった。

ある日、彼がしみじみと言うに、

「ねえ所長さん、武田信玄が天下を取ってたら、今の静岡県のあたりまで山梨県になってましたかねぇ・・・」

話を作っただろうって?
違うったら!

*****

「藩」といい「県」といい、陸は隔てのもとであり、海はこれらを一つに包む。
「陸は隔て、海は結ぶ」という諺があったと思うが、出典を確認できない。

その海を汚染することの恐ろしさはどうか。
朝刊一面に「海に汚染水 一日300トン」、僕らの国が引き起こしていることだ。

恐ろしさは観念的なものではない。
1970年代だったかと思うが、北極圏の生物体内から予想外に高濃度の有機水銀が検出され、反響と不安を呼んだことがあった。水中環境では生物濃縮が非常な効率で進む。陸上よりもはるかに急速に、しかも地球表面の水域全体にわたって危険が増幅される。

ちょうど同じ時期に教わったこと、「海洋が養いうる生物の量は意外に少ない」という。
高校の生物の先生 ~ 生物と数学に、ともに魅力的な根本(ねもと)という名の先生がおられたが、その生物のほう ~ が的確な数字で示してくださった。
海中では溶存酸素量がいわゆるボトルネックになる。このため、いかにも豊かに見える南洋の海よりも、低温ながら多くの酸素を溶存させる北の海の方に期待がもてるということがあるが、いずれにせよ陸上の我々が楽観するほど、海洋のキャパシティは大きくない。酸素は有限である。

母なる海とて、無限ではない。
無限なのは、人の欲望だけだ。

世界の国々とそこに住む人々が、日本と日本人の海洋放射能汚染に対して損害賠償請求を起こす、
そういう幻に、ここしばらく苛まれている。

法制度上、そういうことがあり得るか、あり得ないか、それは知らない。
知らないが、道義的には既に起きていることだ。
起きて不思議のないことだ。

東電にまかせておけないなら、誰を使ってでも何を動員してでも、どうにかして止めなければならない。
そのために何か不便を忍べというなら、この際ガマンするよ。

そっちは放っておいて経済再生優先なんて、通らない。
だいいち、子どもや孫に何と言い訳するんだ?

そんな国に未来はない。