散日拾遺

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バカボン/トビウオ忌

2013-08-02 07:04:55 | 日記
2013年8月2日(金)

2008年8月2日、赤塚不二夫、没(1935-2008)
2009年8月2日、古橋広之進、没(1928-2009)
特に重なることがないような二人の著名人だが、やはり同時代人なのである。

***

フジヤマのトビウオの活躍は、敗戦でどん底に落ちた日本人に希望を与えた。
湯川秀樹のノーベル賞受賞と古橋の活躍を、この意味で双璧とする文を読んだことがある。
日本が排除された国際大会と同日同時に国内大会を行い、赫々たる記録をもって世界に挑戦状をたたきつけた逸話は痛快だ。

いっぽう赤塚不二夫のしたたかな笑いの底には、満州からの引き揚げに際して二人の妹を喪った体験がある。
「胸をえぐられるような」つらさの中で、人は笑うしかない、それが赤塚の原点ではなかったか。
この背景は野坂昭如を思い出させるけれど、赤塚もまたある種の焼け跡・闇市派だったといえば、少々牽強付会に過ぎるか。
野坂と赤塚と5年ほどの年の差も微妙に気になるいっぽう、二人の父方がともに新潟の出身であることは、見逃せない感じがする。
越後人は我慢づよい。
実に我慢づよい。

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『死生学』の原稿を準備する中で想到したことだが、日本の高度成長期は敗戦という巨大な喪失体験に対する、躁的防衛の意味があったのではないかと思われる。
というか、そうに違いないと確信する。

『はだしのゲン』が、「暗い」「つまらない」「いいかげんにしてくれ」と非難を浴びたのも、
赤塚不二夫の一連の作品がアタリにつぐアタリであったのも、
日本人の否認/躁的防衛と深く連動することだ。

合掌をもって一日を始める。