お盆休みの休日、家でケーブルTVの映画を見ました。
何気なくチャンネルを回すと、松田優作さん主演の映画で
「野獣死すべし」でした。今から25年以上前の映画です
懐かしいなあと思い見ました。狂気を隠した役を演じて
おられました。
映画を眺めていると、彼が40歳で膀胱癌で亡くなった時
の遺族の方のコメントを思い出しました。
闘病生活の終わり頃、家族の方に、もし次も生まれる事
が出来るならば、人に喜ばれる事を沢山したいなと、
よく仰っていたそうです。
彼は、今生に自分の好きな道で成功し、一通りの人間界
の欲望や願望も叶えたでしょう。そして、病院生活の中で
死を静かに見つめた時に思った事が、人に喜ばれる事を
したかった、と言う事です。
私の中では、この コメント=松田優作 として、永く心に
残っていました。
もし、人生に置いて、人として生まれた目的が、金持ちや
自己の夢の実現に有るのならば、いよいよと言う死に際
には、それらの願望を来世も願ったでしょう。
ところが、違ったのです。
”他人に喜ばれる事をしたい” だったのです。
私は、これは私達が生まれて来た目的の1つだと感じ
ます。まあ、全てが根源神1つからの分霊派生ですから、
”他人に”・・・・同時に、自分に喜ばれる事をしたい、でも
あります。 自分の内在神を喜ばすのは、大変です。
嘘やハッタリが効きませんから。
自分自身を大事にし、自分の家族や回りの人を大事にする
人は、他人を心から大事にする事が出来ます。
家族を、ほって置いてのボランティアは駄目です。
ましてや、家族への世話を置き去りにした信仰は、正神から
離れたものです。
松田さんは、自身の体を酷使し、不摂生をしたかも知れま
せんね。 先祖から借りた肉体は、気に入らなくても、
与えられた環境の中で最大限大事にして、最後まで使い切
ってから返したいものです。
今日も 生かして頂いて ありがとうございます

人類の 5% 運動を広める為に、3箇所クリックして下さい
何気なくチャンネルを回すと、松田優作さん主演の映画で
「野獣死すべし」でした。今から25年以上前の映画です
懐かしいなあと思い見ました。狂気を隠した役を演じて
おられました。
映画を眺めていると、彼が40歳で膀胱癌で亡くなった時
の遺族の方のコメントを思い出しました。
闘病生活の終わり頃、家族の方に、もし次も生まれる事
が出来るならば、人に喜ばれる事を沢山したいなと、
よく仰っていたそうです。
彼は、今生に自分の好きな道で成功し、一通りの人間界
の欲望や願望も叶えたでしょう。そして、病院生活の中で
死を静かに見つめた時に思った事が、人に喜ばれる事を
したかった、と言う事です。
私の中では、この コメント=松田優作 として、永く心に
残っていました。
もし、人生に置いて、人として生まれた目的が、金持ちや
自己の夢の実現に有るのならば、いよいよと言う死に際
には、それらの願望を来世も願ったでしょう。
ところが、違ったのです。
”他人に喜ばれる事をしたい” だったのです。
私は、これは私達が生まれて来た目的の1つだと感じ
ます。まあ、全てが根源神1つからの分霊派生ですから、
”他人に”・・・・同時に、自分に喜ばれる事をしたい、でも
あります。 自分の内在神を喜ばすのは、大変です。
嘘やハッタリが効きませんから。
自分自身を大事にし、自分の家族や回りの人を大事にする
人は、他人を心から大事にする事が出来ます。
家族を、ほって置いてのボランティアは駄目です。
ましてや、家族への世話を置き去りにした信仰は、正神から
離れたものです。
松田さんは、自身の体を酷使し、不摂生をしたかも知れま
せんね。 先祖から借りた肉体は、気に入らなくても、
与えられた環境の中で最大限大事にして、最後まで使い切
ってから返したいものです。
今日も 生かして頂いて ありがとうございます



人類の 5% 運動を広める為に、3箇所クリックして下さい
今日の記事を読ませていただき・・・
自分が怪我をした12年前を思い出しました。
足が不自由になったときは、私を暖かく見守ってくれた家族や友人を得がたい宝だと思い感謝したし、「もし奇跡が起こって足が治ったら、人のためになる仕事をしたい」と心底思っていました。
ところが、体力も回復し、社会復帰もでき、車いす生活にも慣れてあまり不便さを感じなくなってきたせでしょうか、このごろは足りないものばかりが目につき不平不満ばかりを言っています。
この世の物質的なもの、自分の体さえも借り物なんですよね。借り物に不足を言って嘆いている自分の魂は他人のおもちゃを欲しがって拗ねてる子供のよう・・
借り物なのに、不自由ながらがんばってくれている私の両足に感謝、両親に感謝、友人に感謝、こちらのブログにいらっしゃるみなさんに会えたことにも感謝感謝です。
じつは今、片思い中なので、嫉妬&涙で苦しむこともありますが、この気持ちもありがたいですね。恋心まで取り戻せちゃって感謝感謝です。
とても胸に響きました。
今思うと本当にお恥ずかしながらですが、小さな頃からの親や世間を好きになることが出来ませんでした。
周りの大人は敵でした(苦笑)でもこれまで生きてきて本当に良かったなぁ~この親の元に生まれて良かったと、思います。涙が出ます。自分のことで幸せを感じ、自然に涙を流せることが本当に幸せです。
困難な事はありますけど、自分と内在神を信じて頑張って生きていきます(^-^)
こちらのブログは素敵です。コメント寄せられている皆さんもリーマンさんも。
ありがとうございました。
また、近くにいるだけで「元気」をもらえる人もいます。
そういう人達は自分を「穏やか」に、または「元気」にする方法を知っている気がするんです。
自分を「大事」にする方法を知っている人はまずは自分を、一番身近な人間の家族を大事にできるし、外へ出れば周りの人達も大事にできるのですよね?
自分を大事にする方法を知らない人が、家族を、ましてや他人を大事にはできないと思います。
自分を「大事」にする言葉
↓↓
生かして頂いて、ありがとうございます
感謝供養の際、すでにこの世にいないご先祖様を想っていましたが、一番身近で感謝を直接伝えられるのって親なんですね。私はあまり親と相性が良くなくて、良い関係を築きたいと思いつつなかなかできませんでした。今年に入ってからは意識してかなり努力はしてきたつもりですが(^_^;)
でもよく考えたら、私がこの両親の元に生まれてくることを望んで生を受け、こうして生かして頂いているのだからそれに勝る感謝はないのではないかと・・・頭では解っていたことが今ようやく魂で理解できました。すべて感謝供養のおかげです。そして内在神様のおかげです。
リーマンさん並びこのブログを愛している皆様から感謝しきれないほどの学びを頂き、心から感謝致します。
生かして頂いてありがとうございます。
今まさにそれなのです。どれだけ家族がしあわせな気持ちで生活できるかを考えています。
で・・・、頭で考えていても家族はしあわせにはなれないと思い、働くことにしました。
昨日は家の中の掃除、今日は庭の草むしり、もちろん洗濯、食事の支度やります。そのひとつ、ひとつを、丁寧にこなすことで、なんか家族のために働いているなあ、と実感しているところです。
ご近所に赤チャンが生まれて、時々泣き声が聞こえてきます。
私が行って抱っこしてあげようか?という気持ちになります。
しかし、目の前には、数年前に同じく赤ちゃんだった我が子がいることに気づかされます。
今は、言葉もわかるし、会話もできます。だから、言い聞かせたり
ときには、怒ったり、(たまにあたったり・・・・)することで、コミュニケーションをとることができますよね。
でも、赤ちゃんのときは、一心に愛情をそそいで、抱っこして、あやしたりするしか方法はなかったです。
そうか、と思いました。自分以外の人は全て、赤ちゃん!
そう思えば、他の人にたいしても無償に愛情を注げるのではないかと。
今までの重い腰が、少し軽くなったようなきがしています。
今日も、生かして頂いて ありがとうございます。
片思いも良いですね。私も、付かず離れずの人がいます。最初は泣いたり苦しんだりばかりでしたが、彼に出会えたことに感謝と気づいたら自然に彼に対する執着がなくなり、彼の幸せが私の幸せとおもえるようになりました。そして何故か彼が最近とても優しいです。
感謝供養おそるべし。恋愛にも効果てきめん(*^。^*)
私もいつか、きょんさんのような心になれますように・・
生かして頂いてありがとうございます。
リーマンさん、みなさん、ありがとうございます。
はじめまして。本当に素敵なお話の数々、
ありがとうございます。
2ch時代のコメント集も読ませて頂きました。
日本は本当に不思議な国ですよね。
そして本当に美しく、素晴らしい国だと思います。
この国に生まれて本当に良かった。
お伊勢様はお参りしたことがないのですが、
お話を聞く度にいつかお参りしたく思います。
私は山陰地方に住んでいます。
都会のような最新の便利さはありませんが、
インターネットくらいは通じているし、
とても良いところですよ。笑
若い頃は、生れついた境遇に悩んだり、
反発しようとしたり色々でしたが、
よくよく生きてくると、
家庭環境ですとか、経済面ですとか、
そういったものに恵まれていなくとも、
こうして文字を打て、読むことも出来る健康な体、
大きな病気や、怪我に見舞われることのなかった
ありがたさ、色々ありながら今の今まで生きてこれたこと。本当に私は幸せ者です。
そうしてわかっているのに、
「サボリ心」に流されていることも、
きっと神様はお見通しでしょうね。
お恥ずかしい。少しずつ。ちょっとずつでも。
生活を正していけるよう。
しっかり生きる努力をしていきたいと思います。
今日も 生かして頂いて ありがとうございます。