今日、よその土地を貶すには、「ダサイタマ」「バカナガワ」と都道府県名を使ってますよね。これが、江戸時代には「くに」(武蔵国、長門国、陸奥国など)の名称を使っていました。
それだけ、江戸時代の一般民衆の間には、「くに」の名まえが常識であったということですね。
寺子屋で使用された初歩教科書「往来物」にも、「国尽し」という地理的なテキストがあり、それだけ「くに」の名まえを知ることが、実生活の上からも必要だったのでしょう(そういえば、武士の「受領名」も「くに」の名まえだよね。吉良上総介義央、大岡越前守忠相など)。
したがって、今日の「エスニック・ジョーク」のような表現も川柳や狂歌、ことわざに出てくるのです。
これは、以上のような地理的常識に日常経験を加えて、極端に「くに」の特徴をあげつらったものです(今では、ほとんどが放送禁止用語らしいのですが)。
相模下女いとし殿御が五六人
頼まれれば越後から米つきにでも来る。
近江泥棒、伊勢乞食
といった類ですな。
まあ、類型化された「くに」のイメージといってもいいのかもしれない。
えっ、意味が分からない?
ご自分で、どうぞお調べを。
でも、こういった表現は、ほとんどが江戸で生まれたんじゃあないかしら。
というのは、江戸っ子を貶めるような表現って、ほとんどないんだもの。
江戸っ子は五月の鯉の吹き流し
口先ばかりで はらわたはなし
なんて狂歌だって、貶しているようで、実際には、威勢の良さや、腹黒いところがないってことを言ってるんだものね。
いつもコメントありがとうございます。
最近は、このブログでもローカルな話題が多くなってしまったので、どうかなと心配でしたが、読んでくださる方がいらっしゃることが分り、一安心といったところ。
さて、江戸のことにご興味がおありでしたら、
小生のHPに「江戸東京ものがたり」という
テーマのコーナーがありますので、
そちらもどうぞ(BOOKMARKのクリックで飛べます)。
これからも、よろしくお願いします。
では、また。
大変興味深い内容です。
わたしめも府立三中の近くで生まれ育った江戸っ子ですが
しょせん江戸っ子も地方出身者の集まりが大半ですよね。。。
わたしの界隈の郷土史は、小学校では戦災や関東大震災など被災の話が多かったと記憶しております
ではではm(_ _)m