なぜ、小説家は歴史小説を書くのでしょうか。
その問いに答えるために、まず森鴎外の場合をみてみましょう。
鴎外の場合も、三田村鳶魚と同様に「古典主義者」だったと思います。
彼が歴史小説を書き始めた、日露戦争後の日本社会は、
それに対し、江戸時代はどうだったでしょうか。
鴎外には、
1912(大正1)年9月に、鴎外は最初の歴史小説『興津弥五郎衛門の遺書』を書きます。
この年代に注目していただきたい。この年、7月30日に明治天皇が亡くなり、大正と時代が変わった。
その明治天皇の死に、鴎外が触発されて書かれたのが、この歴史小説だったというわけです。より正確に言えば、明治天皇の死とそれに引き続いて起こった乃木希典夫妻の殉死が、そのきっかけといった方がいいでしょう(同年9月13日)。
まず、明治天皇の死去によって、鴎外は、ある時代の終りを感じざるを得なかった。それは、1862(文久2)年生まれの鴎外だけではなく、1867(慶応3)年生まれの漱石も同様でした(漱石は『こゝろ』を書く*)。
乃木将軍の殉死は、鴎外に次のように感じられたろう、と関川夏央は述べています。
つまり、鴎外の場合、「歴史」に関する実感(手触り)が彼の歴史小説を生んだというわけです。
その場合、そうした実感(手触り)を、私小説のようにもろに自分のこととして提示しないで、ワン・クッション置いたところに、歴史小説という形が生まれたのでしょう。
そう言えば、司馬遼太郎も小説の上で、主人公と「私」を重ねることのない小説家でした。
関川夏央
『おじさんはなぜ時代小説が好きか』
岩波書店
定価:1,785 円 (税込)
ISBN4000271040
その問いに答えるために、まず森鴎外の場合をみてみましょう。
鴎外の場合も、三田村鳶魚と同様に「古典主義者」だったと思います。
彼が歴史小説を書き始めた、日露戦争後の日本社会は、
「自由は規律とモラルがあって、はじめて謳歌され得る。野放図な自由は自由の名に値しない、それはただの自堕落とむきだしのエゴの突出にすぎない」(関川夏央『おじさんはなぜ時代小説が好きか』)そのような時代であると、鴎外には思えたのです。
それに対し、江戸時代はどうだったでしょうか。
鴎外には、
「封建期を未開の遅れた時代とみなす時代の気分への強い反感がひそんでいました。江戸時代をなんら学ぶべきもののない時代と考え、そう教えていた度合は、現代より明治のほうがはなはだしかったのです。革命によって成立した新政府が前代を完全否定したがるのは、おのれの存在理由の正当化のためです。」(関川、前掲書)
1912(大正1)年9月に、鴎外は最初の歴史小説『興津弥五郎衛門の遺書』を書きます。
この年代に注目していただきたい。この年、7月30日に明治天皇が亡くなり、大正と時代が変わった。
その明治天皇の死に、鴎外が触発されて書かれたのが、この歴史小説だったというわけです。より正確に言えば、明治天皇の死とそれに引き続いて起こった乃木希典夫妻の殉死が、そのきっかけといった方がいいでしょう(同年9月13日)。
まず、明治天皇の死去によって、鴎外は、ある時代の終りを感じざるを得なかった。それは、1862(文久2)年生まれの鴎外だけではなく、1867(慶応3)年生まれの漱石も同様でした(漱石は『こゝろ』を書く*)。
*『こゝろ』には、「先生」の手紙として、次のような一節がある。
「すると夏の暑い盛りに明治天皇(めいじてんのう)が崩御(ほうぎょ)になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後(あと)に生き残っているのは必竟(ひっきょう)時勢遅れだという感じが烈(はげ)しく私の胸を打ちました。」(『こゝろ』五十五)
また、1868(明治1)年生まれの徳富蘆花は、
「明治が大正となつて、余は吾生涯が中断されたかの様に感じた。明治天皇が余の半生を持つて往つておしまひになつたかの様に感じた。」
と『みみずのたはごと』に書き付けている。
乃木将軍の殉死は、鴎外に次のように感じられたろう、と関川夏央は述べています。
「これが本人の意志がそうであったというのでは必ずしもありませんが、明治帝ではなく時代の終焉に殉じたと考えることもできます。少なくとも、鴎外や漱石はそのように実感したろうと私は考えます。大葬の現場で乃木夫妻の死を知った鴎外は、帰宅するとすぐに『興津弥五郎衛門の遺書』を書きはじめ、数日のうちに完成させました。」(関川、前掲書)
つまり、鴎外の場合、「歴史」に関する実感(手触り)が彼の歴史小説を生んだというわけです。
その場合、そうした実感(手触り)を、私小説のようにもろに自分のこととして提示しないで、ワン・クッション置いたところに、歴史小説という形が生まれたのでしょう。
そう言えば、司馬遼太郎も小説の上で、主人公と「私」を重ねることのない小説家でした。
この項、つづく
関川夏央
『おじさんはなぜ時代小説が好きか』
岩波書店
定価:1,785 円 (税込)
ISBN4000271040