「きこえなくても、きこえたふりしてしゃべってますとね、どうしても返事をしなきゃならないときがある。そんなときは『近頃はたいていそうだよ』と、いってやるんです。ほとんどこれで用がたります」
(『落語商売往来』)
桂文楽(かつら・ぶんらく、1892 - 1971)
落語家。八代目。
本名は並河益義。1908(明治41)年、初代桂小南(こなん)に入門。1917(大正6)年、五代目柳亭左楽一門に移り、翁家馬之助の名前で真打昇進。1920(大正9))年六代目桂文楽を襲名するが、縁起を担いで末広がりの八代目を名乗る。何度も練り直して完成度を高めるため、持ちネタは少ないが、代表藝に、『明烏』『船徳』『素人鰻』『富久』『つるつる』『心眼』『愛宕山』などがある。
冒頭引用は、晩年耳が遠くなってからの話を、評論家の矢野誠一が聞いたもの。
「『近頃、耳がめっきり遠くなりまして』
とぼつりといったあと、こうつづけたのが忘れられない。
『なに、きこえなくったってかまやしません。この年齢(とし)ンなりますと、たいていのことはきいてしまって、いまさらどうしてもきかなきゃならないようなことは、ほとんどない』」
という一節に続く。
これへの矢野の感想。
「すごい老人の知恵だと思う。」
まさしく、そのとおり。
強いてそれに付け加えるとすれば、
「文楽だからこそ言えることば」
となるだろうか。
参考資料 矢野誠一『落語商売往来』(白水社)
(『落語商売往来』)
桂文楽(かつら・ぶんらく、1892 - 1971)
落語家。八代目。
本名は並河益義。1908(明治41)年、初代桂小南(こなん)に入門。1917(大正6)年、五代目柳亭左楽一門に移り、翁家馬之助の名前で真打昇進。1920(大正9))年六代目桂文楽を襲名するが、縁起を担いで末広がりの八代目を名乗る。何度も練り直して完成度を高めるため、持ちネタは少ないが、代表藝に、『明烏』『船徳』『素人鰻』『富久』『つるつる』『心眼』『愛宕山』などがある。
冒頭引用は、晩年耳が遠くなってからの話を、評論家の矢野誠一が聞いたもの。
「『近頃、耳がめっきり遠くなりまして』
とぼつりといったあと、こうつづけたのが忘れられない。
『なに、きこえなくったってかまやしません。この年齢(とし)ンなりますと、たいていのことはきいてしまって、いまさらどうしてもきかなきゃならないようなことは、ほとんどない』」
という一節に続く。
これへの矢野の感想。
「すごい老人の知恵だと思う。」
まさしく、そのとおり。
強いてそれに付け加えるとすれば、
「文楽だからこそ言えることば」
となるだろうか。
参考資料 矢野誠一『落語商売往来』(白水社)