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🚞 戦後75年で約400路線が消え… 控え 200628

2020-06-28 23:23:00 | 🚃 鉄道

戦後75年で約400路線が消え…「廃線先生」が挙げる「もう一度見たい鉄道」は?    Aeradotcom 野村昌二  より  200628

【三江線】2018年4月1日で廃止。江津―江津本町間の江津市街(島根県)を走る三江線のキハ120。奥を、中国地方最大の河川、江の川がゆっくりと流れている
 戦後日本の復興の大動脈として活躍してきた鉄道。モータリゼーションの波で、次々と姿を消している。AERA 2020年6月29日号では、懐かしい列車の数々を鉄道ファンや鉄道ジャーナリストらが語った。
*  *  *
 かつて、中国山地の山間を縫うように、江の川の流れに寄り添いながら走る鉄道があった。島根県江津市と広島県三次市を結んだ「三江線」だ。2年前の2018年3月31日を最後に、運転を終了した。
   「懐かしいなあ~」
 埼玉県に住む会社員の男性(35)は目を細める。「乗り鉄」でもある男性は,三江線廃線のニュースを聞き,いてもたってもいられなくなり廃線となる半年ほど前の秋、会社を休んで1泊2日で乗りに行った。あいにく雨模様だったが,車窓から山々の美しい紅葉を楽しんだ。
「赤字とか経済効率という理由でどんどん鉄道が消えていく。寂しいですね」(男性)

■戦後約400路線廃止

 戦後日本の復興の大動脈として活躍してきた鉄道。私たちの生活を支えてきたが、モータリゼーションの波や人口減少で、次々と姿を消している。戦後75年、北海道から九州まで、400近い路線が廃止となった。

 鉄道ジャーナリストで「廃線先生」としても知られる松本典久さん(65)は、廃線は鉄道が開通した明治時代からあったという。

「つくっても役に立たなければ廃止してしまうということ。戦後の廃線のピークは、国鉄再建に向けた特定地方交通線の廃止が、距離の上ではいちばん長いと思います」

 特定地方交通線は、1980年に赤字解消などを目的に成立した「国鉄再建法」が規定する地方交通線のうち、バス転換が適当とされた1日1キロ当たり輸送人員(輸送密度)が4千人未満の国鉄路線のこと。「赤字ローカル線」とも呼ばれ、87年4月のJR発足前後には廃線のラッシュが起きた。

 バブルがはじけると、ローカル線はさらに厳しさを増した。とりわけJR北海道の惨状は際立ち、16年11月にJR北は営業路線の約半分にあたる10路線13線区を「単独では維持困難」と表明。19年4月に石勝線夕張支線が廃線となり、コロナ禍中の今年4月には、札沼線(さっしょうせん)の北海道医療大学(当別町)~新十津川(新十津川町)間の47.6キロがラストランとなり、多くのファンが別れを惜しんだ。

 そんな中、先の松本さんが「もう一度見たい鉄道」のトップに挙げたのが、冒頭の三江線だ。松本さんは振り返る。

「車窓に続く江の川は印象的でした。川沿いを走る鉄道は全国各地にありますが、三江線ほど一つの川を律儀にたどる路線は珍しく、渓相の変化をたっぷりと味わえました」

 三江線は「政治に振り回された鉄道」だったと松本さん。

 全線開通は1975年だが当初から需要は少なく、国鉄再建法による仕分けで廃止対象に考えられたが、代替道路が未整備ということで辛くも存続。87年、国鉄の分割民営化で国鉄からJR西日本に引き継がれたが利用状況に改善はなかった。21世紀に入ると輸送密度はさらに落ち込み、区間によっては1日4往復。実験としてバスも活用して2倍近い増便を実施、利用増を模索したが芳しい結果は得られなかったという。

「さらにこの時期、数次にわたる致命的な天災も受けて、そこで鉄路を残すべく動いた鉄道マンの心意気に頭が下がります」(松本さん)

 今回、紹介するのは松本さんに挙げてもらった「もう一度見たい鉄道」だ。共通するのは「心に残る情景が今も深く残っている」点。

■最も勾配のきつい区間

 信越本線の横川~軽井沢間(碓氷線)も、多くの鉄道ファンの心に刻まれた路線の一つだろう。

 信越本線は1893(明治26)年に開通したが、江戸時代の旧中山道の頃から「難所」といわれた碓氷峠が横たわった。それが、群馬県の横川と長野県の軽井沢を結ぶ「碓氷線」だった。距離は11.2キロながら553メートルの標高差があり、当時の国鉄で最も勾配のきつい区間だったので、線路の中央に敷かれた歯形のレールと車両の床下に設置された歯車をかみ合わせた「アプト式」と呼ばれる線路システムがとられた。当時としては最新技術だったが、速度が遅く、時代とともに輸送力不足となった。そのため1963年、急勾配を上るために専用の電気機関車EF63が開発された。通称「ロクサン」。勇敢に列車を押し上げる姿から「峠のシェルパ」とも呼ばれ、その雄姿を覚えている人も少なくないだろう。

「EF63はパワーそのものもそうですが、スリップしない工夫があり、登場間もない子どもの頃、車輪をロックして滑走しても対処できるように電磁石でレールを吸着するブレーキには感心しました」(松本さん)

 横川駅に隣接した横川運転区跡地には99年にテーマパーク「碓氷峠鉄道文化むら」(群馬県安中市)がオープン。碓氷峠で活躍した車両たちが展示され、日本で唯一、EF63の運転体験もできる。同むらの事務局長の小崎正人さんは言う。

「横川~軽井沢間には、当時の最先端の技術が詰め込まれた鉄道遺産が数多く現存しています。当時の繁栄を色濃く残していることが魅力で、懐かしさを求めて訪れる人が後を絶ちません」

 軽井沢と横川の両駅では、アプト式に対応した機関車の付け外しをするため、停車時間が長くなった。この停車時間を利用して横川駅で58年から販売されるのが、駅弁の代名詞にすらなった「峠の釜めし」だった。

 多くの「路面電車」も姿を消した。かつては都市交通の要として全国に70以上の路面電車が走っていたが、60年代、自動車が普及すると一気に姿を消した。どれも独特の美しさがあり、「もう一度見たい」と思うものも少なくない。その筆頭は、東京の渋谷~二子玉川園間を結んだ「玉川電気鉄道」、通称「玉電」だろう。今の玉川通り(国道246号)を走っていた。

「二子玉川から渋谷まで往復で25円。高くてなかなか乗れなかったけど、乗れた時は、はしゃいじゃって」
 と述懐するのは、東京都世田谷区に住む大塚勝利さん(77)。玉電の終着駅だった二子玉川園駅近くで2011年までそば屋を開き、今はそこに資料館「大勝庵 玉電と郷土の歴史館」を開いている。

 玉電の開業は1907(明治40)年。25年には、三軒茶屋と下高井戸を結ぶ支線も開通。38年に東京横浜電鉄(現・東急)に合併され「東急玉川線」となった。大塚さんは地元の農家に生まれた。家が貧しく、電車にはあまり乗ることができなかった。それだけに、子どもの頃は乗れた時はうれしくて仕方なかったと振り返る。

「特に200形と呼ばれた電車は、運転台の横に椅子があって、先頭に乗れるんです。それに乗りたくて、停留所で来るのをずっと待ってました」
 200形について松本さんは、

「腰が低く、ほかの電車に比べて地を這うように走っていた姿が印象的でした。改めて当時の写真を見ると、国道246号の広かったことにも驚かされます。高速道路がなく、空が広かったせいでしょうか」

■「交通弱者」の大切な足

 その玉電も車社会が到来すると邪魔者扱いされ「ジャマ電」などと呼ばれるように。地下鉄の新玉川線(現・田園都市線)の建設が決まると本線は69年に廃止され、下高井戸への支線だけが「世田谷線」と名前を変えて残った。

 令和の今、存続問題が持ち上がっている路線は少なくない。しかし、鉄道は高齢者や学生ら「交通弱者」の大切な足であり、鉄道が消えれば地域の明かりも消える。地域の実情に見合った、持続可能な公共交通機関の在り方を模索する必要がある。(編集部・野村昌二)

※AERA 2020年6月29日号



💋過疎だけでなく、これから更に、増える災害で復旧出来ない路線とかは早く消えてゆく事になる…  ますます地方の切捨て加速化… 国会議員の小選挙区比例代表並立制って、いったい何だったのか… 
 地方自治って?
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🔭🌓 弓張月+ 200628

2020-06-28 18:30:00 | 🔭 観測 🌖
南の空 天高く 見とれる 青空に白月
 月齢7.1 視半径16.4°  

18:13 ほぼ南中
1/1000 F6.4  Iso640

天気予報と異なり夕陽も期待出来そうな…
 さすが雨の特異日か…




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⚠️ 日本のワクチン開発    200628

2020-06-28 18:01:00 | 健康関連

「安全」と「早さ」が特長 日本で開発「DNAワクチン」近く日本初の治験 来春実用化目指す  スポーツ報知 より 200628

 新型コロナウイルスは緊急事態宣言が解除されたが、27日には東京都の感染者が解除後最多の57人報告され、予断を許さない。第2波の恐れもある中、収束のカギを握るワクチンの開発は、世界中で進められている。日本の“日の丸ワクチン”でトップを走る「DNAワクチン」開発の中心者で、大阪大大学院寄付講座教授の森下竜一氏に、特長や今後の見通しを聞いた。(竹内 竜也)

 大阪大発の製薬ベンチャー「アンジェス」(大阪府茨木市)は、同大学とDNAワクチンを共同開発中で、近く国内初の人に投与する臨床試験(治験)を、30人程度の規模で開始する。

 DNAワクチンの主な特長は「安全」と「早さ」だ。アンジェスの創業者でもある森下氏は「ウイルスの遺伝情報しか使わないので、非常に安全。通常のワクチンはウイルスを弱毒化したり、不活化と言って活力をなくして使うが、ウイルスそのものが入るという危険性がある」と、安全性に自信を見せる。

 危険な病原体を使用せず、対象となる病原体と同じ配列のタンパク質をつけた無害な環状DNA(プラスミド)を接種。体内で細胞が病原体のタンパク質に対する抗体を作る仕組みだ。

 プラスミドについては、「大腸菌で増やすので、ビール工場のタンクのようなものがあれば大量生産できる。通常のワクチンは鶏の卵を使うが、有精卵で作るので、すぐに増やすことができない」。インフルエンザワクチンにも使われる鶏卵法は供給まで5~8か月。弱毒化したウイルスが卵で増殖する速度に左右され、鶏卵不足などにも影響される。DNAワクチンならウイルス自体の取り扱いがなく、プラスミドは大腸菌を使い数日で大量培養できるため、供給まで6~8週という。

 3月に開発を始め、動物実験で抗体価の上昇を確認。大阪府の吉村洋文知事は、今月30日からの治験開始を目標としていた。DNAワクチンで初めて人に対して実用化され、国民全員が接種できるようになるのはいつか?

 「いつ、と言うのは難しい。今は順調に進展しており、秋に400人程度の大規模な治験を計画している。製造も年内で20万人分はできるようにして、来年春の実用化を目指している。しかし、まずは100万人分くらいで、全員というわけにはいかないと思う」

日本のために 世界でワクチン開発が進む中、日本にとって“日の丸ワクチン”ができるメリットがある。

 「例えば米国で開発されれば米国人が優先となるだろう。日本に入ってくるのは時間がかかるし高額かもしれない。日本で自国のためにワクチンが開発されるということが重要だと思う」

 ◆日本で開発中のその他の主なワクチン

 ▽塩野義製薬 来年秋にも組み換えタンパクワクチンの発売を目指す。年内に治験を始める方向。

 ▽第一三共 RNAワクチンで、来年3月ごろの治験開始を目指す。

 ▽KMバイオロジクス 不活化ワクチンの治験を来春以降に始める計画。

 ▽IDファーマ ウイルスベクターワクチンの治験を最短で9月から開始する意向。



💋こういう記事は期待する、国もこう言うのに一杯補助を、五輪費用や追加費より先に!
  常識的に現実世界を見て、来年は無理、隣国でさえ収まらず…欧米もキツイ…
   四年後の玉突きズラしか、12年後が妥当かも… 疫病をなめたらいかん。
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🚶‍♀️…天ヶ瀬ダム…右岸 特になし 200628

2020-06-28 16:16:00 | 🚶 歩く
🚶‍♀️…右岸堤防⇅…同迂回路…朝霧通…観流橋…右岸路…山吹橋…白虹橋…左岸路…天ヶ瀬吊橋…右岸路…朝霧通…沿線沿…>
🚶‍♀️10351歩

雨が降りそうで…帰宅はポツポツ降り出しで洗濯物,間に合う
 放流無し,白虹橋27度
 
 室温27~28.9~26~24.6 やっと涼しい夜




亀石楼前にて カラスアゲハ











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