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2024/04/12

2024-04-12 03:10:42 | 📚 豆知識・雑学
古墳の数は16万基、コンビニの約3倍! 日本が誇る「巨大な古墳」ができるまでの14プロセス
AERAdot com  240412より 上永哲矢
イラスト/さとうただし


 コンビニ店数の約3倍近い数、約16万基もの古墳が国内に存在するのをご存じだろうか。日本が誇る古墳文化の楽しみ方を、その種類から造営方法まで、古墳見学を楽しむハウツーを5回にわたって伝授する。第1回は「古墳ができるまで」。

■世界的にも特異な形状と規模土製建造物の技術の到達点
 エジプト・ギザのピラミッドや中国の始皇帝陵とよく比較される古代権力者の墓が日本最大の古墳・大山(仁徳陵)古墳である。
 墳長は486mで、航空写真で見て初めて鍵穴のような形の全体像を見ることができる巨大さだ。
 この大山古墳は、巨大古墳が相次いで築かれた古墳時代中期前半の築造だが、古墳時代初期でも墳長280mもの巨大な箸墓古墳が築造されていた。

 いったい、これほどに大規模な埋葬施設はなぜ築かれたのか。そもそも古代人はいかにして、この途方もない大きさの古墳を築き上げたのか。

 それは文献にはいっさい記されていないが、調査成果や出土品などからおおよそ推定できる。
 何事もそうだが、古墳の築造も、まず建設地を決めることから始まる。
冒頭に挙げた大山古墳は、堺の港付近の台地端部に造られているが、これは海から来る人々に、その威容を見せつけるためであった。

 場所が決まれば、地面に杭や縄で測量し設計図を描いた。広大な古墳築造には木の伐採もかなり多く行われただろう。
 それが終わると、次に土を掘って墳丘の土台などから土を盛り上げていく。土を固め石室を造ればほぼ完成だ。ただ、まさに言うは易し、その完成には小さいものでも数年、長大な前方後円墳なら数十年かかったとみられる。

■古墳ができるまで
 現代のような大型機械やトラックのない時代、古墳のような大規模なものをつくるのは困難であった。古代人がどのような技術で、どれほどの人手や予算で古墳を築造したのか。
 文献史料はなく、実地の調査や出土品などをもとに考えるしかない。また、文化的な影響を受けたと思われる中国や朝鮮半島との比較からも、ある程度は類推することが可能である。

1 古墳を設計する
 建物を造る場合、実際より小さな模型を作成して完成イメージを共有する。それと同様のことが古墳でも行われていたはずだ。

2 用地を選定
 古墳は被葬者の権力を示すものであるため、多くの人に見てもらえる山や丘など、人々が往来する交通の要衡が選ばれた。

3 予定地の木を伐採
 木の伐採は広範囲におよび森林を伐採して用地を確保する。大山古墳など全長数百m規模のものは多くの森林が伐採されただろう。

4 用地をならす
 伐採が終わると、今度は地面・基盤をならして整える。巨大な古墳ともなれば固い地盤であることも用地選定の絶対的な条件だった。

5 測量を開始
 最初の設計図をもとに、杭と縄を用いて測量したと思われる。これが終わると設計図を地面にも正確に描いていく。

6 地面に設計図を描く
 手の指や足の歩幅など人間の体を使って測る身度尺、水田などを方形に区画した方格地割の技術などが用いられたと考えられる。

7 周囲の土を掘る
 地面に描いた設計図に沿って、古墳の周囲を掘削し、掘り下げることで空堀や濠になる。また掘った土で盛り土を確保できる。

8 土を盛り上げる
 掘削して得られた土を古墳内面に盛土する。採土場である濠から網状編んだモッコに土を入れオウコ(天秤棒)で担いで運んだ。

9 盛土を固める
 盛土は最初に周囲に溝を掘り、その外側を土手状に高くして土で埋めてから固め、それを何度も繰り返して高くしていく。

10 石を運ぶ
 古墳の斜面は、むき出しではなく、石が葺かれていた(葺石)。そのための石が河原や石切り場、石材置き場から運ばれた。

11 葺石を葺く
 各斜面に葺石がはめ込まれることで古墳表面が石に覆われ、雨水からも保護された。装飾が施されていったと思われる。

12 石棺を造る
 石棺は輸送中に傷つくことがあるため、ある程度完成させてから、現場近くで石工が最後に仕上げていたとみられる。

13 石室を造る
 墳丘内に石室を造る。石棺を安置する玄室までの羨道(通路)が、石棺より狭い場合は、玄室内に石材を運び入れて石棺を造った。

14 完成
 石室内部の装飾を行い、墳丘上に埴輪などを並べて完成となる。こうして、埋葬の日に備えられたとみられる。


▶︎監修/広瀬和雄(ひろせ・かずお)1947年京都市生まれ。同志社大学商学部を卒業。
現在、国立歴史民俗博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。主な著書に『前方後円墳の世界』(岩波新書)、『前方後円墳国家』(中公文庫)、『古墳時代像を再考する』(同成社)、『前方後円墳とはなにか』(中公叢書)ほか多数。

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