中国語学習者のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

四合院での年中行事、七夕、中秋節、冬至

2020年03月02日 | 中国文化

■旧暦7月、七夕

7月に入り、蒸し暑さは次第に無くなり、銀河は清く澄み、年に一度、牽牛と織女が相会する、七夕を迎えます。

7月7日の夜、四合院の中の多くの家では、娘が銀河を拝む儀式が行われます。儀式が終わると、老人が娘たちひとりひとりに刺繍針1本と糸を1本手渡し、彼女たちに針に糸を通し、針で糸を縫う競争をさせ、どの娘が頭が良くて手先が器用か、女性としての仕事がよくできるかを競争させました。これを「乞巧」と言います。これが日本の皇室に伝わり、宮中の行事となったのが「乞巧奠」(きっこうでん、きこうでん)です。

穿針乞巧(針に糸を通し、針仕事の上達を祈る)

この日から1週間後の7月15日は「中元節」です。北京の人はこれを「考親節」とも言います。というのは、この日は仏教の盂蘭盆会で、百味五果を仏教僧に捧げ、それによって得られる功徳で父母からの養育の恩に報います。この日の主な行事は、北京市内の北海の什刹海などの水の上で法会を行い、法船(紙で作った船)を焼き、蓮の花の形の灯篭を水に流し、死者の魂が迷わず無事に黄泉の国に帰るよう祈ります。家での行事は、祖先と一緒に「煮饽饽」、つまり餃子(水餃子)を食べるのですが、この日の餃子は肉抜き、野菜だけの精進餡です。

外出して法船を焼くのを見た人々が次々と帰ってくると、静かな四合院の庭で飛ぶきらきらした蛍が見え、コオロギの鳴き声が聞こえ、ジャスミンの香りが香ってきます。しかし、この日、ジャスミンの花は根ごと抜き去られてしまいます。というのは、北京の人はこの花を「鬼花」と看做したからです。

子供たちは、蓮の灯明を一つ点し、高く掲げて庭の中を走り回りました。

■旧暦8月、中秋節

8月15日の中秋節は、一年で春節、端午節と並ぶ第三の大きな節句です。この日の夜は、明るい月光が北京の大小の四合院に降り注ぎ、それぞれの家庭では皆、盛大な宴を催し、家族全員がテーブルを囲んで団欒します。

秋は収穫の季節で、中秋の夜の一家団欒の宴はとりわけ盛大です。金持ちの家は山海珍味や、すばらしい料理や珍しいごちそうが並べられます。一般家庭でも、鶏やアヒル、魚や豚肉、新鮮なエビや肥えたカニがたくさん準備されます。貧しい家でも、豚肉と、何皿かの料理を準備し、白酒(バイカル酒)を出して、愉快に一晩を過ごします。

腹がいっぱいで酒も飲み足りれば、四合院の中でもうひとつの重要な行事、「拝月」が始まります。

この日の夜、四合院の中庭やお屋敷の花園では、背の低いテーブルが準備されます。その後方には、人の背よりやや高い、「月亮馬儿」(月光菩薩と薬草をつき砕くうさぎ。「月光馬儿」とも言う)の絵が立てかけられます。背の低いテーブルの上には「饽饽舗」(小麦粉で作った菓子を売る店)より買ってきた、「蟾宮玉兎」(月にウサギ)の図案が刻まれた大きな月餅を神様として供えられます。お供え物には、月餅の中の精進ものの「自来紅」、及び梨以外(梨は「離」と同音で家族の団円を妨げるので)の各種のくだもの、例えばりんご、ザクロ、ブドウ、青柿などが供えられます。お供えのテーブルの最も外側には香炉、ろうそく差しと花瓶が並べられます。ろうそく差しの下にはお供えの紙銭が挟まれ、花瓶の中には大豆の鞘のついた茎とケイトウが別々に活けられました。凝った家では、更にお供えのテーブルの両側にザクロ、夾竹桃などの盆栽が並べられ、雰囲気を浮き立たせました。

「拝月」のお供え物

四合院での「拝月」の様子

「月亮馬儿」の絵

月を拝む時は、先ず女性の家長が神様に向け三度頭を地面につけて拝礼し、その後、他の女性の家族がいっしょに三度叩首(頭を地面につけた拝礼)します。「男不拜月,女不祭灶」(男は月を拝まない、女はかまどを祭らない)ということわざがあり、月の神の嫦娥は女性なので、この拝礼には男は参加しませんでした。

礼拝が終わると、月見が始まります。花園があるお屋敷では花園で、普通の四合院では中庭で、一家の人々がテーブルの周囲を囲んで座り、明るい月を眺め、同時に各種の季節のくだものを賞味します。子供たちは紙のランタンに火をともし、おとな達の周囲で追いかけっこをして遊び、深夜まで過ごしました。

■旧暦10月

かつて、北京の風習の中に「三大鬼節」があり、ひとつは「清明」、ひとつは「中元」、もうひとつは10月1日でした。10月1日は「冥陰節」とも言いました。10月に入った北京は、次第に寒くなり、人々は亡くなった肉親にも、綿入れの服を着させないといけないと感じました。それで人々はこの日にお墓参りをする他、自分の家の中庭で「焼包袱」(包みを燃やす)の儀式を行いました。「包袱」(包み)はあの世に送る財布、衣装の包みであり、外観は大きな紙包みで、中に紙の衣服(冥衣)とお金(冥鈔)が入っていました。

焼包袱

「焼包袱」で燃やす包み

この日の夜、人々は中庭の風の当たらないところに行き、包みを地面に置くと、いっしょに三つの碗の「餅子」(小麦粉を練って焼いた、マントウの類)と1杯の緑茶をお供えしました。この時の包みが、亡くなった人を象徴するものとなりました。この他に、更に何皿かのなまぐさ物の冷菜と、炒め物の料理が並べられました。祭祀行事は家の年長者が主宰し、先ず香炉に4本の線香を立て、その後、地面にひざまずいて頭を4度地面につけ(「神三鬼四」と言って、神様にお祈りする時と、亡くなった霊を拝む時では、線香の本数、頭を地面につける回数が異なりました)、その後、その他の家族も続いて礼拝しました。

10月の北京は、すでに寒風が吹きつけてこごえるようで、夜は特に寒くて耐え難いものでした。そのため、祭祀の儀式は手早く終わらされました。包みを焼く時は、習慣上、自分の家の庭では焼かず、家の門の外の道路に持って行って焼かれました。

■旧暦11月、冬至

ことわざに、「冬至は大なること年越しの如し」(冬至は年越しより重要だ)と言います。毎年、冬至はだいたい旧暦の11月ごろです。この時期は依然として寒さが厳しく陰鬱ですが、「数九」(冬至から数えて9日間毎に一つの「九」とし、九つの「九」まで数えて、厳冬から春暖かくなる時期を知る民間の知恵)が始まる時期で、厳冬もピークを迎えます。この後、次第に春の気配が感じられるようになります。

しかし、年越しより重要な冬至の時に、民間では特に大きな行事はありません。天を祭る行事は、主に皇帝のみが行ったのです。

この日、四合院に住む北京の人々の関心事は、ワンタンを食べないといけないということでした。ワンタンは鶏の卵の形をしていて、天地混沌の形象にすこぶる似ていて、「餛飩」(ワンタン、”húntun”)と「混沌」(“hùndùn”)は「諧音」、つまり中国語では音が同じで、「餛飩」を食べるとは、混沌を打ち破ることを意味し、天が開き地が開く訳で、冬至にワンタンを食べるのは、新しい年の到来を祈念する意味があったのです。また、ワンタンに用いる餡は「新鮮」であることが大切で、ワンタンを煮て鍋から出す時に豚骨スープの中に入れられ、オキアミ、からし菜、海苔、米酢、ごま油が添えられました。それで、この日は四合院中いたるところで、肉の香りが漂っていました。