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はいくでハイク

個人的な俳句日記です。

春の雪

2006-01-30 21:41:31 | Weblog
 

 酒壷を手の仏も纏ふ春の雪   朱灯

残雪がしたたかに残る西山公園の仏の道を散策した。
記録的に多かった12月の大雪がこのところの暖かさで
かなりその嵩が低くなってきた。

地元の方たちがひとつひとつ思いをこめて奉納された
おびただしい仏像が並んでいる道をめぐると、可愛い
童佛、羅漢さまに挟まれて変わった仏像に出会った。

お酒に酔った愉快なお顔の仏さまが、左手に杯を持ち
右手に徳利をかかげてさも私にお酒をすすめているよ
うに思えたのである。

その仏さまのお顔に淡い春の新雪が積っていたのが
なぜか愉快に思えて心に残り、この句ができた。



寒稽古

2006-01-26 22:01:27 | Weblog
 

 寒稽古 拳にはじく 滝しぶき  朱灯

柔道とか少林寺拳法のような格闘技を習っているクラブでは
いつも寒さのきびしいこの時期、寒稽古をする慣わしがあり
ます。

それは寒さで身の毛がよだつような滝のほとりや、荒波の打ち
寄せる海岸で行うのがもっとも効果があるようで、年中行事の
一つとしていつも話題になります。

いまにも泣き出しそうな表情で懸命に拳を突き出している
小さな子供たちの姿をみていると、ほんとにいじらしくなり
ます。



寒の蝿

2006-01-23 21:32:36 | Weblog
  

 動くとも見へでしたたか寒の蝿   朱灯

年末からの記録的な大雪の反動なのか20日の「大寒」は
気味悪いくらい暖かでした。(そう感じたのかも知れませ
んが・・・)

ときたま差し込む太陽の光は大雪で滅入っていた雪国に
住むものにとって大変なおくりものになりました。
なんとすごいエネルギーなのでしょう。いっぺんに地球が
暖められてうきうきさへしてきました。

ふと1匹の蝿が障子に止まっていました。少しも動く気配が
ないのですがどうしてどうしてなかなかしたたかなのです。
触れようとしてもおっとどっこいなかなか触れさせません。

このように生きものも植物もみんな太陽の光によって元気が
出たり落ち込んだり影響をうけているのです。
世の喧騒なんてうたかたのもので、おてんとさまさへ出れば
すべてが平和なんです。





寒の月

2006-01-19 22:00:35 | Weblog
 

 暁の寒満月の淡かりし   朱灯

今週に入って親戚に不幸があってブログの書き込み
が出来なくて、不謹慎なことですが「うわのそら」の日
が続きました。

さて、いよいよ葬儀当日の早朝お手伝いに行く途中、
西の空に淡い満月が出ているのに気づきました。
なんと穏やかな風情なのでしょう。

亡くなった方には本当に申し訳ないのですが、なにか
今朝は特にさわやかな気分なのです。
それは逝かれた方の潔さとか、優しさががしみじみと
あらわれているように感じられたものです。








水仙

2006-01-14 21:30:49 | Weblog


 水仙の海へ向く花背く花  朱灯

越前水仙はきびしい日本海の荒波のしぶきを受ける
海岸の急斜面に栽培されていますが、それだけに温
暖な地域で育つ水仙にはない独特の香りがあります。

いわゆる改良されたラッパ水仙のような華やかさには
かないませんが、原種に近い素直な姿と花持ちが良い
ことで切花として人気があり、地元の人たちの暮らしを
ささえる特産物となっています。

ひとたび海が荒れると横なぎの潮風をまともに受けて
必死に咲いています。
花の向きがなかなか揃わず海の方へ向いて咲くもの
や、それに逆らい背いているように咲くものもあるの
です。

初日記

2006-01-12 22:14:41 | Weblog
 

 朔日は晴れと著して初日記   朱灯

連日雪の降り続いた年末でしたが、めずらしく元日は
晴れ間が出ておだやかなお正月となりました。
なんだか今年は良いことがありそうな予感です。

連日、雪、雪で始まった日記の冒頭もこの日は晴れと
書き込んで、いろいろあった一日のことを書きつづり
ました。

それが今年の第1日目であったということに、なぜか
嬉しさを感じたのです。
もっとも表日本に暮している人たちには、理解しにくい
ことかも知れませんが・・




太陽のない空

2006-01-10 21:37:09 | Weblog
 

 太陽の失せし日続く雪の国   朱灯

川端康成の「雪国」からはそんなイメージはありませんが
「ゆきぐに」という言葉には、なぜかおぞましい響きが感
じられてしかたがありません。

それは、そういう地域に住むものの僻みからくる思いかも
知れませんが、一たび「雪起こし」といわれる雷が鳴ると、
さ、いよいよか・・という構えの気持になります。

今年の冬は思いがけなく早くきて12月の半ばには、すで
に1メートル近くの雪が積ってしまいました。まさにあれ
よあれよという間の出来事でした。

その間一度も太陽が姿を見せませんでした。それは失せた
という表現がいちばんあてはまります。




初釜

2006-01-07 20:03:38 | Weblog


 末席にゐて初釜の滾り聞く   朱灯

茶の湯の心得はほとんどありませんが、テレビで
表千家家元のお手前を拝見して、ふと心に浮んだ
気持ちを詠んでみました。

「わび」とか「さび」の世界とは全く無縁で無粋な
者にもなぜか心をひきつけるものがあります。
あの静寂、所作の雰囲気からは何かが伝わります。

亭主(と言うそうですが)が、たたずまいを正して
茶をたてる所作にはいくつもの形があって、その一つ
ひとつへの心配りがピリピリと伝わってきます。

末席にいて湯のたぎる音を聞きながら、席に招かれた
光栄をしみじみ感じているのです。


花水仙

2006-01-04 21:14:45 | Weblog


 水仙の花背きあひつつ匂ふ   朱灯

福井県の県花である水仙は主に越前町の海岸に沿った
集落で栽培されています。
冬の日本海は荒れることが多く、きびしい荒波が立ち
人を寄せ付けないときがあります。

そんな環境の中で丈夫な水仙が育つのです。風の強い
日などは花茎が乱れあって、いじらしい程に耐えてい
ます。そんな中でとても強い香りを放つのも越前水仙
の特徴なのです。

まるで花同士が背きあって仲たがいをしているように
も見えますが、それは相手の花を気遣ってお互い傷つ
かないように避けあっているのかも知れません。





初湯

2006-01-03 21:04:05 | Weblog


 孫帰し安堵の妻の初湯かな  朱灯

正月もはや3ケ日がすぎてあっという間に終わって
しまいました。
毎年そうですが、孫たちが帰ってしまうと妻はホツと
してようやく安堵するのです。

どんなに忙しくても成長してゆく孫たちの振る舞い
をみて心の中は満足なのです。
どこの家庭もきっとおんなじなのではないでしょうか。

久しぶり風呂に浸り急に寂しくなった気持でゆっくり
くつろいでいるのです。

いつもの生活に戻るには、すこし時間がかかりますが
そんな繰り返しを楽しんでもいるようです。