北関東に50系客車を訪ねて(その4)からの続きです。
下館駅に到着したSL列車の編成は、ひとまず行き止まりの側線に入っていますが、真岡から回送列車を牽引してきたDE10は既に切り離されていました。
やがてホームに停車していた茂木行の普通列車が発車すると、SL列車をのりばに据え付けるための入れ替え作業が始まりました。
まずは駅の西側にある踏切を手動で作動させ、ポイントを側線側に切り替えてC12が操車掛の誘導によりゆっくりと3両の50系を引き出していきます。ポイントから外れたら今度は本線側に切り替え、推進運転でオハフ50を先頭にしずしずと列車がホームに入線してきました。
空の客車で重量がそんなにないためか、蒸機は若干空転気味です。
それにしても、このような蒸機の列車の場合、DLや電機のようにエンジンやブロワーの騒々しい音がしないので意外と停車中は静かなものでした(これが客車が12系だったら発電エンジンの音がするわけではありますが)。
列車が停止するとともに客車のドアが開き、客扱いが始まりました。
ほとんどのお客さんは列車先頭のC12のほうに集まって写真を撮るなどしていましたが、自分のほうは待ってましたとばかり早速50系客車の中へ突入しました(笑)
おおっ、これが50系の車内!(笑)
車内はなぜか減光されており、ちょっぴり薄暗いですが、まあこの車両は基本的に日中しか走らないので多少薄暗くてもそんなに問題ないでしょう。もちろん非冷房車ということで、天井には扇風機が並んでいます。ちなみに扇風機カバー中央には「真岡鐡道」と書かれたステッカーが貼られていました。
座席のモケットは青ではなく首都圏の205系などでよく見かける緑色ベースのもの。全体的な車内の見つけとしては同時代に設計されたキハ40系あたりに通ずる部分が多いですね。
最近のSLもおか号では地元特産のいちご(とちおとめ)とタイアップしたPR企画が行われており、そのためか車内にはイチゴの飾りやカラフルな風船がいたるところに取り付けられていました。まあ50系の車内はすっぴん状態だとどことなく殺風景な感が強そうなので、観光列車としてはこのようなちょっとした飾り付けがあったほうがむしろいいかもしれないかなぁと思います。
形態的にはほぼ原形というだけあって、車端部のロングシート部分もそのまま、吊り革も残っています。アルミ製のデッキ仕切り戸は国鉄の車両では珍しい(?)両開き式のもので、非常に軽く開閉できます。旧型客車(右下は生田緑地のスハ42です)と比べて拡幅された出入りドアのおかげもあって、出入り口付近の乗り降りのしやすさが向上した設計になっていることが分かりますね。
また自動ドアであるという点も安全性の向上に役立っています。
さて、車内はさすが客車だけあって停車中はほぼ無音。この時は蒸気暖房が入っていたため、暖房管の中を蒸気が通るシューシューいう音が少し聞こえるくらいでした。
床下から立ち上る蒸気暖房のスチーム。いかにも暖かそうですね。
こちらはオハフ50形の乗務員室とデッキ。ここの扇風機にはJNRマークがそのまま残っていました。乗務員室側のデッキはトイレがある関係で片開き戸で、そのトイレはデッキから押し戸を開けて中に入るというこれまたあまり見掛けない構造となっています。
客室内に臭気が入らないよう、またデッキ付近がロングシートのため「ご対面」しないように配慮がなされた設計なのでしょう。
ちなみにオハフ50の反対側車端部にある業務用室は物置として使用されていました。
これは方向幕設置準備工事がなされていた名残です。外から見ると方向幕窓部分は既に埋められてしまって外板と一体になっていますが、車内からはこのように方向幕窓のふたが残っています。
実際にこの準備工事が生かされて方向幕を装備した50系は確か1両もいなかったと思いますが…。
さて、本来の主役のはずのC12のほうは(笑)、自分が50系を観察しているうちに記念撮影をする人も少なくなったようで、楽に正面から撮ることができました。
もっとも、この日はそもそもの人数が観光客でホーム上がごったがえすというほどの人出ではありませんでしたが…。
C12のキャブ内部はいかにもメカという感じで、それでいて古いものが持つどことなく味のある雰囲気もあってなかなかいい感じです。よく見ると蒸機のブレーキ弁は機関士席の向かって右側についているのですね。
下はC12と50系の連結部ですが、蒸機の並形自動連結器と客車の密着小型自動連結器の大きさの違いが分かります。そういえば真岡鐡道のC12、C11には50系の自動ドアを作動させるために元空気だめの引き通し管(MR管)を装備しているそうです。蒸機の連結器横、白いコックがそれでしょうか?
ところで50系客車は国鉄から蒸気機関車がいなくなってから登場した車両ですが、何の因果か第3セクター鉄道に譲渡され、しかもそこで蒸機に牽引されることになろうとは、おそらくだれも思ってもみなかったことでしょう。
以前も書いたことですが、SLもおかの運転当初は「50系客車の動態保存」と揶揄されたものの、結果的に今となっては本当にその状態になってしまったのは何とも皮肉な話ですね。
さて、発車の時刻が近づいてきました。SLもおかに接続する水戸線の普通列車が到着すると何人か乗り換え客がありましたが、これもそんなに多くはありませんでした。そんなわけで全車自由席ではありますが楽にボックス席1区画を確保することができました。
そしてドアが閉まり汽笛の音とともにいよいよ発車、茂木まで50系にガタゴト揺られることとなりました。
下館駅に到着したSL列車の編成は、ひとまず行き止まりの側線に入っていますが、真岡から回送列車を牽引してきたDE10は既に切り離されていました。
やがてホームに停車していた茂木行の普通列車が発車すると、SL列車をのりばに据え付けるための入れ替え作業が始まりました。
まずは駅の西側にある踏切を手動で作動させ、ポイントを側線側に切り替えてC12が操車掛の誘導によりゆっくりと3両の50系を引き出していきます。ポイントから外れたら今度は本線側に切り替え、推進運転でオハフ50を先頭にしずしずと列車がホームに入線してきました。
空の客車で重量がそんなにないためか、蒸機は若干空転気味です。
それにしても、このような蒸機の列車の場合、DLや電機のようにエンジンやブロワーの騒々しい音がしないので意外と停車中は静かなものでした(これが客車が12系だったら発電エンジンの音がするわけではありますが)。
列車が停止するとともに客車のドアが開き、客扱いが始まりました。
ほとんどのお客さんは列車先頭のC12のほうに集まって写真を撮るなどしていましたが、自分のほうは待ってましたとばかり早速50系客車の中へ突入しました(笑)
おおっ、これが50系の車内!(笑)
車内はなぜか減光されており、ちょっぴり薄暗いですが、まあこの車両は基本的に日中しか走らないので多少薄暗くてもそんなに問題ないでしょう。もちろん非冷房車ということで、天井には扇風機が並んでいます。ちなみに扇風機カバー中央には「真岡鐡道」と書かれたステッカーが貼られていました。
座席のモケットは青ではなく首都圏の205系などでよく見かける緑色ベースのもの。全体的な車内の見つけとしては同時代に設計されたキハ40系あたりに通ずる部分が多いですね。
最近のSLもおか号では地元特産のいちご(とちおとめ)とタイアップしたPR企画が行われており、そのためか車内にはイチゴの飾りやカラフルな風船がいたるところに取り付けられていました。まあ50系の車内はすっぴん状態だとどことなく殺風景な感が強そうなので、観光列車としてはこのようなちょっとした飾り付けがあったほうがむしろいいかもしれないかなぁと思います。
形態的にはほぼ原形というだけあって、車端部のロングシート部分もそのまま、吊り革も残っています。アルミ製のデッキ仕切り戸は国鉄の車両では珍しい(?)両開き式のもので、非常に軽く開閉できます。旧型客車(右下は生田緑地のスハ42です)と比べて拡幅された出入りドアのおかげもあって、出入り口付近の乗り降りのしやすさが向上した設計になっていることが分かりますね。
また自動ドアであるという点も安全性の向上に役立っています。
さて、車内はさすが客車だけあって停車中はほぼ無音。この時は蒸気暖房が入っていたため、暖房管の中を蒸気が通るシューシューいう音が少し聞こえるくらいでした。
床下から立ち上る蒸気暖房のスチーム。いかにも暖かそうですね。
こちらはオハフ50形の乗務員室とデッキ。ここの扇風機にはJNRマークがそのまま残っていました。乗務員室側のデッキはトイレがある関係で片開き戸で、そのトイレはデッキから押し戸を開けて中に入るというこれまたあまり見掛けない構造となっています。
客室内に臭気が入らないよう、またデッキ付近がロングシートのため「ご対面」しないように配慮がなされた設計なのでしょう。
ちなみにオハフ50の反対側車端部にある業務用室は物置として使用されていました。
これは方向幕設置準備工事がなされていた名残です。外から見ると方向幕窓部分は既に埋められてしまって外板と一体になっていますが、車内からはこのように方向幕窓のふたが残っています。
実際にこの準備工事が生かされて方向幕を装備した50系は確か1両もいなかったと思いますが…。
さて、本来の主役のはずのC12のほうは(笑)、自分が50系を観察しているうちに記念撮影をする人も少なくなったようで、楽に正面から撮ることができました。
もっとも、この日はそもそもの人数が観光客でホーム上がごったがえすというほどの人出ではありませんでしたが…。
C12のキャブ内部はいかにもメカという感じで、それでいて古いものが持つどことなく味のある雰囲気もあってなかなかいい感じです。よく見ると蒸機のブレーキ弁は機関士席の向かって右側についているのですね。
下はC12と50系の連結部ですが、蒸機の並形自動連結器と客車の密着小型自動連結器の大きさの違いが分かります。そういえば真岡鐡道のC12、C11には50系の自動ドアを作動させるために元空気だめの引き通し管(MR管)を装備しているそうです。蒸機の連結器横、白いコックがそれでしょうか?
ところで50系客車は国鉄から蒸気機関車がいなくなってから登場した車両ですが、何の因果か第3セクター鉄道に譲渡され、しかもそこで蒸機に牽引されることになろうとは、おそらくだれも思ってもみなかったことでしょう。
以前も書いたことですが、SLもおかの運転当初は「50系客車の動態保存」と揶揄されたものの、結果的に今となっては本当にその状態になってしまったのは何とも皮肉な話ですね。
さて、発車の時刻が近づいてきました。SLもおかに接続する水戸線の普通列車が到着すると何人か乗り換え客がありましたが、これもそんなに多くはありませんでした。そんなわけで全車自由席ではありますが楽にボックス席1区画を確保することができました。
そしてドアが閉まり汽笛の音とともにいよいよ発車、茂木まで50系にガタゴト揺られることとなりました。
下館→茂木 6001 オハ50 22
以下、その6へ続く…