いなば路快速の日記帳

鉄道ファンの管理人が日々の出来事・雑感などを綴っていきます。

8/7-8 夏休み旅行3・ありがとうブルートレイン

2009年09月04日 | ぐだぐだ旅行記

8/7「近郊型国電ざんまい」編からの続き

関門トンネルと交直切替セクションを越えて九州に上陸。
門司駅で乗り換えて門司港駅に向かい、そこで大学のK先輩、同期のA君と合流しました。
時刻は20時半近く、こんな時間に門司港駅に来たのはただ単に夜景を楽しむため・・・、ではなく、JR九州が企画したツアー「ありがとうブルートレイン・寝台列車で行く鹿児島の旅」に参加するためでした。
このツアー、応募・抽選の時点で非常に倍率が高かったようですが、幸運にもK先輩が応募したはがきが当選。そのはがきにK先輩と一緒に名前を書いていたA君と自分も参加することとなったのでした。

さて、列車が来るまでの待ち時間の間、参加受付を済ませたり買出しを済ませたりして暇をつぶします。
そして21時14分、列車が門司方からゆっくりと入線してきました。
ホームの上は人が殺到すると思いきや意外と少なく、ツアー参加者がほとんどといった感じでした。実はこのツアーは夏休み中に3回行われるので、撮影機会が多い分人が分散しているのかもしれません。

撮影もそこそこに乗車。ちなみに方向幕は「特急富士 西鹿児島 日豊線経由」となっていて、この期に及んで西鹿児島行きの幕を見られて感激でした。
今夜の宿はED76形電気機関車の次位、6号車のスハネフ15-20。ちょっと大げさですが、生まれて初めて乗る14系15形です。夜行寝台として乗るのはたぶん後にも先にもこれ限りでしょう。

寝台の様子。ぱっと見て24系25形と変わりませんが、床下からかすかに聞こえるエンジン音がこの車両が14系15形だと意識させてくれます。窓辺の小テーブルにはちゃんと「センヌキ」が残っていました。

そして21時35分、汽笛一声、ED76の釣り掛け音も高らかにリバイバルブルートレイン「富士」号は出発しました。出発してしばらくするとハイケンスのセレナーデのチャイムが流れて車内放送が始まります。最近はこのメロディーを聴くことも少なくなりました。驚いたことに、車掌さんが行き先を告げる際、本来の「鹿児島中央」ではなく「西鹿児島」行きと放送してくれました。今となっては存在しない駅名とはいえ、やはり「西鹿児島」のほうが旅情を感じさせてくれます。

小倉から日豊本線に入り、2か所ほど客扱い停車した後は夜の線路をひた走ります。山口から来たという向かいの寝台の人と仲良くなり、しばらく話していると時刻は23時を回り、消灯となりました。せっかくの寝台列車、いつまで起きていても仕方がないので、ここで寝ることとします。

日付が変わって午前1時過ぎ、ふっと眼が覚めると列車は停まっていました。窓の外を見ると大分駅で、時間調整のために運転停車しているようです。何せこの列車、門司港を前夜の21時35分に出発して鹿児島中央に翌朝の10時半ごろ(所要約13時間!)に到着するダイヤとなっているので随所で時間調整の停車をするようになっているのでした。

そうして起きてからしばらくしてまた眼を閉じましたが、うまく寝付けません。不思議な話で、ゆりかごのような感じと言ったら変でしょうか、こういうときは列車が走っていて適度に揺れがあるほうがよく寝付けるようです。
深夜のホームにはこの列車を撮影しに来たのか、数人の鉄道ファンが歩いていました。夜遅いのにお疲れ様といった感じです。ホームの発車案内には「団体専用 鹿児島中央 2:23」と表示されていました。また、列車の中にも同じように眠れないのか、はたまた寝ないのか、眠そうにカメラやらパソコンやらを抱えた人がうろついていました。

そして時間通り2時23分、軽い衝動とともに列車はまた動きだしました。満月に照らされた流れゆく外の夜景を眺めつつ、自分もまたうとうとと眠りにつきました。

次に起きた時には、もう外は明るくなっていてちょうど朝日が昇るころでした。

しかしながら、まだ時刻は5時前後、とりあえずあまり音をたてないようにしばらく寝台に寝転がっていました。
その後だんだんと他の人も起きだしてきたので、顔を洗ったり小声で話をしたりしていましたが、気がつくと宮崎に停車。ここで朝食を積み込みます。
ホームの上では駅長さんらしき人たちが手を振って見送ってくれていました。
南宮崎で485系や719系の姿を見やりつつ、さらに日豊線を南下。
日豊線の宮崎以南にED76の牽引する列車が入るのはいつ頃ぶりなのでしょうか。ひょっとすると団臨で入ったことがあるかもしれませんが、急行日南以来でしょうか。寝台特急となるともう25年以上ぶりかもしれません。(この列車も正確には団臨ですが)

単線区間の臨時列車らしく、にわかに行き違いの停車が多くなってきました。しかも停車時間も結構長めで、ときには普通列車に追い抜かされることもありました。
いい加減少し退屈になって来たころ、朝食の時間となりました。この日の朝食は宮崎の郷土料理ということで、「冷や汁」と「チキン南蛮」が出されました。

というわけで、おいしく頂きました。

その後も列車は走ったり停まったりをくりかえしながら、気がつけば鹿児島県に突入。桜島も遠くに見えてきました。この頃になると沿線にも人が多くなり、カメラマンだけでなく沿線住民の人々も線路沿いに立って手を振る姿も受けられました。

この日は朝から天気が不安定な一日で、曇って雨が降って来たかと思えば快晴になったりと、まさに気まぐれ。桜島がよく見える錦江湾沿いを走るころには残念ながら曇ってきてしまいました。


さて、視界の桜島の手前に建物が増えてくるころには終点・西鹿児島こと鹿児島中央はもうすぐ。
鹿児島駅で貨物用のED76や留置されている475・457系を見やり、そしてわが「富士」号は約13時間の道のりを走り切り、ついに終着駅に到着しました。


列車が止まりドアが開くとまたすぐに撮影大会。それでもやはり人はあまり多くないといった印象でした。
 
写真を撮っていると、はるばると鹿児島にやって来たんだな~という感慨が湧いてきます。
一通り撮影し終えたころ、回送となったブルートレインは発車。
スハネフの床下からの冷却風で地面に積っていた火山灰がもうもうと巻き上げられ、その煙幕の中にテールライトは走り去っていきました・・・

以下、8月8日へ続く・・・