ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

感情の広がり

2012-08-03 | 日記
人間と言うものは感情が許す範囲内でしか理性的になれない様です。

理性的といってみても結局は感情の大きさが関係するということでしょうか。


心理学でいう自己防衛のための「合理化」反応。

全てを自分の都合のよいように認識するということですね。

心の平安や整合性を保つためには通常こうしないと我々はやっていけません。


但し残念な事に「自分に都合よく」の部分ですが、本当に自分の利益になっているか
どうかはあやしいところがありますね。

どういうことかといいますと、ここでいう「自分」とは単にそれまで人生をすごしてきた
経験の寄せ集めであったりします。

あるいはその時々の思い込みやらが合わさって、いつのまにやら確かな存在感を
伴った「自分」になっているようです。


そしてこの見かけ上は存在感のある「自分」をあまり信用しすぎると
ろくな事はありません。

過去の経験のみで毎日新しくなる周りの状況に対応することになるからです。

それでときどきは「自分にリセットをかける」必要がでてきます。


このリセットの方法のひとつがラティハン。

ゼロベース、生まれた時の状態にもどっての再スタートですね。

さあ、そうすると今まで当然と思っていたものがそうでもなくなり、固執していたものが
少しばかりばかばかしくなったりします。

これは言葉をかえると「感情がひろがった」ということにもなりそうですね。

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