ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

「説明する」ということ

2012-07-27 | 日記
バパぐらいになれば相手の内部にあった言葉を話す事で相手の内部に理解を
作り出すということもできるでしょう。

でも通常、我々が相手に向かって投げている言葉は相手の内部とは全く別のもの。

これでは相手の内部に届く訳がありません。

それでも黙っていては何も伝わらないからお話をしなくてはいけない。

何という矛盾。

何という無理。


我々にとっては理解と言うものは体験を通じてしかやってこない様です。

なかなか前もっての理解というのは難しいですね。


本来の理解は体験によるもの、そして運が良ければラティハンが運んできてくれるもの。

そういうものを待つしかなく、人をして強制的に理解させるということはほとんど可能性が
ないようです。

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