ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

ラティハンは気長な道

2011-11-11 | 日記
ラティハンの発展するスピードは、受けているその人の状況に自動的にあったものに
なっているようだ。

自分で「やる」事が出来ないラティハンというのは、進歩を強制できないという事である。

それで現代社会に適応した、忙しい心、進歩したがりの心にはとても遅く感じられる。


ちょうど植物の種をまいた時の様です。

土を耕して、水をやって、雑草をとって、あとはお日様まかせ。

そのしんぼうができるかどうかということですね。


植物なら毎年のことだから、様子がわかっている。

ラティハンは、生まれて初めてのことだから、様子がわからない。

それで心が騒ぐ。

頭が働く。

不安になる。

あせる。

そんなふうな「ごたごたした心」では、またうまくラティハンを受けれない。

これはもう悪循環ですね。


こんなときはどこかで思い切らないと仕方がない。

まあ早い話が、諦めるのですわ。


なにを諦める?

進歩したり、うまく受けたいという「欲望」を諦めるのですね。

それでもって、「立ちダルマさんでもしようかい。」ぐらいの気持ちでラティハンにのぞむ。

まあ、それができりゃそのうちにまた歯車が回りだします。

ラティハンは気長な道ですから。

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