ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

エンタプライズ論

2014-05-12 | 日記
バパが「ラティハンを広める為に」とある時からエンタプライズを推奨しはじめました。

大きなエンタプライズ、あるいは多くのエンタプライズをラティハンを受けている人達が実行できれば「とても良い宣伝になる」ということだったのでしょうか。

そうですね、トヨタとかソニーとかいう大きな企業はいつも目立ちますからね。

あるいは「7&i」のように街中のどこにでもある店もめだちます。

そんな企業群を持てれば確かに「人々の注目を集める事」が可能でしょう。


でもまあ企業というのは「目立つ為に始めるもの」ではありませんね。

人が生きていく為に行うのが仕事であります。

そうして、仕事をする上で企業を始める必要性を持った人が始めるのが「エンタプライズ」でしょうか。


そういうようにしてしか企業ははじまりません。

トヨタもソニーも「7&i」もそうやって始まりました。

アップルもソフトバンクもそうであります。

そうしてそれが世の中というものであります。


まあそういう訳で「人々の注目をひく為のエンタプライズ」というのはそもそも少しピンボケでありました。

それでも立派に企業群を経営できていれば、それはそれで経済的効果は大きかったでしょうか。

でも「ラティハンは経営者になる為の技術」ではありませんから、それもなかなか難しかったのであります。<--リンク


という訳で「エンタプライズ」というのは「ラティハンを広める」という目的にはミスマッチになっている様です。

さてそうすると、どうやってラティハンを広めていけばいいのでしょう?

「大きな看板」はどうやら作れそうにもありませんね。

そうしたら「小さな看板を出す」しか手はありません。

わかりやすい内容を人々が普通に使っている一般的なコトバを使って説明する事でしょうか。

そうやって状況は結局「当たり前の事」に戻るのでありました。


PS
2代目といえば熱心なバパ主義者であります。

「バパのトークには誤りがない」と。

さてそういう2代目でありましたが、バパがトークで熱心に我々に勧められた「エンタプライズ」については黙して語りませんね。

そうしてご自分への質問タイムの時でさえ「質問は霊的なものに関してのみですよ」とおっしゃいます。

今までよくわかりませんでしたが、要するにこれは「エンタプライズについては質問なさらないように」と暗に言っておられる訳ですね。

そして、それはまるで「黒歴史」を扱うかの様であります。


話はかわって世の中の実業家諸氏。

自分の命を事業にかけておられます。

まあ当然でありますね。

そうでなければ「実業家、起業家」などという名称は使えません。

そうして何度失敗しようが成功するまで「あきらめる」ということを知りません。

さて、このような実業家諸君と競争になるのがエンタプライズの本質であります。

よほどの覚悟がなければ「手を出さないのが身の為」というところでありましょうか。


PS
さてバパがご自分の国で行われたエンプラは見事に形になりました。

さあそれでそのエンプラ成功の効果としてバパの国のラティハン人口が50%増えた、、、というような話は寡聞にして聞いたことがありません。

でも会員数の変化を見れば「ラティハンを広めるにはエンプラが有効である」というバパモデルの検証ができますよね。

それで会員数の変化についてどなたかご存知でしたら是非ともご教授願いたいものだと思っております。


PS
エジソンは「99%の努力の上の1%のひらめきに意味がある」と言ったとか言わなかったとか。

いずれにせよ1%のひらめきがただ単にそこにあるだけでは何事も現実にはなりませんね。

99%の「普通の努力」があって、その上での「ラティハンによる1%のひらめき」が加わってこそよい仕事が現実のものになると思われます。


ところでバパモデルによれば「ラティハンを極めた人は何でもできる様になる」というものでした。

つまり「ラティハンは普通の努力の代わりになれる」という主張ですね。

でも、今のところはなかなかそれを実現できた方は現れていない様であります。

従って「バパモデルはまだ理論上の存在」ということになりますね。


こうして3次元の物質世界では、「通常の努力による対価の支払い」の方が「希望する事を実現する」には確実な方法の様であります。

体力が欲しければ、体力トレーニングをする。

知力が欲しければ、勉強する。

お金が必要なら仕事をする。

当然のことであります。

そうして、それ以外の方法などどこにも無い様であります。

PS
バパは「ラティハンを受けているあなた方は、意図すれば何にでもなれる」と言いました。

さて、この時意図する主体は何でありましょうか?

それが大問題であります。

ナフスに操られた、欲望にまみれたハート、マインドの願いが何の努力もなしに達成されるとしたら、それは単なる「現世利益宗教」と何ら変わる所はありません。<--リンク

さあそうするとバパが言うところの「あなた」とは誰の事でありましょうか?

それが問題であり、そうしてまたこの事の答えでもある様に思われます。

PS
バパのエンタプライズや社会事業のトークを読んでいると、どうしてもナフダトール・ウラマ(The Nahdlatul Ulama)の事が浮んできます。

そうして、バパの描いた協会の最終的な到達目標をNUに見てしまうのは、少々複雑な思いがするのでありました。

ナフダトール・ウラマ(The Nahdlatul Ulama)<--リンク

PS
バパと言えば「受ける事」については人類随一でありましょう。

そうして「無理であろう」とバパでさえ考えた「世界旅行」は実現してしまいました。

他方でバパが受けた大きな事業、銀行の創設やらビルの建設やらは一時期実現はしたものの、それが継続的に運営されるという事にはいたりませんでした。


大きな事業には多くの人がかかわる事になります。

そうしてそれらの人をまとめていく、組織マネージメントが必然的に必要になってきます。

この点が「世界旅行」の場合とは基本的に異なってきます。

世界旅行はバパが全てをコントロールする事が可能でありました。

問題が発生すれば、それはすぐにバパによって対処が可能なのであります。

しかし大きな事業の場合はそのようにはいきません。

すべて、人を介して間接的にしか影響力を行使できないのであります。

その結果、「バパの受けたこと」に対して実行段階で不可避的に不確定な要素が入り込む事になりました。

こうしてバパが受けた様には現実は推移しなかったのであります。


「大きな事業を受ける」ということは神秘的な事であります。

そうして、「受けた」という内容が正しいものであったとしても、それだけでは大きな事業が現実世界で必ず成功するという保証にはならない様です。

「受けたこと」というのは、そういう意味では「魔法の杖」ではないのです。

その「受けたこと」を実現させる為には、通常の世間のルールに従ってこの3次元世界とのすり合わせが適切に行われる必要があるのです。

それらを無視して「これは受けたことだから必ず実現する」という思い込みは単なるファンタジーでしかありません。

それがバパが受けた大きな事業の結末を顧みた時にそこから我々が理解すべき教訓なのであろうと思われます。

追記
「受ける」ということに関連して、「未来は決められているのか?」<--リンク

PS
・農地改革による日本仏教の衰退<--リンク

ここで展開されている議論は目新しいものであり、納得のいくものです。

しかしながら、バパは「それでよし」とは言わないでしょう。

あなた働く人、私 精神生活を送る人。

それは昔のやり方、今はそれではだめだ、と随所で主張されています。

そして、それを可能にするものがラティハンなのであります。

まあしかし、それはバパが言うほどには楽ではなく、我々凡夫にとってはなかなかに難しい道ではあった、と言うのが実際の所なのではありましたが、、、。

さて、そうかといって「歩くことが出来ないほど険しい道」と言う訳でもない様です。

PS
バパが会員に勧めた「エンタープライズ」。

これを「単なるお金儲け」と考えると判断を誤ります。

どうやらそうではなさそうです。

何かを作り出す事。

それは会員が「単なるラティハンの消費者であってはならない」という事の別の表現の様です。

この世界に何を作り出すのか?

どのような貢献をしてゆくのか?

そうやってやった事が「経済的なメリットを生む」という結果になればそれはそれで良い事ではありますが、どうもそれは二の次の話でありましょう。

そうではなくて「ラティハンの結果として、成果として何がそこに出てくるのか」。

それがどうやらバパが主張した事の本質である様に思えてきました。

PS
いまだに「とにかくお金を作り出せばエンタプライズである」という主張を聞きます。

まあそうでありますね。

それが第一歩でありましょう。

少なくともそれが「主体的に事業を始める」と言う事の始まりであれば、「NO」と言う必要はない様に思われます。


PS
バパは「受けた事を実行に移したもの」と思われます。

そうしますとそのようなメッセージをバパに送った方がおられる、そう言う事になります。

しかしながら、その方はどうやらあまり「人の世の成り立ちについて」は詳しくはなく、単に「必要性であるからこれを作る様に」としか指示をされなかった模様です。

しかし、そのメッセージを受け取った方は「あの方がそう言われるのであれば、成功間違いなし」などという「誤解をしてしまった」可能性が大でありました。

世の中には世の中の決まり事、法則があります。

それを無視しては何事も成るものではない、高い勉強代を払って得た教訓はそういう事でありました。(19年6月)

追伸
全てを理解している存在と通信回線がつながった、と自負している方がいるとします。

さてその方は仲間の方に相談をするでしょうか?

仲間の知恵をかりるでしょうか?

いや、そんな事はしないでありましょう。

全知の方、完全である、とその方が認めた方に相談するでしょうね。

そうして、そのような事の結果が、アフアルが、リアリティーが我々の目の前にある、二代目の主張はそう言う事の主張でもあります。


PS
文字サイズはページ右上で変更できます。

レビューポイントはこちらです。<--リンク

ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク

本記事に対してのコメント、ご感想などは
こちらまでお願いします。
<--リンク
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 世界の階層性 | トップ | ラティハンとは何か »

日記」カテゴリの最新記事