ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

バパの魂(jiwa)あるいはロホの概念・5 人間の魂(人間力)-1/

2017-08-02 | 日記
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人間の魂(roh-djasmani)の概念に目を向けると、バパは人間の物理的な身体を参照しているということがわかります。

これまでの議論では、野菜や動物の魂は、それらを消費すること(食べる事)によって人間の内的生命(or内部感覚)に影響を与えることが分かりました。

人間が人の肉体を食べることはめったにないので、物理的な身体が人間に影響を与えることがどうしてできるのかが問題になります。


バパによると、人間の魂(ロホ・ジャスマニ)の影響は、男と女の性的関係(性交)から生じてきます。

その影響は、主に彼らの関係の正当性に左右されます。

この点で彼の教えを明確にするために、彼は性的関係の様々な結果(否定的でも肯定的でも)を詳述します。

すなわちそれは結婚したカップルと未婚の人との間の影響、そして彼ら自身の魂や子供、そして彼らが住んでいる社会へのそれぞれの影響です。

以下に続く内容は、彼のロホ・ジャスマニの概念から選択された引用です。

人間の身体的な魂が相互作用する方法は、食べたり食べられたりすることの結果ではなく、霊的または性的な結合の結果である。」(注1

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「これらの力が人間自身に及ぼす影響は、実際には最も強力ですが、いずれにしても、それらは人生の必需品であり、脇に置くことはできません。」

「身体的な魂の影響によって人の完全な人生はますます完全になり、自分と同じような他の存在を生み出すことができるようになります。」

「性交の時には、男性の本質と女性の本質という2つの身体的な魂の間に相互作用があります。

その結果として、2人のうちのどちらが強く、どちらが弱いかが明らかになります。」

「両者が同じような純度(ジャスマニ レベル)であれば、性交を支配する魂(人間力)は男性起源のものです。」(注2

「夫に霊的な事柄の理解がなく、妻が妊娠している、という例を取ることもできます。

時折、彼は他の女性と性的関係を持つのが好きという点で間違って行動するかもしれません。

その理由は、妊娠している女性は通常、常に(性的な)満足感をもとめる夫の欲望に従うということに強い嫌悪感を感じるからです。

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それゆえ、情熱を制御することができないかもしれない彼女の夫は、他の女性と性的関係を持つように強制されたと感じてしまいます。」

「最終的に彼は別の女性と性的関係を持つことによって自分の内なる内容の悪化(内部感覚の悪化)を引き起こしてしまう為に、後悔することになります。

もし彼が知っていれば、彼の妻は自分のためにのみ彼を拒否したのではなかったのです!

まだ子宮内にいる子供の意志が、自分がまだ子宮内にいる間は幸福の状態を繁栄し、楽しむことができるように、実際に両親に忍耐力を与え、状況を受け入れるように警告していたのでした。」

「そのあとで彼が妊娠している妻と性的関係を持つことを望むなら、さらに状況は深刻です。

このような関係は、妻と子供に、彼自身と同じような苦しみを引き起こす可能性があり、すべてこのことに関与していない彼の妻と子供は、彼が犯した誤りによって非常に深刻な影響を受けることになります。」

「と同時にそのような出来事が決して妻によって望まれることはないということは、記憶されなければなりません。

この種の行為は、彼の妻とその子供に害をおよぼすので、優れた性格の後取りを得たいというすべての希望が消えていることは明らかな事です。」
・・・・・
ここまで、英文はこちらを参照願います。<--リンク

注1 人間の身体的な魂(ロホ ジャスマニ)
本文では「人間の身体的な魂(human physical soul)」、と表現されていますが、魂が物理的な形状を持つ、と言う意味ではありません。

そうして通常我々がとらえているSoulの概念ではSoulはその人の人格の要素であり、個性であり、アイデンティティーであり、我々が我々の人生の主人公であると認識しているものです。

しかしここで述べられているHuman Soul(人間力)というものはそのような人格的な要素ではなく、バパによれば人の人体に固有のある種の霊的な生命力の事であります。

しかしながらそのような生命力は人の中で本来のその人のSoul(Jiwa)の代わりに主人公の座に居座ってしまう、という事が出来てしまう力でもあり、その意味でSoulといってもあながち間違いではないのです。

そうしてこの「本来の我々のJiwa(魂)を押しのけて代わりにその人の主人公の座に居座りその人をあやつる能力」というのは、物質力から始まり人間力までに至る、どの段階の生命力であっても可能である、というのがバパの世界観、バパの主張する所です。


このあたりの状況の説明の仕方はバパに固有なもので、そうしてそこにはスーフィズムの影響があるように見受けられます。

井筒俊彦著「イスラーム哲学の原像」によれば、「・・・ただし、スーフィー自身はこの意識の5つの層、5つの段階、段層的な領域を、5つの別々に独立して存在する魂であるかのごとくに語ります。

つまり、言語的表現としては、5つの違った魂があることになります。」(p55)

ここで井筒さんは「我々が通常使っている心理学的な表現では「意識のレベルの事」で、しかもそれが「階層的」になっていてなおかつ通常は意識下にあって意識的には認識できない意識構造、それをとらえて「異なる魂がそこに存在る」かのごとくにスーフィーは語る」と言っているのであります。

そうしてまさにバパが主張している、「物質力から人間力にいたる4つの魂(Soul)はそのような意味合いで語られている」と理解する事も可能なのです。

それに加えてバパは「これらの魂が人の内部では力をもつものであり、思考、欲望、意思、感情、意識などの心の働きはこれらの魂によってコントロール、あるいは支配されている」と主張します。

その為に「この4つの魂のなかの一つが「主人公の座」に収まっている時には、その人の考え方、感じ方、欲望、動機、衝動、意識などはその魂のレベルに相応した広がりしか持ち得ない」と言われます。

従ってこの事が「どれほどその本人が意識的に内省してみても自分自身が現在どの魂によって支配されているのか、認識する事はできない」というバパの結論につながるのであります。<--リンク

そのような状況にある時に人間は「これはあまり好ましい事ではない。」と理性では分かっていても実際には衝動に、あるいは欲望に負けて「好ましくない行動をしてしまう」という事になるとバパは説明します。


さてそうではありますが、通常は我々は「人間と言うものはそうしたものだ」と考えているのであります。

そういう訳で、「ジャスマニ レベルが「人間段階」であるならば、それでいいのでは?」という質問が出て来そうです。

それに対してバパは「いやいや、ジャスマニを超えて本来の人間の段階であるロハ二まで行くのがラティハンの道ですよ」と言うのであります。

そのレベルになりますれば、「主人公の座」にはその人本来の魂(Jiwa)が座り、それ以外の4つの魂は主人の言う事をよく聞き、その言いつけに従うのです。

つまり「衝動的に、あるいは欲望に負けて人間らしからぬ行動をとる」という事は決して起こらないのであります。

注2 ジャスマニ レベル
「人間の中には常に4つのナフスが存在している」、というのがバパのそうしてジャワでの基本的な人間観になります。

それに加えて、バパの主張する所によれば「物質力から人間力に至る4つの諸力が内部感覚の中を流れることにより4つのナフスが発生する(7,20, 1957 - Bapak)(11,26, 1972 - Bapak)」のであります。<--リンク

従いまして、どのような人であれ人体を所有している状況では基本的に4つの諸力を所有し、その結果として4つのナフスを所有することになっています。

さて、その4つの諸力と並行して「我々本来の魂(Jiwa)が存在している」というのがバパの主張です。

そうして理想的には「この本来の我々のJiwa」の下で4つの諸力が働き、4つのナフスを使いこなすのが「人のあるべき姿」となります。

そのような人はすでにジャスマニ レベルをこえてロハ二 レベルへの道を歩いていると言えましょう。


さて、ジャスマニ レベルの説明です。

主にその人の内部で働いている力がジャスマニである、その人の身体を満たしている主要な力が物質力ではなく、植物力でもなく動物力でもなく人間力である人の事になります。

つまりその人の主人公の座に座っているのが人間力(ロホ ジャスマニ)である人という事です。

そうして、「そのような人はまだ4つの諸力を使いこなす、という段階にまでは到達していませんが、その段階へのスタートラインには立てている」という事になります。

PS
バパによれば、「物質力が主人公の座についている時は、その人はナフス アマラ(nafsu amarah)の影響を受ける」と言います。

ナフス アマラ(nafsu amarah)の内容詳細はこちらを参照願います。<--リンク


さてジャワにはもともと「4人兄弟の教え」があります。
(Cipta Tunggal 第16節を参照ねがいます。<--リンク)
(上記リンクが不調の場合はこちらからどうぞ。<--リンク)

「全ての人は生まれてくる時に4人の目には見えない霊的な兄弟に付き添われて生まれてくる」というものです。

そうしてどうやらバパはこの言い伝えと4つの魂、4つの諸力(物質力、植物力、動物力、人間力)を関連させて捉えておられる様です。

そういう訳で、我々の内部で5つの魂が順次入れ替わりながら主人公の座についても、それは「一卵性の5人兄弟(4人兄弟+本人)」でありますから、外観(?)からはほとんど見分けがつかないのであります。<--リンク

そうして(8,7,1959 OSL)トークにも「一卵性の5人兄弟(4人兄弟+本人)」の記述があります。

(8,7,1959 OSL)バパ トークより
「そしてスクマ(Sukma)は、この粗い肉体の精妙体です。
実際には、精妙体は一つだけでなく五つあります。
ですから(ジャワでは)5人の兄弟について話すのです。
第一は黒、第二は赤、第三は黄、第四は白、第五は褐色です。」

以下は「4人兄弟の教え」についての、もう一つの資料です。ご参考までに。
「4人兄弟の教え」<--リンク

PS
上記本文より

「性交の時には、男性の本質と女性の本質という2つの身体的な魂の間に相互作用があります。

その結果として、2人のうちのどちらが強く、どちらが弱いかが明らかになります。」

「両者が同じような純度(ジャスマニ レベル)であれば、性交を支配する魂(人間力)は男性起源のものです。」(注2


この部分の記述は子作りの行為の時に働く人間力の作用の説明になっています。

そして夫婦が二人ともジャスマニ レベルであれば、「性交の結果はその二人の間に確実なきずなを、内部のつながり、あるいは魂のつながりを作り出し、もはや二人は一つの魂を共有する、とまで言われる状況になる」とされています。

その際に妻がその両親から受け継いだ物質力から人間力に至るひとそろいの諸力のパッケージは両親に戻り、かわりに夫からの力のパッケージを受け取ることになる、というのがバパの説明です。(スシラ ブディ ダルマより)

これは「基本的に生命力の流れる方向が男性から女性である、という事実によっている」というようにバパは言います。

このことは「性交により子供がさずかる場合」にも同様であり、つまりは「子供の魂(Jiwa)は夫に受けられてから妻に伝えられる」とスシラ ブディ ダルマの中では説明されています。
(追記:子供の魂がいつ、どこに入るのか、、、につきましてはトークには別の状況の記述もありますので、ページを改めてレビューしたいと思います。)<--リンク

この件に関して、参考までにネット上での情報です。
子供の魂(Jiwa)は夫に受けられてから妻に伝えられる」<--リンク


さて、夫婦が両方ともにジャスマニ レベルである、ということは現代ではとても稀有な事になっていると思われます。

「両者が共にジャスマ二 レベルである」という条件を残念ながら満たせない場合は、上記のような状況には至らず、夫婦は単に「喜びの行為で満足する」という状況になる模様です。

その場合に人間力の作用により基本的に起こる事は「相対的に上位のレベルにある方の内的な状況は引き下げられ、かわりに下位にある方が引き上げられる」という事になる様です。

そうして、「一つの魂を共有する」という所までのきずな、一体感はそこでは生まれない事になります。


さて、「男性から女性に生命力が流れる、というのは、男尊女卑の考え方ではないのか?」という疑問が出てきます。

1950年代でのジャワでの常識は多分にそのような傾向を持っていた事は事実でありましょう。(ジャワの家父長制度)

そういうわけで、上記の説明が「そのような時代の社会の伝統や常識に影響されたものである」と理解するのか、あるいは「それが生命の真実である」と理解するのかは読者の判断におまかせしたいと思います。

追記(2018年9月)
バパの”人間の種( human seed:biji manusia)と誕生論”によれば、どうやらジワが子供に宿る状況はバパの主張の様な「男性優位論」は成立していない様であります。<--リンク

そうなりますと、クジワアン(霊的な領域)の事については男女は平等である、ととらえておく事が現状では妥当の様に思われます。

さてその結果はといいますと、バパが初期に主張していた様な「女性の場合はクジワアン(霊的な領域)の進歩についてはパートナーである男性にその責任がある」というような主張は修正される必要がある、という事になります。

つまり「人間がロハ二レベルに到達し、天国に行くとしたならば、その責任は男女をとわず、その人個人に属する」という事であります。

PS
多少ともこう言う世界の本などを読んで来たものにとって、「子作りの行為」、あるいは「子供そのもの」に言及する「霊的な教え」というのはかなりめずらしい部類のものに感じられます。
:こう言う世界:光明とか悟りとか、魂の救済とか神的合一とか言う世界)

しいていうならば「性行為」についての記述、そうしてそれが「超越しているもの、超越している状況とのつながりの窓になる」という霊的な教えが他にはない、と言う訳ではありません。

しかしながらその論点が「よい子供を得ること、ひいてはそれが社会の為になる」などど主張している霊的書物は今までは知りませんでした。

そうしてそのめずらしい主張を展開しているのがスシラ ブディ ダルマの人間力の章なのであります。


ところでその背景を見てみますと、ジャワの伝統的な教え、考え方の中に同じような主張を見つけることができます。

たとえば「それはGumelaring Jagad(宇宙の重層性)の翻訳です」の第44節を参照してみてください。<--リンク
(上記リンクが不調の場合はこちらからどうぞ。<--リンク)

そこには「いかにして良い子供を得たらよいか」という方法が書いてあります。


あるいは「ケジャウエンKejawen、ジャワの伝統的な精神的な教え」を参照してみてください。<--リンク
(上記リンクが不調の場合はこちらからどうぞ。<--リンク)

そこでは
「自然界では、ジャワ人は自然主義的伝統と儀式ではっきりと示されているように、環境保護主義者で自然保護者です。
調和のとれた生活は、社会の人々の調和のとれた関係:人間と宇宙の関係、そして個人と神の調和のとれた関係です。」
と言うように主張しています。

こうしてジャワにおいては「人間社会は調和して運営されなくてはならない」、そうしてその基礎となるのは「よい性格の持ち主であるよい人間の存在である」というように伝統的に考えられているのであります。


PS
「バパの魂(jiwa)あるいはロホ(Roh)の概念」一覧にはこちらから入れます。<--リンク

PS
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ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク

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