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2018年11月07日 | 看護 死生観レポート

死生観のレポートについて少し書いていきます。

 

話は飛びますが、

なんで、リハビリなんてしなくちゃいけないのでしょうか?

医療従事者なら、以下のやり取りどこかで、したことがあると思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(看護学生とリハビリでのやりとり)

リハビリしている高齢者患者さんに「もうええわ。疲れたし、年やし。あと何年生きれるかどうかわからんしな。そっとしておいて」

と言われたら、あなたならどう答えますか?
 
①リハビリ苦しいんですね。
一旦休みましょうか?
とリハビリ中止し、話しを傾聴する。
②リハビリ苦しいですか?
でも、退院して自宅で生活したくないですか?
 
大体、このパターンの切り返しになると思います。
しかし、ここから先のやり取りが実は重要になってくるのです。
では、見ていきましょう。
 
パターン①続き
 
「学生さん、なんで、こんな辛いこと毎日せなあかんのかな?」
 
学生:そーですね。ご自分のことは、ご自分でできるようになるためだと思いますよ。
 
「そうか、でも、別に人に世話して貰って生きても、年やし、羞恥心もないし、別に苦にならんよ。」
 
学生:そーですか。
でも、自分のやりたい事を自分でやれないのも辛くないですか?
 
「いや、学生さん、それはね、貴方が若いし元気で身体が動くからそう思うだけなんよ。
私だって、もうあと20歳若ければ、自分で何とかしたいと思うかもしれない。でもね、実際、老化や肉体の衰えには、努力やリハビリなんぞでは到底敵わんことは年取れば分かるよ」
 
学生:そ~なんですか。
では、患者さんはどうやってこれから退院までの生活過ごして行きたいですか?
 
「穏やかな気持ちで過ごしたいなぁ」
 
学生:じゃあ、今は穏やかな気持ちで過ごせてないのですか?
 
「そやね。学生さんやから言うけど、今更、しんどいリハビリさせられて、走れるようになるわけでもなし、走って何かしたいわけでもなし。ただ、一日寝ていると、言われるから、仕方なく仕事、日課やと思ってやってるだけだからね。歩けなくなったら困るよとか言われるけど、歩いて何かしたい訳でもなく、実はありがた迷惑というのが、本音だよ。」
 
学生:そ~なんですね。
患者さん、ご家族とかお孫さんとかどうされてるんですか?
 
「そ~来ると思ったよ。
元々、子供はいないし、妻には先立たれ、兄弟もみんな死んだ。本当に独り身だよ。」
 
学生:そ~なんですね。
(沈黙)
 
パターン②続き
「戻る家もないよ。どうせ、施設暮らしだしね。
有料老人ホームに入れるほど、蓄えもないし、ボロいケア付きアパートに入るくらいしかないかな」
 
学生:そ~なんですか。
患者さん、何かやりたい事ないですか?
 
「学生さんと、一晩デートしたいよ。これは冗談だけど。
もう、ないよ。
年食って、若い頃に比べ身体も思うように動かないし、リハビリしても、維持できれば良い方で、日を追うごとに、少しづつ弱ってくことは感じてるから。
若返りとか、不老不死の薬ができるといいけどね。」
 
学生:本当にやりたい事ないんですか?
 
「やれる事が減ってくると、やりたい事も無くなってくるよ。」
 
学生:そ~なんですね。
 
「こうしてリハビリとか筋トレとかしていると、今までの人生何だったのかな?とか思うよ。
こんな事するために、今まで人生一生懸命生きてきたのかな?ってね。学生さんにはまだ解らないよね?」
 
学生:そーですね。(沈黙)
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (やりとりここまで)
「患者の人生って何なのか?」
と誰もが思うでしょう。
人生自分なりに頑張ってきて、最後はリハビリせい!と地獄のような日々。
なのですから。
人間は年齢を重ねても、心は育ちません。
むしろ、人生経験・テクニックやうまくいった経験を駆使して「怠けものになる」ばかりなのです。
歳をとれば、体が古くなり、筋肉も衰えガタが来ます。
 
「体は高齢者、心は赤ん坊」
それが、現代の日本人です。
 
それはなぜでしょう?
ほとんどの日本人は
赤ちゃんと同じように、
「目先の欲望を満たすためだけに生きているから」
なのです。
 
「え!?私そんなに物欲ありませんよ。」
と言われる方もいるかもしれません。
確かに欲は少ないかもしれない、しかし「貯金」や「保険」といった物質にしばられていませんか?
そして、「心に嘘をついている」「後ろめたいこと」はありませんか?
それはつまり「他人の価値観や世間の価値観を重要にしている」=「他人から良く思われたい」といった「見栄」や「高慢」がありませんか? 
 
「人から認められたい」=「見栄、高慢、不遜」
「美味しい物を食べ、贅沢したい。素敵ない恋人、立派な家、高級車、腕時計、ブランド物、海外旅行がしたい」=「情欲、物欲、貪欲」
 
というものに支配されています。
そして、それらの物を手に入れるためにはお金が必要になてきます。
ですから、自分の人生の貴重な時間をなげうって、必死で会社に行って労働します。
 
そして、いつしか会社で奴隷のようにこき使われるのに慣れてきて、「会社の仕事や仲間、地位までもが喜びだ」という状態になってしまう始末です。
 
そんな折、あなたは交通事故に巻き込まれました。
信号待ちしていると、横から居眠り運転をして対向車線から脱線してきたトラックと衝突したのです。
あまりの衝撃と恐怖であなたは気を失い、目覚めると、「病室」でした。
手足に氷を当てられているように冷たく感じ、感覚がありません。
 
・・・・・・・・・・・・・・・(以下覚醒後のやりとり)
 
「気が付きましたか!?」
意識が戻ると、病死で看護師から声をかけられました。
「はい」
と返事をし起き上がろうとしても体に力が入らない。
首から下の感覚がありません。
「(どうして!?)」
 
看護師が「ご気分はいかがですか?痛みや吐き気はありませんか?」と質問してきます。
 
「…あの、痛みは無いのですが、、その、体が、、、首から下が動かないんです。」
 
看護師 「そうなんですね。実は交通事故に遭われて、頸部骨折されており、ご家族に同意を得て緊急手術をしたのです。」
 
     「まずは主治医に報告してきます。おそらく、頸部骨折の後遺症だと思われます。それでは一旦失礼しますね。」
 
「え!?どうしよう!?
 明日、学校あるし、レポート提出しなくちゃいけないし。友達と来週カフェに行く約束しちゃったし。
 来月、母親の誕生日だから、プレゼント買いにいかなくちゃいけないのに」
 
主治医:「ご気分以下がですか?」
 
「先生、あの首から下が冷たく感じて、力が入らないんです。
 私これからどうなるんでしょうか?」
 
主治医:「テレビでも報道されたくらい凄惨な交通事故であったことはご存知でしょうか?
    なんとか一命は取り留められたのですが、残念ながら交通事故による後遺症が残る形となってしまっています。」
 
「リハビリとかで体って動くようにならないんでしょうか?
 私、頑張りますから!」
 
主治医:「(無言)」
 
「先生、本当の事教えてください。私これからどうなるのでしょうか?」
 
主治医:「ゼロとは言えませんが、リハビリで今後どこまで機能回復するかは保証はできません。」
 
「・・・・・・。」
 
主治医:「取り敢えず、今日はゆっくり休んでください。それでは失礼します」
 
「・・・・・・・・。」(眠りに落ちる)
 
(翌日、両親が病室にやってくる。)
 
両親:「意識が戻ったと病院から連絡があって、本当に良かった!」
 
「ありがとう。でも、手足動かないんだよ」
 
両親:「生きていてくれただけでいいの。本当に悲惨な事故だったのだから」
 
「そうなの?」
 
(両親の手に持っている鏡に映った私は、包帯とガーゼでグルグル巻きにされた、まるでミイラのような状態でした)
 
「・・・・・・・・。」
両親:「どうかしたの?」
 
「うんうん。
 
 
 ただ、”どうして私だったのかな?”って。」
 
両親:「信号待ちしてただけなのにね。覚えている?」
 
「うん、明日大学の講義でレポート提出あるから、早く帰ってやんなくちゃって…」
 
両親:「本当にごめんね。こんな辛い思いさせてしまって」
 
「うんうん。どうして泣くの?」
 
両親:「あなたが、こんな目に遭ったのは”産まれてきたから”でしょ?産んだのは私たち親の責任だから」
 
「お母さん、泣かないで。
 一番泣きたいのは私だよ。」
 
(沈黙)
・・・・・・・・・・・・・・・(やりとりここまで)
この登場人物は、車で帰宅途中、信号待ちで居眠り運転のトラックによる信号無視事故に巻き込まれ、大けがを負います。
頸部骨折があり、脊椎損傷から、首から下が麻痺した状態になってしまいます。
 
あなたは、「生きながらにして、全てを失いました」という状態です。
 
実は、人生において、このようなことは普通にあります。
 
今までの努力は何だったのでしょうか?
自分の人生の意味は何だったのでしょうか?
 
「学歴や成績、富も地位も、名誉も恋人も」、もはや何も意味をなしません。
誰も、何もあなたを癒してくれないし、救ってくれません。
 
これらのものでしか、喜びを得ることを知らずに人生を生きてきたため、
「あなたは突然、人生の意味が分からなくなってしまう」のです。
 
舌を噛んで舌根沈下させて自殺するしか方法がありません。
まさに「生き地獄」ではないでしょうか?
 
しかも、「こんな近くに生き地獄があるなんて」と思うに違いありません。
 
 
「生き地獄=人間的な死、絶望」ととらえるなら、
 
「最後の最後に絶望しないような人生を送りたい」
 
と誰もが考えるはずですよね?
 
逆に「死や絶望」が現実に存在するのに、忙しさにカマかけて向き合わない、遠ざけて生きている人ほど、
 
「今が良ければいい。快楽や欲望を追及することが幸せだ」
 
という刹那的な、動物的な生き方になってしまいます。
 
死生観とは
つまり「今、この瞬間」の話をしており、
「死や絶望を考えたこともない人」
「欲望のままに生きている人、問題意識がない人」
「五体満足で、健康で生きているのが当たり前だと思っている人」
には全く存在しない概念なのです。
 
つまり、「死生観について普段からいつも考えていない人以外の人」には全くない考え方だということがお判りでしょうか?
 
私たちは、いつも「死ぬとき=肉体の終わりの時」から逆算していって、
「現在、明日、どうやって生きていけばいいのだろうか?」
「どうしたら幸せな人生を、悔いのない人生を送ることができるのだろうか?」
と考え、答えを求め続けることでしか、「死生観」を持つことはできません。
 
死生観とは
「人生はどうやって生きればいいか?」という「問題」に対して
「明確な答えを持っていること」と言い換えられます。
 
つまり、「人生の目的を知っている」ということです。
 
ここで一旦、まとめます。
「あの世」がないなら、「この世」で頑張る理由、耐える理由なんて存在しません。
「死んだら”無になる”」のですから「最初から努力すること自体が無駄だ」ということになりませんか?
 
死ぬ直前や、何らかの理由で体が動かなくなった時、
「絶望」
します。
それはなぜでしょうか?
「自分が勝手に価値があると思ってやってきたことが台無しになってしまう」
とわかるからです。
 
死生観とは、いつも考えていることであり、その人の根本の価値観だということです。
 
お金で何でも買えて、お金が幸せにしてくれるという人は、お金を与えてくれる、会社を大切にし、お金で得られる、物や人間関係を大切にします。
しかし、事故に遭って、両腕がなくなったり、寝たきりになって「お金が仕えない状態になったら」
「お金は単なる紙切れ」になってしまいますね。
 
つまり、死生観とは「その人が大切にしている価値観」であると考えても良いでしょう。
そのほとんどが間違っている、「誤った死生観を持っている」とは口に出しても言えませんが。
もっと死生観について、人生の目的について知りたい方はこちらをどうぞ。
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