今回は私のことでなく「妻のこと」を証していきたいと思います。
結婚生活が10年になろうとしています。
私たち夫婦は、信仰を持つ前に出会い、結婚後2年を経て2016年から私が信仰を持ち、2018年頃から妻が信仰を持つようになりました。
出会った時から
「この人と一緒にいたら何をしていても楽しいし、幸せになれるだろうな」
「この人を幸せにしたら、自分も幸せになれるだろうな」
という感情が強くなり、交際後まもなく、妻の両親にも挨拶をしに行きました。
「見た目がタイプで、性格が合うひとと一緒に生活できたら幸せになれる」という安易な考えで結婚という選択をしたのです。
しかし結婚して長子が生まれると、徐々に考え方の違いが表面化し始めます。
妻はできる限り、私の考えに合わせようと妥協しますが、それでも「妥協」であるためフラストレーションは溜まっていき、小爆発を起こすようになります。
「好きで結婚しても、最終的な価値観が合わない」ので、結婚しても幸せではないのです。
それでも必死に私に合わせようと努力してくれる妻を幸せにしたいと思い、日々もがいていました。
そんな折、私が転職をきっかけに大病を患い、RAPTブログに出会ったのです。
無神論だった私は、RAPTブログの一般記事に感嘆し、「RAPTさんはどういう人なのかな?」と興味が湧いてきて、聖書を購入し、有料記事を購読し御言葉を読み始めました。
「人間とは何か?」「人間が幸せに生きるには?」
について全くブレることなく正論が書かれており、「これこそ真理だ!人生の答えだ」と感じました。
当時歪んだ考えを持っていた私には衝撃的なくらいRAPTさんという人が
「真っ直ぐな人」「計り知れない知能を持った人」「怖いもの知らずな人」に思えたのです。
そして、「自分が妻を幸せにしてやろう」などという、驕り高ぶった考えが、いかに無知で愚かな考えであるととすぐに気付きました。
今までの自分であれば、無力感に打ちひしがれて自暴自棄になっていたかもしれませんが、RAPTブログに出会ったことで「神様なら解決してくれるかもしれない」と望みをかけて、毎日欠かさずお祈りするようになったのです。
ある意味、自分を捨て始めたきっかけが生まれたのです。
当時は明け方の3時に起きて、運動できる服装に着替え、近くの大学まで歩いていき、キャンパス内を点々としながらお祈りしました。
2017年9月から始まった愛媛の教会の朝会音声を聴きながら、大学まで歩いていきました。
それからアパート駐車場で車の中で1時間程度祈ったり、部屋に戻って、出勤までの時間、聖書を読むようになりました。
「私の力では妻を幸せにできません。どうか妻が神様と繋がって、幸せに生きられますようにしてください」
祈りが聞かれたのか、新古物件のマイホームを不動産競売落札し無借金で購入できたり、引っ越しのために夫婦で退職後、失業保険が切れて経済的に生活が苦しくなるかな?と思う頃に、新しい仕事がお互いみつかったり、3人目が生まれ3人とも同じ保育園に通園できるようになったりと、到底人間の努力や計画だけではなしえないような不思議な奇跡が身の回りで起こるようになり始めました。
そして、何より驚いたのは、妻がRAPT理論や陰謀論をとてつもないスピードで理解し始めて、2018年頃からtwitterで情報拡散までするようになったり、Youtubeのチャンネルを開設するようなったのです。
「子どもたちを守りたい」という母性本能なのでしょうか、「親の力だけで、子供たちを守り続けることができない」と神様が妻を悟らせてくれたのかもしれません。
妻は私にとっては、「兄弟姉妹」です。
そして信仰面においては「ライバル」「競争相手」的な存在でもあります。
お互い、学校で教員をしているため、それぞれの分野で頭角を現したい、証をしたいと考えています。
信仰を持つことで、結婚しても価値観がブレないばかりか、いつも紙一重のところで、神様が助けてくださっています。
そして、「祈りは必ず叶う」と実感してます。
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写真1枚目:梅雨の晴れ間に撮影した「山上の温泉」からの景色です
写真2枚目:子供も大人も楽しみにしている「パンの移動販売」です
写真3枚目:中学時代に欲しかったバッシュ「AirJordan5」です
写真4枚目、5枚目:道の駅で買った「スイカ」です
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