三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

花木館跡

2017-08-07 22:57:27 | 松阪の城

はなのきやかた跡

屋敷跡に立つ伝承の石

城名
 花木館
読み
 はなきやかた
別名
 花木館、霧館、この辺りを「朴木砦」とするのか、或は「朴木砦」は別にあるのか、まだまだ調査が必要である。
住所
 松阪市小片野町奥出朴木坂
築城年
 不明
築城者
 朴木隼人正
形式
 居館
遺構
 石碑
規模
 東西60m×南北100m仮定
城主
 朴ノ木隼人正 - 野呂信濃守
一族
 波多瀬の一族か
家臣
 北畠家臣
標高 80m 比高 
歴史
 北畠具親蜂起の際、具親に組したため織田信雄に制圧された。
経緯
 花木館、霧館、朴木砦、朴木館など小片野を中心にいろいろ名称があるがそれぞれを確定する史料や物証が少ない。このまま闇に紛れてしまうのか。若輩者の力量では及ばないことを承知で着手した。
  朴木館(屋敷)は別の場所(大石村御所屋敷)と記述する書がある。一旦、小片野からは外しても良いのかもしれない。
 霧館は『伊勢名勝志』に「山際及び桐久保の間」とある。そこはあまりにこの花木館と近い。これもまた難渋するところだ。場所の特定までは至らない。
書籍
 勢陽五鈴遺響 伊勢名勝志  飯南郡史 山添遺跡発掘調査報告 石野木新聞、大石公民館だより
環境
 現地の西に山がある。朴ノ木砦の言い伝えもあり、居館跡だけではなく詰の城があったとしても不思議ではない。
現地
 波多瀬城を中心とした防御ネットワークと思われるがこの辺を確定するのはむつかしいようだ。
考察
 霧館(館主;山副十六兵衛のち久保将監)との関係性についての整理は未だ終わっていないので扱いは注意が必要である。
 山添遺跡発掘調査報告がヒントになるかもしれない。山添は山副であった、という着想から切り込んでみる。
感想
 石碑を拝見するには地権者の許可が必要。

 

史料 和暦 西暦 記述 城主 場所
勢陽五鈴遺響 天保4年 1833      
伊勢名勝志 明治22年11月 1889  朴木蔵人隼人少輔宅址 大石村御所屋敷に在り 今耕地たり 里人伝え云う 往昔北畠氏の臣朴木蔵人少輔之に居ると 朴木蔵人隼人少輔宅 大石村御所屋敷
 花木館址霧館址 小片野村字朴木坂に在り 往昔北畠の臣朴木隼人正野呂信濃守此に居る 霧館跡は字山際及び桐久保の間に在り今、田圃たり 往昔北畠氏の臣山副十六兵衛久保将監等此に居る 古老口碑 花木館        霧館 小片野村字朴木坂        山際及び桐久保の間
飯南郡史 大正5年 1916  (山添)太古此地を神山或は神戸と称す(神山神社の項に詳記)後山にて添うて民居する故を以て山添と改む、631石津領なり、或書には山副とも記す    
山添遺跡発掘調査報告 昭和55年 1979  山添は山副であったことが勢陽五鈴遺響、飯南郡史から読み取れる。この山添遺跡が何らかの形で山副氏に関わる(あるいは、山副氏館跡)、、、か。 山副氏館跡 松阪市山添町
大石公民館だより 平成29年8月 2017  小片野「朴木砦」を中心に死守の戦いが行われたとも伝えられている。砦を守る将兵は、朴木隼人正、山下兵部、野呂信濃守、山副十六兵衛、久保将監等の武者と伝わる。 朴木砦 小片野

 

 

 

 



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