三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

御麻生薗城(仮称) 新城発見か?!

2020-08-25 17:55:31 | 松阪の城

新城発見か!? 仮に御麻生薗城とする。

 御麻生薗城縄張図(自作)

住所 松阪市御麻生薗町 / 庄町

遺構 主郭(虎口あり)、堀切、削平地、土橋、見張台

詳細不明 見張台の位置から根木峠、および櫛田川から伊勢本街道を見張る砦ではなかったろうかと想像する。

経緯 口伝も、史料も何もない。縄張図の右下に「庄城」を示したがこれは2018年に発見した城であるが、その城を調査しているとき付近に「武士ヶ谷・陣出・馬場」などの小字名を知ることになり、もう一度付近を調べ直す必要があると思ったことがきっかけとなった。

 この山の名前は「本郷浅間山」というのかもしれない。また庄城も浅間山である。そのこともあって、もう一度「本郷浅間山」を調べることにした。

 上山城の脇の道を登ると南の尾根筋である。登り口からの急坂を登り切ったところに石組と土によって造られた虎口のような遺構に出迎えられる。遺構と言い切るのは、石がL字型に組まれている・石組の内側に土塁が盛られている・空堀が崖に向かって施されているなどがあるためである。また見張台としたのはこの場所が櫛田川から伊勢本街道を川向こうの牧まで見下ろせる唯一の場所と思われ、見張り役が乗るのに都合のいい大石があるからである。

 尾根筋をさらに登ると最初のピークに出て、一息つくと目の前に堀切が見えてくる。東側は昭和45年頃のミカン畑造成の改変でなくなっているのが残念である。しかし、西側に残る堀切の半分は崖に続く明瞭なものである。

 西に延びる尾根には堀切はないが、削平地、土橋、見張台がセットとして施されている。恐らく根木峠から櫛田川までの見張台に使われたのではないかと想像する。

 主郭は北西に虎口を持つ。虎口の外には帯曲輪と連続するエプロンがある。主郭北の土塁は当初は今より面積があったのかもしれない。神社の祠等の造営でかなり改変され無くなっている。

 主郭から東の尾根に入りかなり進むと明瞭な堀切がある。同じく片側(南側)はミカン畑造成によってなくなっている。

 ふもとの上山城との関係は定かでない。上山城は中世も末期の館跡でないかと言われているが、この御麻生薗城はそれより以前の戦国最盛期の砦跡ではなかろうか。上山城の詰城にしては簡素すぎるし、中世末期には見張台は必要性が乏しいなどが考えられる。

 大河内城と三瀬の館を行き来するには根木峠、ないしは寺井からの間道は重要であったと考えられる。また伊勢本街道と櫛田川と間道の監視もできるビューポイントであることから流通を監視する見張台とも考える。

 昭和56年発行の「広瀬史」北畠の桜の項によると、『字山ノ下にあり一名駒引の桜とも云う。往古多気の国司北畠隆盛の時三瀬御所の通路に当れるに依り国司通行の都度此処にて櫛田川之景色を眺むべく桜樹に駒をつなぎて休憩せられたりより之を名づく。(中略)今や其の跡を桜広(サクラビロ)と称す。』とあり、三瀬に行き来する道があったことをうかがわせることから、この付近を警護する見張台があったのではないかと想像してしまう。

 

 

 

 



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