城名 |
金井城 |
読み |
かないじょう |
住所 |
いなべ市員弁町北金井字亀谷 |
築城年 |
永正2年(1505) |
築城者 |
種村大蔵太夫高盛 |
形式 |
平城 |
遺構 |
土塁、空堀、土橋 |
規模 |
60×120m |
城主 |
種村大蔵太夫高盛 |
一族 |
近江源氏の流れをくむ佐々木家の一統六角高成の孫。 |
標高 58m 比高 13m |
歴史 |
永正2年(1505)に、種村大蔵太夫高盛が築いたとされる。 |
大永2年(1522)、美濃の土岐大膳大夫が金井城に侵攻してきたが北勢諸家連合軍で撃退した。 |
永禄11年(1568)、信長2度目の伊勢侵攻のとき抗戦したが、すぐ降服し配下となった。 |
元亀3年(1572)、高盛死去。4男秀政、その長男秀信が継いだ。 |
天正4年(1576)、秀信は滝川一益に不信を持たれ伊勢長島城へ出頭、切腹させられる。 |
一族は城を放棄してちりぢりばらばらとなった。 |
書籍 |
三重の中世城館 |
環境 |
員弁川の河岸段丘を生かした築城。ここだけ河岸段丘が180度回り込んで、舌状の半島になっている場所に城はある。両脇を小川が流れている。 |
現地 |
地目:山林 立地:台地 |
城跡は南北およそ120m東西約60mほどで、西側に幅約20m、深さ8m程の空堀をめぐらし、北と東側は深く落ちこんだ自然の渓谷に囲まれている。 |
また南面は急坂の上に土塁を築き、下には田園が広がって約200mを隔てて員弁川が流れている。川は洪水のたびに流れを変えるので、当時は城の下を流れていたのかも知れない。 |
当時としては攻めるに難く守るに易い、地の利を得た要害であったと思われる。 |
昭和56年に、西方地区の川原で砂利採取作業をしていた際、土中から種村一族を弔ったものと推定される宝篋印塔の一部五基と、五輪塔二基が出土した。 |
宝篋印塔は青川か山田川のものと思われる青石、五輪塔は花崗岩でできており、西方の円願寺に安置してある。 |
感想 |
単郭でシンプルだが造りは骨太の感じがする。現状もかなりきれいに残って小さいながら見応えがある。 |
地図 |
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