数(学)はこの世界の成り立ちと仕組みを創った原理や原因の一部では無い
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。
○一般法則論の世界観の図解
以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
妄想
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (H→E→F→G→(M)))))∥〕 Ω=神の国
∥ ↑ 理法 自然 物的 俗・人・子・文歴 記憶
(心的なD) M(記憶) Ω人 人・生・孫・化史 ↓
唯一絶対
○この文の目的
数(学)は、この世界を創った原理や原因の一部では無いことを確認します。→一口メモ
○この世界の成り立ちと仕組みを創った原理の確認
一般法則論では、私達ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の存在と、私達の生活基盤/インフラになっている天然自然の世界+文化・文明を創り出した原理になり、原因となったのは、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働き、と説明しています。
言い換えると、天地創造の目的を最初から持つ創造主である神、自然法則、エネルギーの3語で、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の存在を含めてこの世界の成り立ちと仕組みを説明できる、ということです。
○数或いは数学はこの世界の成り立ちと仕組みを創った原理であり原因であるという説
古代ギリシャの(哲学者アルキメデスでしたかではなくて、自然科学者の)ピタゴラスは、この世界を創った原理は数である、と言ったと聞きます。
現在では、数学が、具体的には特定の方程式で表されるものが先にあって、これを原理とし、原因として、この世界が創られている、という説があります。これは、超弦理論の名で知られていますね。
○自然法則がこの世界を造る素材であるエネルギーを制御している姿が数学の方程式で表現できる
この世界は、Ω神による天地創造の目的を、天地創造の実際の原理である自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが具体化した物として在るわけです。
この結果が、私達が見て知っているような物質で出来た世界の形になっているわけです。
具体的には、自然法則が、創造主である神の天地創造の目的を実現するために、「それをそれにする原理的仕組み」に基づいたシステムをこの世界を造る素材であるエネルギーを使って造る、という形になっています。
なお、この世界を造る唯一・絶対・普遍的な素材のエネルギーは、ビックバンに始まるこの世界の物質化の中で、元素とこの化合物や混合物の形に物質化しています。→E=mc^2(/秒)
この時に、システムの素材になり、この働きを担うエネルギーの働きを、自然法則が、「それをそれにする原理的仕組みを具体化した個別具体的な特定のシステムの形」になるように宇宙大で唯一・絶対・普遍的に制御しています。
そして、自然法則によるエネルギーの働き方は、数学という言語で、数学的な方程式の形にして厳密に記述できることを、ニュートンなどが発見したわけです。
つまり、自然法則がエネルギーの働きを制御している姿は、元々から数学的な方程式で記述できるようになっているわけです。
○数式が先にあってこれを原理とし原因としてこの世界がつくられているのでは無い!
自然法則がエネルギーの働きを制御している姿は、元々から数学的な方程式で記述できるようになっている訳です。
しかし、数学的な方程式が先にあって、これに則って自然法則が働いているのではありません。
言い換えると、何か格好の良い美しい方程式があるから、これを原理とし、原因として、何か特定の自然法則があるとか、この世界が造られている、ということではありません。
「『竜』という言葉があるから、『竜』という動物がこの世に実在するはずだ」式の発想の超弦理論は、根本的に間違っています。
○まとめ
Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みは、数式で表現/記述できるけれども、数式自体は、言い換えると数学がこの世界の成り立ちと仕組みを造っている原理でも原因でも無いことを確認しました。
○余談 システムをその構成要素に分解して認識し理解することが必要なことがある
例えば、商品化されている音楽CDは、CD本体とこれを収めたCDケースとCDに録音されている音楽が何かが書いてある紙の印刷物の三つの構成要素で出来ている「システム」です。
そして、音楽を聴くときには、CD本体しか使いません。
時と場合によっては、CDの音楽を聴きながら、録音されている音楽が何かを確認し演奏時間を知るために、付属の印刷物を必要とするかも知れません。
CDの保管のときには、普通、CD本体+CDケース+紙の印刷物の三つがワンセットのシステムとして使われます。
では、CDの持ち運びの場合には、どうなるでしょうか?
この場合は、持ち運んだ先でそのCDに収められている音楽を他人にも聴いてもらうつもりならば、CD本体+CDケース+紙の印刷物の三つをワンセット/一揃えのシステムとして持っていく必要があるでしょう。
しかし、CDに収められている音楽を聴く必要が無く、単に何の音楽CDを持っているのかを他者に示したいのならば、そのCDに収められている音楽が何かを示した紙の印刷物のみを持っていくだけで済みます。
このように出来るのは、商品化されている音楽CDシステムは幾つの構成要素で出来ているのかを、最初に自覚的に意図的にその構成要素に分解して認識し理解した上で、次に、その音楽CDシステムを何の目的で使うのかを、これも自覚的に意図的に確認することで、その目的に応じて、その音楽CDシステムのフルセット/全部が必要なのか、それともその一部で済むのかの判断が自然に可能になります。
別の例。
工場内で、ヒトの力では重くて簡単に持ち上げられないけれども車輪付きの機械を移動中、ゴムホースが床を這っている所に来て、さて、床に這っているこのゴムホースをどうしたら乗り越えられるのか!? と騒ぎになっている所に通りかかった人が、そのゴムホースをヒョイと持ち上げて機械の上を通して見せた、という話を聞いたことがあります。
これは、その場の事態を一つのシステムとしてみて、その構成要素が何と何であるかを自覚的に意図的に確認し、床に横たわっているゴムホースのこちら側から反対側に重い機械を移動させるには何が可能かを、観る視点を変えて発見した例になります。
一般的に言えば、こういう問題の解き方は、いわゆる創造性解発/開発技法の名で知られている様々なアイデアの見本を参考にすることができます。
私も二十代にこのことを盛んに学んだものでした。
余談の終わり
○追記1 システムの構成要素の属性が問題になることがある 2011/02/02 12:25すぎ
上の「余談」で、システムをその構成要素に自覚的に意図的に分解して認識し理解し、そのシステムを使う目的に合わせて、システムを分解してその一部のみを使うことが出来る話をしました。
「抜き身の刀」という表現がありますが、ここでは、そのシステム全体やその構成要素が持つ属性/特性が、そのシステムを使うときに重大な意味がある話をします。
例えば、こうもり傘が持つ細長い棒状の形態。
そこで、こうもり傘を肩に担ぐように持つと、人ごみの中ではこうもり傘の石突部分で他人に怪我を負わせる可能性があります。
これを自然に避けるには、こうもり傘の持つ細長い形状について、事前に自覚的に意図的に認識し理解して、これに基づいてこうもり傘の安全な持ち方を、人に教えられたり注意されたりしなくても、自分で考えて見つけることが出来ます。
自転車の例では、人力で走るという自転車本来の機能の他に、ヒトが乗って走っている自転車はかなりの重量になるという属性を自覚的で意図的な知識にしておく必要があります。
この属性によって、走って来た自転車に衝突した人はかなりの衝撃を受けて転倒したり怪我をしたりする可能性が常にあります。
現に自転車に衝突して亡くなるヒトの例が毎年何件も報告されていますね。
また、最近、街中を夜間に無灯火で走る自転車によく出会います。
中には幼い子供を後ろに乗せた女性もいます。
ご本人は無灯火でも乗っている自転車の先に何があるかよく見えているから良いつもりなのでしょう。
しかし、歩行者の方から見ると、特に視力が落ちている老齢者から見ると、無灯火の自転車は、目の前に来るまで見えなかったりするものです。
駅に通じる坂道を、夜間無灯火で飛ぶように走る自転車に何台も遭遇することがあります。
すれ違いざまに「明かりをつけて!」と注意しても一瞬のことで相手には通じないものです。
私が子供の頃には、無灯火で自転車に乗っていると、お巡りさんに注意されたものです。
そこで、日が暮れたら、灯火の無い自転車を降りて、手で押して家に帰ったものでした。
場合によっては、そのシステムの設計ミスや製造ミス/手抜きの製造で、そのシステムを使うヒトが怪我をしてしまうこともあります。
例えば中国製の折り畳み式自転車で走行中に、車体が折れたとかサドル部分が壊れたとかいう事故で乗っているヒトが怪我をしたとか、折り畳み式のベビーカーで、折り畳みする部分で幼児が指を切断したとかの事故があります。
学生時代、大学の生協で買ったバインダーにノート用紙を挟み込むときに、指を掛けて押す金具のバリ取りをしてない欠陥商品だったものですから、指を深く切って、鋏み込んだノートが血だらけになったことがありました。
これに懲りて、日常生活の中で使う諸々のシステムの持つ機能以外の属性について、そのシステムを手に入れた瞬間から即座に自覚的に意図的に点検して、これがもたらす事故等を想像し、事故が起らないようにする使い方を考えるようになったものです。
注記1の終わり
○追記2 金属のバリ取りに金やすりが活躍 2011/02/02 14:11過ぎ
生協で買ったバインダーの金具のバリで怪我をした後、そのバリを金やすりで削り取りました。
この後、金やすりは、金属製の家具などのバリとりに活躍することになりました。
追記2の終わり
○法隆寺の襖絵の展覧会のこと
先日、テレビの番組で、日本画家の小泉淳作氏が3年余り掛けて描いた法隆寺の襖絵のことを知りました。
襖絵は、サクラと蓮を描いたものです。
テレビの画面で見てもとても素敵なものでした。
この襖絵の展覧会が、大阪の島屋で今週中にも始まるようです。
近くの方でご興味のある方は、一見の価値がありますよ。
例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。
○一般法則論の世界観の図解
以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
妄想
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (H→E→F→G→(M)))))∥〕 Ω=神の国
∥ ↑ 理法 自然 物的 俗・人・子・文歴 記憶
(心的なD) M(記憶) Ω人 人・生・孫・化史 ↓
唯一絶対
○この文の目的
数(学)は、この世界を創った原理や原因の一部では無いことを確認します。→一口メモ
○この世界の成り立ちと仕組みを創った原理の確認
一般法則論では、私達ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の存在と、私達の生活基盤/インフラになっている天然自然の世界+文化・文明を創り出した原理になり、原因となったのは、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働き、と説明しています。
言い換えると、天地創造の目的を最初から持つ創造主である神、自然法則、エネルギーの3語で、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の存在を含めてこの世界の成り立ちと仕組みを説明できる、ということです。
○数或いは数学はこの世界の成り立ちと仕組みを創った原理であり原因であるという説
古代ギリシャの(哲学者アルキメデスでしたかではなくて、自然科学者の)ピタゴラスは、この世界を創った原理は数である、と言ったと聞きます。
現在では、数学が、具体的には特定の方程式で表されるものが先にあって、これを原理とし、原因として、この世界が創られている、という説があります。これは、超弦理論の名で知られていますね。
○自然法則がこの世界を造る素材であるエネルギーを制御している姿が数学の方程式で表現できる
この世界は、Ω神による天地創造の目的を、天地創造の実際の原理である自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが具体化した物として在るわけです。
この結果が、私達が見て知っているような物質で出来た世界の形になっているわけです。
具体的には、自然法則が、創造主である神の天地創造の目的を実現するために、「それをそれにする原理的仕組み」に基づいたシステムをこの世界を造る素材であるエネルギーを使って造る、という形になっています。
なお、この世界を造る唯一・絶対・普遍的な素材のエネルギーは、ビックバンに始まるこの世界の物質化の中で、元素とこの化合物や混合物の形に物質化しています。→E=mc^2(/秒)
この時に、システムの素材になり、この働きを担うエネルギーの働きを、自然法則が、「それをそれにする原理的仕組みを具体化した個別具体的な特定のシステムの形」になるように宇宙大で唯一・絶対・普遍的に制御しています。
そして、自然法則によるエネルギーの働き方は、数学という言語で、数学的な方程式の形にして厳密に記述できることを、ニュートンなどが発見したわけです。
つまり、自然法則がエネルギーの働きを制御している姿は、元々から数学的な方程式で記述できるようになっているわけです。
○数式が先にあってこれを原理とし原因としてこの世界がつくられているのでは無い!
自然法則がエネルギーの働きを制御している姿は、元々から数学的な方程式で記述できるようになっている訳です。
しかし、数学的な方程式が先にあって、これに則って自然法則が働いているのではありません。
言い換えると、何か格好の良い美しい方程式があるから、これを原理とし、原因として、何か特定の自然法則があるとか、この世界が造られている、ということではありません。
「『竜』という言葉があるから、『竜』という動物がこの世に実在するはずだ」式の発想の超弦理論は、根本的に間違っています。
○まとめ
Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みは、数式で表現/記述できるけれども、数式自体は、言い換えると数学がこの世界の成り立ちと仕組みを造っている原理でも原因でも無いことを確認しました。
○余談 システムをその構成要素に分解して認識し理解することが必要なことがある
例えば、商品化されている音楽CDは、CD本体とこれを収めたCDケースとCDに録音されている音楽が何かが書いてある紙の印刷物の三つの構成要素で出来ている「システム」です。
そして、音楽を聴くときには、CD本体しか使いません。
時と場合によっては、CDの音楽を聴きながら、録音されている音楽が何かを確認し演奏時間を知るために、付属の印刷物を必要とするかも知れません。
CDの保管のときには、普通、CD本体+CDケース+紙の印刷物の三つがワンセットのシステムとして使われます。
では、CDの持ち運びの場合には、どうなるでしょうか?
この場合は、持ち運んだ先でそのCDに収められている音楽を他人にも聴いてもらうつもりならば、CD本体+CDケース+紙の印刷物の三つをワンセット/一揃えのシステムとして持っていく必要があるでしょう。
しかし、CDに収められている音楽を聴く必要が無く、単に何の音楽CDを持っているのかを他者に示したいのならば、そのCDに収められている音楽が何かを示した紙の印刷物のみを持っていくだけで済みます。
このように出来るのは、商品化されている音楽CDシステムは幾つの構成要素で出来ているのかを、最初に自覚的に意図的にその構成要素に分解して認識し理解した上で、次に、その音楽CDシステムを何の目的で使うのかを、これも自覚的に意図的に確認することで、その目的に応じて、その音楽CDシステムのフルセット/全部が必要なのか、それともその一部で済むのかの判断が自然に可能になります。
別の例。
工場内で、ヒトの力では重くて簡単に持ち上げられないけれども車輪付きの機械を移動中、ゴムホースが床を這っている所に来て、さて、床に這っているこのゴムホースをどうしたら乗り越えられるのか!? と騒ぎになっている所に通りかかった人が、そのゴムホースをヒョイと持ち上げて機械の上を通して見せた、という話を聞いたことがあります。
これは、その場の事態を一つのシステムとしてみて、その構成要素が何と何であるかを自覚的に意図的に確認し、床に横たわっているゴムホースのこちら側から反対側に重い機械を移動させるには何が可能かを、観る視点を変えて発見した例になります。
一般的に言えば、こういう問題の解き方は、いわゆる創造性解発/開発技法の名で知られている様々なアイデアの見本を参考にすることができます。
私も二十代にこのことを盛んに学んだものでした。
余談の終わり
○追記1 システムの構成要素の属性が問題になることがある 2011/02/02 12:25すぎ
上の「余談」で、システムをその構成要素に自覚的に意図的に分解して認識し理解し、そのシステムを使う目的に合わせて、システムを分解してその一部のみを使うことが出来る話をしました。
「抜き身の刀」という表現がありますが、ここでは、そのシステム全体やその構成要素が持つ属性/特性が、そのシステムを使うときに重大な意味がある話をします。
例えば、こうもり傘が持つ細長い棒状の形態。
そこで、こうもり傘を肩に担ぐように持つと、人ごみの中ではこうもり傘の石突部分で他人に怪我を負わせる可能性があります。
これを自然に避けるには、こうもり傘の持つ細長い形状について、事前に自覚的に意図的に認識し理解して、これに基づいてこうもり傘の安全な持ち方を、人に教えられたり注意されたりしなくても、自分で考えて見つけることが出来ます。
自転車の例では、人力で走るという自転車本来の機能の他に、ヒトが乗って走っている自転車はかなりの重量になるという属性を自覚的で意図的な知識にしておく必要があります。
この属性によって、走って来た自転車に衝突した人はかなりの衝撃を受けて転倒したり怪我をしたりする可能性が常にあります。
現に自転車に衝突して亡くなるヒトの例が毎年何件も報告されていますね。
また、最近、街中を夜間に無灯火で走る自転車によく出会います。
中には幼い子供を後ろに乗せた女性もいます。
ご本人は無灯火でも乗っている自転車の先に何があるかよく見えているから良いつもりなのでしょう。
しかし、歩行者の方から見ると、特に視力が落ちている老齢者から見ると、無灯火の自転車は、目の前に来るまで見えなかったりするものです。
駅に通じる坂道を、夜間無灯火で飛ぶように走る自転車に何台も遭遇することがあります。
すれ違いざまに「明かりをつけて!」と注意しても一瞬のことで相手には通じないものです。
私が子供の頃には、無灯火で自転車に乗っていると、お巡りさんに注意されたものです。
そこで、日が暮れたら、灯火の無い自転車を降りて、手で押して家に帰ったものでした。
場合によっては、そのシステムの設計ミスや製造ミス/手抜きの製造で、そのシステムを使うヒトが怪我をしてしまうこともあります。
例えば中国製の折り畳み式自転車で走行中に、車体が折れたとかサドル部分が壊れたとかいう事故で乗っているヒトが怪我をしたとか、折り畳み式のベビーカーで、折り畳みする部分で幼児が指を切断したとかの事故があります。
学生時代、大学の生協で買ったバインダーにノート用紙を挟み込むときに、指を掛けて押す金具のバリ取りをしてない欠陥商品だったものですから、指を深く切って、鋏み込んだノートが血だらけになったことがありました。
これに懲りて、日常生活の中で使う諸々のシステムの持つ機能以外の属性について、そのシステムを手に入れた瞬間から即座に自覚的に意図的に点検して、これがもたらす事故等を想像し、事故が起らないようにする使い方を考えるようになったものです。
注記1の終わり
○追記2 金属のバリ取りに金やすりが活躍 2011/02/02 14:11過ぎ
生協で買ったバインダーの金具のバリで怪我をした後、そのバリを金やすりで削り取りました。
この後、金やすりは、金属製の家具などのバリとりに活躍することになりました。
追記2の終わり
○法隆寺の襖絵の展覧会のこと
先日、テレビの番組で、日本画家の小泉淳作氏が3年余り掛けて描いた法隆寺の襖絵のことを知りました。
襖絵は、サクラと蓮を描いたものです。
テレビの画面で見てもとても素敵なものでした。
この襖絵の展覧会が、大阪の島屋で今週中にも始まるようです。
近くの方でご興味のある方は、一見の価値がありますよ。
例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。