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青山3丁目を西麻布に向かった右側に「マリーズ・ショップ」というガラス張りの店があった。入り口の近くには大きなロリポップ(棒付きの飴、棒が1メートル近かった)や雑貨があって、中はカフェになっていた。
当時、宇野亜喜良さんの奥さまだった倉島真理さんの店で、真理さんはまさしく宇野さんの描くイラストそのものの不思議なお顔だちの方だった。色がちょっと浅黒くて、かぼそい身体に、そのころ大人の女性が着るの?というような超ミニのワンピースを着ていた。でも、そのワンピースは上等なウールで注意深く、良い縫製でつくられていたので、決してチープではない。
私のおしゃれを映えさせてくれる場所は少なかったから、私はこの店に正装して行った。白い襟付きで真っ赤な袖なしのワンピース。クニエダ・ヤスエさんのストローハットには、赤と白の縞の太いリボンが巻きついている。これで、白に赤い渦巻きのロリポップをもてば、私は完璧というわけだ。
真理さんに「可愛いわね。それどこの服?」と聞かれたらうれしさと誇らしさは頂点に達した。つぎの時は黄緑のワンピースで、袖は真理さんと同じように小さなちょうちん袖になっているので出かけた。
仲良しの鳥居ユキさんに作ってもらう服はいくらお友だち価格といっても、私の経済が追いつかなかった。それで、知恵をしぼって、お気に入りの服をつくった。
渋谷の道玄坂にある巨大な生地屋「東亜」で生地を探した。5階か6階あるフロアを上がったり降りたりして、安くてきれいな色をみつけた。私のウエストはすばらしくくびれているわけじゃないけど、若い女性としては、夏は海で、肉体を誇示しなければならない。それであんまり市販されていないビキニも自分でつくった。
私は生地とフランスのファッション誌「エル」の切り抜きをもって、日暮里の縫製工場へむかった。
渋谷発、日暮里経由の服たちは青山や表参道でよく活躍してくれた。
マリーズ・ショップでは、ときどきパーティがあり、宇野さんをはじめとしてユニークなアーティストが集まった。
金子国義さんや四谷シモンさんが抜群の存在感で踊りまくった。パーティのラストにスリップ一枚で踊るシモンさんは圧倒的にセクシーで、私たち女性のこじんまりとしたがんばりなどかすんでしまって、どこかに飛んでいってしまうのがオチだった。
真理さんは月刊だった「婦人公論」に「いいものみつけた」というコラムをもっていた。毎月そのページを開いて真理さんの美意識や価値観をながめて楽しんでいたけど、ある時彼女がやめることになった。
そして後継者として私が指名され、びっくりしつつも、ひきうけることになった。小さなみっけものに当時アシスタントだった中村のんちゃんの親友の中澤寿美子さんがイラストを描いてくれた。通称キーの中澤さんはのちに画家になる。私よりさらに若いジェネレーションの才能が走り出していた。
写真 婦人公論の私のコラム「いいものみつけた」はかなり長く続いた。
当時、宇野亜喜良さんの奥さまだった倉島真理さんの店で、真理さんはまさしく宇野さんの描くイラストそのものの不思議なお顔だちの方だった。色がちょっと浅黒くて、かぼそい身体に、そのころ大人の女性が着るの?というような超ミニのワンピースを着ていた。でも、そのワンピースは上等なウールで注意深く、良い縫製でつくられていたので、決してチープではない。
私のおしゃれを映えさせてくれる場所は少なかったから、私はこの店に正装して行った。白い襟付きで真っ赤な袖なしのワンピース。クニエダ・ヤスエさんのストローハットには、赤と白の縞の太いリボンが巻きついている。これで、白に赤い渦巻きのロリポップをもてば、私は完璧というわけだ。
真理さんに「可愛いわね。それどこの服?」と聞かれたらうれしさと誇らしさは頂点に達した。つぎの時は黄緑のワンピースで、袖は真理さんと同じように小さなちょうちん袖になっているので出かけた。
仲良しの鳥居ユキさんに作ってもらう服はいくらお友だち価格といっても、私の経済が追いつかなかった。それで、知恵をしぼって、お気に入りの服をつくった。
渋谷の道玄坂にある巨大な生地屋「東亜」で生地を探した。5階か6階あるフロアを上がったり降りたりして、安くてきれいな色をみつけた。私のウエストはすばらしくくびれているわけじゃないけど、若い女性としては、夏は海で、肉体を誇示しなければならない。それであんまり市販されていないビキニも自分でつくった。
私は生地とフランスのファッション誌「エル」の切り抜きをもって、日暮里の縫製工場へむかった。
渋谷発、日暮里経由の服たちは青山や表参道でよく活躍してくれた。
マリーズ・ショップでは、ときどきパーティがあり、宇野さんをはじめとしてユニークなアーティストが集まった。
金子国義さんや四谷シモンさんが抜群の存在感で踊りまくった。パーティのラストにスリップ一枚で踊るシモンさんは圧倒的にセクシーで、私たち女性のこじんまりとしたがんばりなどかすんでしまって、どこかに飛んでいってしまうのがオチだった。
真理さんは月刊だった「婦人公論」に「いいものみつけた」というコラムをもっていた。毎月そのページを開いて真理さんの美意識や価値観をながめて楽しんでいたけど、ある時彼女がやめることになった。
そして後継者として私が指名され、びっくりしつつも、ひきうけることになった。小さなみっけものに当時アシスタントだった中村のんちゃんの親友の中澤寿美子さんがイラストを描いてくれた。通称キーの中澤さんはのちに画家になる。私よりさらに若いジェネレーションの才能が走り出していた。
写真 婦人公論の私のコラム「いいものみつけた」はかなり長く続いた。
「この世のなかに、花と香水と宝石がなかったら、わたしはきっと死んでしまいたい」などと書かれていて、フェミニンでどことなくパリっぽいイメージがあるのですが、ご本人はアメリカ製のランジェリーやタオルを愛好し、ハワイ好きでバラが好きで、香水はディオリシモと決めているそう…。
1978年発刊だからでしょうが、マドモアゼル・ノンノンとピンクハウスをほめ、流行はもういいと書いておられます。
まるで話し言葉そのままのような文章が少女の日記のようであり、でも「私のいたずら天使さん」と2人のお子さんがよく登場する優しいお母様でもあり、美意識が強くて繊細で、女の人のわがままが可愛いというのはこういう感覚なのか、などと想像したりものでした。
唯一、毎月購入していたのが、「婦人公論」
だったのです。私は子供心に、母の心のより
どころが、この中にあるのだろうと、感じて
パラパラとめくるだけでしたが。楽しみが一つあり、表紙の絵画でした。初めは大人っぽい絵だったような気がしましたが、ある日から、べったりと、綺麗な色合いで、ドキッと
したことがありました。不思議な描き方の絵
だな、と思いました。金子さんの絵でした。
少女だったり、少年だったり、でも、何だか
大人の秘密めいたエロティカルなムードを
発信していました。焼きついていました。
また、宇野さんの絵は、詩の挿絵などで拝見して、とても不思議な羊の角をもった女性だったり、活躍されていました。
実はつい最近、内藤ルネさんの復刻版の人形
が発売されています。布製で、買ってしまいました。内藤さんの昔からのファンでして、
バザーでは、陶器製の貯金箱を発見しては、ゲットしています。今見ても、いいフォルムで、ぶたさんも、兵隊さんはなかなか、みつからなくて、、さがしています。
Yaccoさんの姿を想像して、金子さんのりぼん
をつけた少女をおもいだしました。ローリーポップを持つとほんとうにいいでしょうね!
壁の色は何色でしょうか、、白かな、
ペパーミントグリーンかな、、
あの印象深いフォルムがなんともたまりません。むかしは、お金が無くて買えなくて
その反動だと、、。
倉島眞理の娘の麗理と申します。母のことを今も覚えていて下さり本当にありがとうございます。母は昨年葉山の自宅で倒れ、現在は名古屋の病院で療養中ですがカフェ(www.aircafe.info)を経営する弟(厳)やその家族(5歳と2歳の孫に犬のちび!)に囲まれ順調に回復しております。70歳を超えた今もお花とガラス、綺麗なものにいっぱい囲まれ頑張っております。
どうもありがとうございます。
倉島
婦人公論は大人の雑誌を盗み読みするという感じでしたがその後創刊されたananは本当に衝撃的でした。EllE のモデルが大口を開けて笑っているのに不思議なショックを受けた事を思い出します。立川ユリさんが着るファッションも素敵だったなあ。今の雑誌がどちらかというと買い物カタログ化しているのに比べ、ファッションへの姿勢を提示するという感じだったと思います。あのころの雑誌もう一度読んでみたいなあ。