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68年、始めてニューヨークに行ったのは、スタイリストの修行のためだったが、そこで、フラワー・リボリューションの洗礼を受けた。それは私の価値観のベースになり、一生私の中のどこかで生きつづけている。と、同時にどんなものであれ、何かを見つけるのが大好きなので、マンハッタンの中を歩き回ることに夢中だった。
まだ着たことのないものに毛皮があった。何としても着てみたかった。
6週間のニューヨーク滞在の半分ぐらいを泊まらせてもらった広告代理店の副社長のお宅で、3日間の沈黙(英語が出て来なかった)を破って、最初にしゃべった英語が「何処に行ったら、毛皮のコートがあるかしら?」だったかもしれない。
6週間の間に、ニューヨークのスタイリストにくっついて、撮影現場や、雑誌の編集部や、お店まわりをしつつ、私は同じ質問をくりかえしていたらしい。
そして「ロード・アンド・テイラー」というデパートでこれぞ!と思うものにめぐり合うまで、いつもの精いっぱい精神はずっと目を覚ましつづけていた。
ウィーズル(いたち)の滑らかな光沢を、フサフサした狐が取り囲むコートで、どちらの感触も、私の好みだった。私の全財産はこのすばらしいコートに注がれ、帰国する時は、空港から家までの交通費を残すのみとなった。
当時は1ドル360円で、お金の持ち出しに規制があり、そんなコートを買ったら、基準を超えているのは明白だった。税関で「そのコートは?」と聞かれたらアウトだ。でも、その質問の上手な答えを考えつかないまま、当時国際線だった羽田空港に着いた。私はジーンズにTシャツ姿にお宝のコートをはおって税関の列に並んだ。
私のコートにちらっと目を向けた税関の人がまさしく「そのコートは?」と地獄の質問を私に向けた。私は映画「ミッドナイト・エクスプレス」の主人公みたいに絶体絶命だった。とっさに答えられない私は顔を赤くして、もじもじしたに違いない。意外なことに、質問した税関のひと自身が大きな助け舟を出してくれた。
「日本から持ち出したものですね」という彼の言葉に、私は「はい」と蚊の泣くような小さな声で答えた。彼はにっこり笑いポン!とハンコを押して、私は無事税関を通過した。
そのあと、ニューヨークで知り合った人たちから、手紙やカードをもらったが、どれも「ファー・コートのご機嫌はいかが?」というようなジョークにあふれていた。私はよほど大騒ぎをして買ったのだろう。これは、一生に一度の買い物だった。(注・現在、3年後ぐらいにお金持ちになる予感がするが、毛皮のコートを買う予定はない)
写真 (撮影・染吾郎) レオンにて。向かって左に見えるのが毛皮のコート。ミッキーマウスのTシャツの上に着ているのはマドモアゼルノンノンの皮のジャケットか。どんな服の時も大活躍したコートは、最終的にこの写真の撮影者、染吾郎さんに。
まだ着たことのないものに毛皮があった。何としても着てみたかった。
6週間のニューヨーク滞在の半分ぐらいを泊まらせてもらった広告代理店の副社長のお宅で、3日間の沈黙(英語が出て来なかった)を破って、最初にしゃべった英語が「何処に行ったら、毛皮のコートがあるかしら?」だったかもしれない。
6週間の間に、ニューヨークのスタイリストにくっついて、撮影現場や、雑誌の編集部や、お店まわりをしつつ、私は同じ質問をくりかえしていたらしい。
そして「ロード・アンド・テイラー」というデパートでこれぞ!と思うものにめぐり合うまで、いつもの精いっぱい精神はずっと目を覚ましつづけていた。
ウィーズル(いたち)の滑らかな光沢を、フサフサした狐が取り囲むコートで、どちらの感触も、私の好みだった。私の全財産はこのすばらしいコートに注がれ、帰国する時は、空港から家までの交通費を残すのみとなった。
当時は1ドル360円で、お金の持ち出しに規制があり、そんなコートを買ったら、基準を超えているのは明白だった。税関で「そのコートは?」と聞かれたらアウトだ。でも、その質問の上手な答えを考えつかないまま、当時国際線だった羽田空港に着いた。私はジーンズにTシャツ姿にお宝のコートをはおって税関の列に並んだ。
私のコートにちらっと目を向けた税関の人がまさしく「そのコートは?」と地獄の質問を私に向けた。私は映画「ミッドナイト・エクスプレス」の主人公みたいに絶体絶命だった。とっさに答えられない私は顔を赤くして、もじもじしたに違いない。意外なことに、質問した税関のひと自身が大きな助け舟を出してくれた。
「日本から持ち出したものですね」という彼の言葉に、私は「はい」と蚊の泣くような小さな声で答えた。彼はにっこり笑いポン!とハンコを押して、私は無事税関を通過した。
そのあと、ニューヨークで知り合った人たちから、手紙やカードをもらったが、どれも「ファー・コートのご機嫌はいかが?」というようなジョークにあふれていた。私はよほど大騒ぎをして買ったのだろう。これは、一生に一度の買い物だった。(注・現在、3年後ぐらいにお金持ちになる予感がするが、毛皮のコートを買う予定はない)
写真 (撮影・染吾郎) レオンにて。向かって左に見えるのが毛皮のコート。ミッキーマウスのTシャツの上に着ているのはマドモアゼルノンノンの皮のジャケットか。どんな服の時も大活躍したコートは、最終的にこの写真の撮影者、染吾郎さんに。
今回の写真も染五郎さんですが私はかなり長い間、彼を
スタイリストだと思っていました、セントラル・アパート
でみかける、多くの著名なカメラマン、友人の会社で
みかける坂田さんや加納さんといった方々で自分の中に
カメラマンのイメージが勝手に出来ていたのだと思い
ますが、何故スタイリストと思ってしまったのだろと
思い出してみると、彼の素敵な笑顔にあったのではと思うのですあの人懐っこい笑顔を思い出すとやっぱり、僕の中ではスタイリストに思えてしまうのです。
elleさんは70年代原宿の方なんですね。
高価な毛皮を見過ごしてくれた税関のおじさんのなんと粋なはからい。まるでフランス映画のよう。ジャンレノ主演で「税関パラダイス」という映画にしてみたらどうかな?その中でかわいい女の子が毛皮を着て申告カウンターに。「おじょうさん、それはパリから持ち出したものでしょ?」というシーンで二人の恋愛は始まる、、、。
イタチの毛皮で思い出したけど、30年前にビックリハウスに回文のコーナーがあって、投稿したら特選になった。それは「イタチの痴態」。お粗末さま。
臨場感、伝わってきます。
毛皮の思い出…毛皮を見るたびに、税関の職員の方のコメントを思い出したり、ドキドキ・変な汗を書いたことを思い出したりって感じですね。
物への愛情、こだわり。見習いたいです~。
OLの先輩が、皆で、貿易関係だったのでUSA
からいい毛皮が入ったから、見に行こうということ
で。支店に。貧乏だった私は、そんなもの贅沢だし、今は買えないし、なくてもこまらない、、なんて頭で。で、先輩がスタイルの抜群な方で、シルバーフォックスを卸値で、80万円??で買うと、後の先輩二人もうさぎちゃんでもいいから買おうかななんて残った私も、試着だけと。でも、着てみるとそれはなんというか、かっこよいわけです、わたしなりにで、ウサギを半値で、ボーナス払いに。一度の高い買い物でした。私も女だったんだな、と思った事件でした。今は猫の冬用の敷物です。
Yaccoさん、3年後にお金持ちになる木があるんです
ね。うふふ。いいなあ~☆
近未来にお金持ちになる…予感ですか?うーん、私には全然そんな予感・予定無しです。残念。
エナジーなくなったら、ここで、給油。
なんだか、うきうきしてきました~☆